万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1365)―福井県越前市 万葉の里味真野苑(7)―万葉集 巻九 一七三〇

●歌は、「山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑(7)万葉歌碑<プレート>(藤原宇合

●歌碑(プレート)は、福井県越前市 万葉の里味真野苑(7)にある。

 

●歌をみていこう。

 

一七二九から一七三一歌の歌群の題詞は、「宇合卿歌三首」<宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首>である。

 

◆山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武

            (藤原宇合 巻九 一七三〇)

 

≪書き下し≫山科(やましな)の石田(いはた)の小野(をの)のははそ原見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ

 

(訳)山科の石田の小野のははその原、あの木立を見ながら、あの方は今頃独り山道を越えておられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)石田:京都府山科区の南部

(注)ははそ【柞】名詞:なら・くぬぎなど、ぶな科の樹木の総称。紅葉が美しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌を含め、藤原宇合の歌は万葉集には六首収録されている。六首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1221)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

藤原宇合の庇護を受けた歌人高橋虫麻呂がいる。虫麻呂が宇合の事を詠った歌が六首収録されている。これらをみてみよう。

 

 神亀三年(726年)宇合が、知造難波宮事を兼ね、功をなした天平四年三月ごろに、題詞、「春三月諸卿大夫等下難波時歌二首幷短歌」<春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首幷せて短歌>の長歌(一七四七歌)と反歌(一七四八歌)の歌群と長歌(一七四九歌)と反歌(一七五〇歌)の二群を詠っている。

 

 一七四七ならびに一七四八歌からみてみよう。

 

◆白雲之 龍田山之 瀧上之 小▼嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之  及還来

    ▼「木+安」=くら

    (高橋虫麻呂 巻九 一七四七)

 

≪書き下し≫白雲の 竜田の山の 滝の上(うへ)の 小▼(おぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨(はるさめ)の 継(つ)ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで

 

(訳)白雲の立つという名の竜田の山を越える道沿いの、その滝の真上にある小▼(をぐら)の嶺、この嶺に、枝もたわわに咲く桜の花は、山が高くて吹き下ろす風がやまない上に、春雨がこやみなく降り続くので、梢の花はもう散り失(う)せてしまった。下枝に咲き残っている花よ、もうしばらくは散りみだれないでおくれ。難波においでの我が君がまたここに帰って来るまでは。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの 【白雲の】枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)君:知造難波宮事として功をなした藤原宇合のこと。高橋虫麻呂の庇護者。

(注)ほつえ 【上つ枝・秀つ枝】名詞:上の方の枝。 ※「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。[反対語] 中つ枝(え)・下枝(しづえ)。(学研)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

 

 

◆吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落

     (高橋虫麻呂 巻九 一七四八)

 

≪書き下し≫我(わ)が行きは七日(なぬか)は過ぎし竜田彦(たつたひこ)ゆめこの花を風にな散らし

 

(訳)われらの旅は、いくらかかっても七日を過ぎることはあるまい。竜田彦様、どうか、けっしてこの花を風に散らさないでくださいまし。(同上)

(注)たつたひこ【竜田彦/竜田比古】延喜式にみえる竜田比古竜田比女神社の祭神の一。  風をつかさどる神。(goo辞書)

 

 一七四七・一七四八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その188改)」で紹介している。

 ➡ こちら188改

 

 続いて一七四九・一七五〇歌もみてみよう。

 

◆白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知期智乃 花之盛尓 雖不見在 君之三行者 今西應有

      (高橋虫麻呂 巻九 一七四九)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに あらずとも 君がみ行きは 今にしあるべし

 

(訳)白雲の竜田の山、この山を夕暮れに馬に鞭(むち)くれては越えて行くと、滝のあたりの桜の花は、咲いていたのにもう散り失せてしまいました。蕾(つぼみ)のままのは追い継いで咲くでしょう。こちらの花もあちらの花も一度に咲いた盛りを目にするわけにはゆかないけれども、我が君のお出ましは、今がいちばん結構な時といえましょう。(同上)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(学研)

(注)打つ:馬に鞭をくれる意。(伊藤脚注)

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

(注)こちごち【此方此方】代名詞:あちこち。そこここ。 ※上代語。(学研)

 

 

◆暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒

      (高橋虫麻呂 巻九 一七五〇)

 

≪書き下し≫暇(いとま)あらばなづさひ渡り向(むか)つ峰(を)の桜の花も折(を)らましものを

 

(訳)暇さえあったら、激しい流れを押し渡って行って、向こう岸の峰に咲く桜の花を折って取っても参りましょうに。(同上)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

 

次に天平四年(732年)八月に宇合が、西海道節度使として派遣された時にも虫麻呂は歌を作っている。

 こちらもみてみよう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

      (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(同上)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

反歌一首」をみてみよう。

 

◆千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念

      (高橋虫麻呂 巻六 九七二)

 

≪書き下し≫千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言挙(あ)げせずに来(き)ぬべき士(をのこ)とぞ思ふ

 

(訳)我が君は、相手が千万の大軍であろうとも、とやかく言わずに必ず討ち取って来られる、立派な男子だと思っております。(同上)

(注)ことあげ 【言挙げ】( 名 ):言葉に出して言い立てること。言葉に呪力があると信じられた上代以前には、むやみな「言挙げ」は慎まれた。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)し【士】名詞:①男子。②学徳の備わったりっぱな人。③武士。(学研)

 

左注は、「右撿補任文八月十七日任東山ゝ陰西海節度使」<右は、補任(ぶにん)の文(ふみ)に検(ただ)すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。

(注)ふにん【補任】名詞:「補任状(じやう)」の略。中世、将軍・大名・荘園領主などが、部下を職に任ずるときに出した辞令。「ぶにん」とも。(学研)

(注)せつどし【節度使】名詞:奈良時代、地方の軍事力を整備・強化するために、東海・東山・山陰・西海・南海道などに派遣された、「令外(りやうげ)の官(くわん)」。(学研)

 

 九七一・九七二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

 ➡ 

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 藤原宇合高橋虫麻呂との関係について、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「旅人・憶良の関係にもなぞらえることができる。宇合は当時最高の文人政治家である。『懐風藻』にも六首の詩をとどめ、この集最高の詩の数である。その高貴な血統や地位から来る心のゆとりがある点も旅人に似ている。それに対して虫麻呂は文字通り下級官人の桎梏(しつこく)をのがれがたく生涯をすごし、その生活環境の中から歌が生まれてくる点も憶良に似ている。実は赤人も宇合の父藤原不比等との関係が想像される。このような高官と関係をもった下級官人が歌人として登場してくるところに、当時の万葉歌のひとつの秘密があったのかと思われる。」と書かれている。

 橘諸兄田辺福麻呂の関係もおなじような立ち位置であったと思われる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク精選版 日本国語大辞典