万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1326)―島根県益田市 県立万葉植物園(P37)―万葉集 巻二 九〇

●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。

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島根県益田市 県立万葉植物園(P37)万葉歌碑<プレート>(衣通王)

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉植物園(P37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待  此云山多豆者是今造木者也

       (衣通王 巻二 九〇)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ  ここに山たづといふは、今の造木をいふ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio辞書 Wiktionary(日本語版 日本語カテゴリ)

(注)みやつこぎ【造木】:① ニワトコの古名。 〔和名抄〕② タマツバキの古名。 〔本草和名〕(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

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やまたづ (ニワトコ) 「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)より引用させていただきました。

 この歌ならびに題詞および左注はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外200513)」で紹介している。

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衣通王については、玉津島神社の祭神の一柱と言われている。同神社は、住吉大社柿本神社と並ぶ『和歌三神(わかさんじん)』の社である。

これに関連することについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その734)」で紹介している。

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 九〇歌の「やまたづ」を詠んだ歌はもう一首ある。こちらもみてみよう。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

     (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その512)」で紹介している。

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この歌では、「山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて (山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって)」と歌われている。国の広がりを見るに、山彦はイメージ的に距離感が理解できるが、たにぐく(ひきがえる)がひっかかる。

 

國學院大學デジタルミュージアムの「万葉神事語事典」によると、「たにぐく」について次のように書かれている。

 「ひき蛙。記の神代では、大国主神の国作りの段において、少名毘古那神の名を明かす場面に「多邇具久」が見える。大国主神に従う諸の神は少名毘古那神の名を明かすことが出来ず、尽く天の下の事を知れる神である「久延毘古」によって、その名が明かされるのだが、久延毘古ならば知っていると注進する役割を多邇具久が果たす。谷蟆とは、国土の隅々まで知り尽くした存在であるとするものや、地上を這い回る支配者とする解釈などがある。谷蟆は、地上の至る所に存し、それゆえ、地上のことを知る存在と認識されていたと考えられる。これらは万葉集における「たにぐくのさ渡る極み」という語からもうかがえる。万葉集では、「山上憶良の惑へる情を反さしむるの歌」において、「倍俗先生」と名乗り、俗世を離れたと自称する者に対して、地上の全ては天皇の支配領域であると諭す際に、「天雲の向伏極み谷蟆のさ渡る極み」(5-800)と見え、身体が地にある以上、天皇の支配領域以外の場所に存することは出来ないという意味であろう。これは、天皇の地上における支配領域が谷蟆の渡るところすべてとする認識を基盤とする表現であり、その根底には、天孫降臨に先行して行われた大国主神からの支配権の献上という行為があると考えられる。」

 

 山上憶良の歌もみてみよう。

 

題詞は、「令反或情歌一首 幷序」<惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序>である。

(注)惑情:煩悩にまみれた心。(伊藤脚注)

 

◇序◇或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其或 歌曰

 

◇序の書き下し◇或(ある)人、父母(ふぼ)を敬(うやま)ふことを知りて侍養(じやう)を忘れ、妻子(さいし)を顧(かへり)みずして脱屣(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みづか)ら倍俗先生(ばいぞくせんせい)と称(なの)る。意気は青雲(せいうん)の上に揚(あが)るといへども、身体はなほ塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。いまだ修行(しゆぎやう)得道(とくだう)の聖(ひじり)に験(しるし)あらず、けだしこれ山沢(さんたく)に亡命する民ならむか。

このゆゑに、三綱(さんかう)を指し示し、五教(こけう)を更(あらた)め開(と)き、遣(おく)るに歌をもちてし、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(い)はく、

 

◇序の訳◇ある人がいて、父母を敬うことを知りながら孝養を尽くすことを忘れ、しかも妻子の扶養をも意に会せず、脱ぎ捨てた履物よりも軽んじている。そして、自分から“倍俗先生”などと称している。その意気は青雲かかる天空の上に舞う観があるけれども、身体は依然として俗世の塵(ちり)の中にある。といって、行を修め道を得た仏聖の証(あかし)があるわけでもない。多分これは戸籍を脱して山野に亡命する民なのであろう。

