■にわとこ■
●歌は、「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」である。
●歌碑は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王不堪戀慕而追徃時謌曰」<古事記に曰はく 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。この故(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ徃(ゆ)く時に、歌ひて曰はく>である。
◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待 此云山多豆者是今造木者也
(衣通王 巻二 九〇)
≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つにはまたじ ここに山たづといふは、今の造木をいふ
(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)みやつこぎ【造木】: ニワトコの古名。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)
(注)軽太子:十九代允恭天皇の子、木梨軽太子。(伊藤脚注)
(注)軽太郎女:軽太子の同母妹。当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた。(伊藤脚注)
(注)たはく【戯く】自動詞①ふしだらな行いをする。出典古事記 「軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて」②ふざける。(学研)
(注)伊予の湯:今の道後温泉
(注)衣通王:軽太郎女の別名。身の光が衣を通して現れたという。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1834)」で松山市姫原 軽之神社・比翼塚万葉歌碑と共に紹介している。
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この歌の左注については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(番外200513)」で紹介している。
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「やまたづ」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に「『やまたづ』は、ニワトコの古名。・・・葉は4~5対が対生し4月頃、円錐状の花弁に白い花をつける。『やまたづ』を詠んだ歌は・・・2首とも『やまづたの迎へ』という使われ方をしている。これは、やまづたの葉が相対していることから、『迎え』の枕詞となっているためである。」と書かれている。
もう一首の九七一歌をみてみよう。
◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者
(高橋虫麻呂 巻六 九七一)
≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば
(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(学研)
(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)
(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典)
(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)
(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)
(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て
(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)
(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)
(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)
(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)
(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)
(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)
(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)
九七一歌については、高橋虫麻呂は、藤原宇合の庇護を受けた歌人である。虫麻呂が宇合の事を詠った歌六首と共に紹介している。
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「やまたづ(ニワトコ)」の枝や葉が向き合っているところから「むかふ」に懸る使い方をしているが、万葉びとの植物観察力には改めて驚かされる。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「植物データベース(熊本大学薬学部薬用植物園)」