万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1754~1756)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(28)~(30)―万葉集巻十 一八九五、巻十 二一二七、巻十 二三一五

―その1754―

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(28)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(28)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

      (柿本人麻呂歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考:(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 一八九五歌の上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造、「二重の序」になっている。

 

 この歌ならびに「二重の序」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

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 万葉集は、柿本人麻呂歌集を編纂資料の中核として作られたことは明らかである。例えば、この歌が収録されている「巻十」をみてみると、

 「春雑歌」(一八一二から一八八九歌)では、部立ての最初の歌群一八一二から一八一八歌が「右柿本朝臣人麻呂歌集出」と左注がある。同様に「春相聞」(一八九〇から一九三六歌)の一八九〇から一八九六歌の歌群についても左注が書かれている。

 また「秋雑歌」にあっては、「主題的課題(七夕、詠花、詠黄葉)」の最初に収録されている。「秋相聞」、「冬雑歌」、「冬相聞」の各部立も同様、先頭歌群として収録されている。

 巻七、巻九、巻十、巻十一、巻十二についてもほぼ同様である。

 

 こう見てくると、柿本人麻呂個人はいうに及ばず歌集としても万葉集に与えた影響力の強さは計り知れないものがある。

 

 巻十部立「春相聞」の先頭歌群をみてみよう。

 

◆春山 友鸎 鳴別 眷益間 思御吾

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九〇)

 

≪書き下し≫春山の友うぐひすの泣き別れ帰ります間(ま)も思ほせ我(わ)れを

 

(訳)春山の仲間同士の鶯が泣き交わして別れるように、泣く泣く別れを惜しむ私と別れてお帰りになるその道の間でも、思って下さい、この私のことを。(同上)

(注)上二句は序。「泣き別れ」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆冬隠 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九一)

 

≪書き下し≫冬こもり春咲く花を手折(たを)り持ち千(ち)たびの限り恋ひわたるかも

 

(訳)冬が去って春に咲いた花を手折り持っては、際限もなくあなたに恋い焦がれております。(同上)

(注)ちたび【千度】名詞:千回。また、度数の多いこと。(学研)

(注)こひわたる【恋ひ渡る】自動詞:(ずっと長い間にわたって)恋い慕い続ける。(学研)

 

 

◆春山 霧惑在 鸎 我益 物念哉

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九二)

 

≪書き下し≫春山の霧に惑(まと)へるうぐひすも我(わ)れにまさりて物思(ものも)はめやも

 

(訳)春山の霧の中に迷い込んだ鶯でさえ、この私にもまさって物思いに沈むことはおそらくありますまい。(同上)

(注)上三句は、一八九〇歌の上二句を承ける。(伊藤脚注)

 

◆出見 向岡 本繁 開在花 不成不止

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九三)

 

≪書き下し≫出でて見る向ひの岡に本茂(もとしげ)く咲きたる花のならずはやまじ

 

(訳)家から出てすぐそこに見える向かいの岡に、根元までびっしり咲いている花、その花が実を結ぶように、この恋を実らでないではおかないつもりです。(同上)

(注)上四句は序。「なる」(恋を実らせる)を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆霞發 春永日 戀暮 夜深去 妹相鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九四)

 

≪書き下し≫霞立つ春の長日(ながひ)を恋ひ暮らし夜(よ)も更(ふ)けゆくに妹(いも)も逢はぬかも

 

(訳)霞の立ちこめる春の長い一日、この一日を恋い焦がれて過ごし、夜もだんだん更けてきたのに、あの子がひょこっと現われて逢ってくれないものかなあ。(同上)

(注)妹も逢はぬかも:妹に逢いたい意を、「妹」を主語にした形でいう。(伊藤脚注)

 

 

◆春去 為垂柳 十緒 妹心 乗在鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九六)

 

≪書き下し≫春さればしだり柳のとををにも妹(いも)は心に乗りにけるかも

 

(訳)春になると、しだれ柳がしなってくるように、心もしなうほどどっかと、あの子は私の心に乗りかかってしまった。(同上)

(注)上二句は序。「とををに」を起こす。(伊藤脚注)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(学研)

 

左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ>である。

 

 略体書記になっている。前四首は女の、後ろ三首は男の歌である。

 

 

―その1755―

●歌は、「秋さらば妹に見せむと植ゑし萩露霜負ひて散りにけるかも」である。

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(29)にある。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(29)万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆秋去者 妹令視跡 殖之芽子 露霜負而 散来毳

       (作者未詳 巻十 二一二七)

 

≪書き下し≫秋さらば妹(いも)に見せむと植ゑし萩露霜(つゆしも)負(お)ひて散りにけるかも

 

(訳)秋になったらあの子に見せようと植えた萩、そのせっかくの萩が、冷たい露をあびて跡形もなく散ってしまった。(同上)

 

 

―その1756

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(30)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(30)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

      (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(学研)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その871)」で紹介している。

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 前述の(その1754)でもふれたが、巻十部立「冬雑歌」の最初に収録されている歌群(二三一二から二三一五歌)の一首である。

 この四首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その70改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」