万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1366)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(8)―万葉集 巻十 二三一五

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(8)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

      (柿本朝臣人麿歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

 左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集出也 但件一首 或本云三方沙弥作」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。ただし、件(くだり)の一首は、或本には「三方沙弥(みかたのさみ)が作」といふ>である。

(注)件(くだり)の一首は、二三一五歌をさしている。(伊藤脚注)

                           

 この四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その70改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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 左注にある「三方沙弥」については、伝不詳ではあるが、万葉集には七首収録されている。この七首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その871)」で紹介している。

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 二三一二から二三一五歌は、巻十の部立「冬雑歌」の先頭に配置されているが、このことは、万葉集柿本人麻呂歌集を核として構成されていることを意味している。

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、「・・・人麻呂歌集歌を核として構成するといいましたが、そのことがよくわかる巻だからです。・・・」と巻十を取り上げ全体像の概説をされている。

 「詠鳥」、「詠柳」などの標題箇所は省略し全体像をみてみる。

 

春雑歌

 一八一二~一八一八歌 右柿本朝臣人麻呂歌集出

 一八一九~一八八九歌の箇所 (省略)

春相聞

 一八九〇~一八九六歌 右柿本朝臣人麻呂歌集出

 一八九七~一九三六歌の箇所 (省略)

夏雑歌

 一九三七~一九七八歌の箇所 (省略)

夏相聞

 一九七九~一九九五歌の箇所 (省略)

秋雑歌

 七夕 一九九六~二〇三三歌 此歌一首庚辰年作之 右柿本朝臣人麻呂歌集出

    二〇三四~二〇九三歌

 詠花 二〇九四~二〇九五歌 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二〇九六~二一七七歌 (省略)

 詠黄葉 二一七八~二一七九歌 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二一八〇~二二三三歌 (省略)

 詠雨 二二三四歌 右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出

    二二三五~二二三八歌 (省略)

秋相聞

 二二三九~二二四三歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 二二四四~二三一一歌 (省略)

冬雑歌

 二三一一~二三一五歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 二三一六~二三三二歌 (省略)

冬相聞

 二三三三~二三三四歌 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

 二三三五~二三五〇歌 (省略)

 

 「それぞれの季節の雑歌・相聞の先頭に、人麻呂歌集歌を、主題的標題を示すことなく配置します。秋雑歌のはじめの『七夕』だけは、標題を掲げますが、先頭の歌群が人麻呂歌集歌であることはおなじです。主題的標題のもとにおさめられる人麻呂歌集歌もありますが(秋雑歌の『詠花』『詠黄葉』「詠雨」)、いずれも、その部のはじめに置かれます。こうして見渡すと、人麻呂歌集歌の特別な位置はあきらかです。あとにつづく歌をみちびくものとしてあるということができます。いいかえれば、人麻呂歌集歌を拡大して季節の歌があるというかたちです。」(前出神野志著)と書かれている。

 万葉集二十巻の構成に関して、神野志氏は、「・・・『歌日記』と呼ばれる巻十七~二十の異質さとともに、巻六と巻七とのあいだに断層があることが認められます。巻一~六、巻七~十六、巻十七~二十を、三つの構成部分」としてとらえることが求められるとし、「巻一~六が一つの『歴史』世界をつくるものとしてとらえ・・・それが『万葉集』全体構成の基軸となる」と書かれている。

 そして、巻七~十六のなかで、巻十三~十六は、「巻十三は長歌を集め、巻十四は東歌を載せ、巻十五は遣新羅使にかかわるものと中臣宅守・狭野弟上娘子とのふたつの歌群からなり、巻十六は「有由縁併せて雑歌」という特異な歌をおさめる」(前出著)とし、「巻七~十二は、人麻呂歌集歌を軸にした構成」をもつものとしてとらえられている。

 

 柿本人麻呂歌集については、「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典」には、「《万葉集》成立以前の和歌集。人麻呂が2巻に編集したものか。春秋冬の季節で分類した部分をもつ〈非略体歌部〉と,神天地人の物象で分類した部分をもつ〈略体歌部〉とから成っていたらしい。表意的な訓字を主として比較的に少ない字数で書かれている〈略体歌〉には、天武五年(676年)ころ以後の宮廷の宴席で歌われたと思われる男女の恋歌が多い。いっぽう助詞などを表音的な漢字で書き加えて比較的に多い字数で書かれている〈非略体歌〉には、680~701年ころの皇子たちを中心とする季節行事、宴会、出遊などで作られた季節歌、詠物歌、旅の歌が多い」と書かれている。

 柿本人麻呂歌集の存在が万葉集編纂へのトリガーとなったとも考えられる。

 

 上記の<略体歌部>で最も字数の少ないのは、巻十一 二四五三歌である。歌をみてみよう。

 

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

     (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

 

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。

 

 人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる歌で、「春楊葛山發雲立座妹念」と各句二字ずつ、全体では十字で表記されている。

助辞はすべて読み添えてはじめて歌の体をなす。

この詠み添えについては、前例歌が二首あるので読み方が明らかになるのである。

巻十 二二九四歌と巻十二の三〇八九歌が前例となっている。

 

 二四五三歌ならびにこの二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で紹介している。

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 柿本人麻呂歌集は現存せず、万葉集の中に「右柿本朝臣人麻呂之歌集出」と書かれ、その存在があったということが知られるのみである。

 また、巻九には、「柿本朝臣人麻呂之歌集出」とともに「高橋連虫麻呂之歌集中出」、「笠朝臣金村之歌中出」、「田辺福麻呂之歌集出」とある。

これらの歌集も逸書と言われている。

 手書きの書き写し、書き写しを経てよくぞ万葉集は現代まで伝えられたものである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典」

★「コトバンク デジタル大辞泉