万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2422)―

■にれ■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「・・・あしひきのこの片山のもむ楡を五百枝剥き垂れ・・・腊ひはやすも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(乞食者の歌) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

             

題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠(うた)ふ歌二首>である。

(注)乞食者:寿歌を歌って施しを受けた門付け芸人。(伊藤脚注)

 

◆忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 若知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼此毛 命受牟跡 今日ゝゝ跡 飛鳥尓到 雖置 ゝ勿尓到 雖不策 都久怒尓到   東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 手碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作▼乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩柒給 腊賞毛 腊賞毛

      (乞食者の詠 巻十六 三八八六)

         ▼は、「瓦+缶」で「かめ)である。

 

≪書き下し≫おしてるや 難波(なにわ)の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと 何せむに 我(わ)を召すらめや 明(あきら)けく 我が知ることを 歌人(うたひと)と 我(わ)を召すらめや 笛吹(ふえふ)きと 我を召すらめや 琴弾(ことひき)きと 我を召すらめや かもかくも 命(みこと)受(う)けむと 今日今日と 飛鳥(あすか)に至り 立つれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだし懸(か)くもの 牛にこそ 鼻(はな)縄(づな)はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ 天照るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 韓臼(からうす)に搗(つ)き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗き おしてるや 難波の小江(をえ)の 初垂(はつたり)を からく垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち来(き) 我が目らに 塩(しほ)塗(ぬ)りたまひ 腊(きた)ひはやすも 腊ひはやすも

 

(訳)おしてるや難波(なにわ)入江(いりえ)の葦原に、廬(いおり)を作って潜んでいる、この葦蟹めをば大君がお召しとのこと、どうして私なんかをお召しになるのか、そんなはずはないと私にははっきりわかっていることなんだけど・・・、ひょっとして、歌人(うたひと)にとお召しになるものか、笛吹きにとお召しになるものか、琴弾きにお召しになるものか、そのどれでもなかろうが、でもまあ、お召しは受けようと、今日か明日かの飛鳥に着き、立てても横には置くなの置勿(おくな)に辿(たど)り着き、杖(つえ)をつかねど辿りつくの津久野(つくの)にやって来、さて東の中の御門から参上して仰せを承ると、何と、馬になら絆(ほだし)を懸けて当たり前、牛なら鼻綱(はなづな)つけて当たり前、なのに蟹の私を紐で縛りつけたからに、傍(そば)の端山(はやま)の楡(にれ)の皮を五百枚も剥いで吊(つる)し、日増しにこってりお天道(てんと)様で干し上げ、韓渡りの臼で荒搗(づ)きし、庭の手臼(てうす)で粉々に搗き、片や、事もあろうに、我が故郷(ふるさと)難波入江の塩の初垂(はつた)り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶部(すえべ)の人が焼いた瓶を、今日一走(ひとつばし)りして明日には早くも持ち帰り、そいつに入れた辛塩を私の目にまで塗りこんで下さって、乾物に仕上げて舌鼓なさるよ、舌鼓なさるよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)おしてるや【押し照るや】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(学研)

(注)かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)ふもだし【絆】名詞:馬をつないでおくための綱。ほだし。(学研)

(注)さいずるや〔さひづる‐〕【囀るや】[枕]:外国の言葉は聞き取りにくく、鳥がさえずるように聞こえるところから、外国の意味の「唐(から)」、または、それと同音の「から」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はつたり【初垂り】:製塩のとき最初に垂れた塩の汁。一説に、塩を焼く直前の濃い塩水。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)すえひと〔すゑ‐〕【陶人】:陶工。すえつくり。(weblio辞書 デジタル大辞泉) 堺市南部にいた須恵器の工人。

(注)腊(読み方 キタイ):まるごと干した肉。(weblio辞書 歴史民俗用語辞典)

 

左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は、蟹(かに)のために痛みを述べて作る>である。            

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1889)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 上記(注)にあった堺市南部にいた須恵器の工人に関連すると思われる「陶荒田神社」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1040)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 もう一首の三八八五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1499)」で

紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

  「にれ」について、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)のなかで、「この時代、調味料的にもちいられた楡は、ニレ科のハルニレのことで・・・のカニの歌に登場するように、ニレの粉末をカニの身に和えて漬けたり、塩とニレ粉でカブラなどを漬けている。平城京跡から出土した木簡にも『楡蟹』と書かれたものがあるので、ニレ粉で漬けたカニは万葉びとの好物であったようだ。『藤原京木簡』にも、飛騨国や御野(みの 美濃)国から『楡皮』の献納を示すものがあるので、古くから調理にニレ粉を使用していたらしい。ニレ粉は、剥いだニレの内皮を細かく割いて天日に干し、碓(うす)で搗いて粉末にする。」と書かれている。

(注)はるにれ (春楡):わが国の各地をはじめ朝鮮半島中国東北部・北部に分布しています。丘陵から山地に生え、高さは20~30メートルになります。樹皮は灰色で縦に割れ目が入り、鱗片状に剥離します。葉は倒卵形で互生し、縁には重鋸歯があります。3月から5月ごろ、前年枝の葉腋に小さな花を咲かせます。果実は翼果で初夏に熟します。材は床材や家具などに利用されます。ふつうに「ニレ」といえば本種をいいます。(weblio辞書 植物図鑑)

「ハルニレの樹皮」weblio辞書 植物図鑑より引用させていただきました。

 

三八八六歌に「傍(そば)の端山(はやま)の楡(にれ)の皮を五百枚も剥いで吊(つる)し、日増しにこってりお天道(てんと)様で干し上げ、韓渡りの臼で荒搗(づ)きし、庭の手臼(てうす)で粉々に搗き、」と調味料の「ニレ粉」の作り方が詠われている。

さらに、「楡蟹」の料理法まで詠われている。「塩の初垂(はつた)り、その辛い辛いやつを溜めて来て・・・瓶・・・に入れた辛塩を・・・塗りこんで・・・乾物に仕上げて・・・」と料理本さながらである。

当時の食生活の生き証人である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 歴史民俗用語辞典」