そこで、三綱の道を指し示し、さらに改めて五教の道を諭すべく、贈るのにこんな倭歌(やまとうた)を作って、その迷いを直させることにする。その歌に曰く、

(注)じやう【侍養】〘名〙:そばに付き添って孝養を尽くしたり、養い育てたりすること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)だっし【脱屣】: 履物をぬぎ捨てること。転じて、未練なく物を捨て去ること。(goo辞書)

(注)倍俗先生:俗に背く先生。「先生」は学人の称。(伊藤脚注)

(注)とくだう【得道】〘名〙 仏語: 聖道または仏の無上道の悟りをうること。成道。悟道。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)亡命:戸籍を捨てて逃亡すること。養老初年頃から、逃亡民を戒める詔勅がしきりに出ている。(伊藤脚注)

(注)さんかう【三綱】:儒教で、君臣・父子・夫婦の踏み行うべき道。(goo辞書)

(注)ごけう【五教】: 儒教でいう、人の守るべき五つの教え。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信の五つとする説(孟子)と、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の五つとする説(春秋左氏伝)とがある。五倫。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ⇒伊藤氏は後者

(注の注)管内に五教を諭し農耕を勧めるのは、令の定める国守の任務の一つ。(伊藤脚注)

 

 

◆父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

      (山上憶良 巻五 八〇〇)

 

≪書き下し≫父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

 

(訳)父母を見ると尊いし、妻子を見るといとおしくかわいい。世の中はこうあって当然で、恩愛の絆は黐(もち)にかかった鳥のように離れがたく断ち切れぬものなのだ。行く末どうなるともわからぬ有情世間(うじょうせけん)のわれらなのだから。それなのに穴(あな)あき沓(ぐつ)を脱ぎ棄てるように父母妻子をほったらかしてどこかへ行くという人は、非情の岩や木から生まれ出た人なのか。そなたはいったい何者なのか名告りたまえ。天へ行ったらそなたの思い通りにするもよかろうが、この地上にいる限りは大君がおいでになる。

この日月の照らす下は、天雲のたなびく果て、蟇(ひきがえる)の這(は)い回る果てまで、大君の治められる秀(ひい)でた国なのだ。あれこれと思いどおりにするもよういが、物の道理は私の言うとおりなのではあるまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)もちどり【黐鳥】〘名〙: (「もちとり」とも) とりもちにかかった鳥。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)恩愛の絆の譬え(伊藤脚注)

(注)かからはし【懸からはし】形容詞:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。(学研)

(注)ゆくへ知らねば:俗世の人は行く末どうなるともわからぬのだから。(伊藤脚注)

(注)うけぐつ【穿沓】〘名〙 (「うけ」は穴があく意の動詞「うぐ(穿)」の連用形) はき古して穴のあいたくつ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

(注)いはき【石木・岩木】名詞:岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。(学研)

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:①お聞きになる。▽「聞く」の尊敬語。②お聞き入れなさる。承知なさる。▽「聞き入る」の尊敬語。③関心をお持ちになる。気にかけなさる。④お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。⑤召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

 

 中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、この歌について「・・・こうした煩悩ともいうべき愛の否定は、広く人間への絶望でもあったが、しかし彼(山上憶良)ほど人間を愛したものも稀だっただろう。・・・志賀の荒雄への哀悼・・・(大伴)旅人の妻への挽歌、他人の死を契機として、これほど多くの愛を歌いあげた万葉歌人はいない。彼の愛の否定は、『わが』煩悩の否定だったのであり、そのゆえに多くの愛を歌うことができた。一首もわが恋の歌を残さぬ歌人が、もっともすぐれた愛の省察者だったのである。」

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 Wiktionary (日本語版 日本語カテゴリ)」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「植物データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)

★「玉津島神社HP」