万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1499,1500,1501)―愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37、P38、P39)―万葉集 巻十六 三八八五、巻十七 三九一〇、巻十七 三九四五

―その1499―

●歌は、「・・・あしひきのこの片山に二つ立つ檪が本に・・・」である。

愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37)万葉歌碑<プレート>(乞食者の歌)

●歌碑(プレート)は、愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

      (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。(伊藤脚注)

(注)をり【居り】:<自動詞>①座っている。腰をおろしている。②いる。存在する。 

補助動詞>(動詞の連用形に付いて)…し続ける。…している。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)やへだたみ【八重畳】①( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。 ②( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形(伊藤脚注)

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

 

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。

 

  左注は、「右歌一首為鹿述痛作之也」<右の歌一首は鹿のために痛みを述べて作る>である。ちなみに、もう一首三八八六歌の左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は蟹のために痛みを述べて作る>である。

 

 この歌には「虎」が出てくるが、この歌と共に「虎」の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1323)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 乞食者の詠う歌のもう一首三八八六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1087)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 リズムを付けて読んでみると、場面が生き生きしてくる魔力を持っている。

 繰り返し読むことで楽しさが理解できてくる歌である。

 

 「いちひ」は、いまのイチイガシのことで、「ブナ科の常緑高木。暖地に自生し、高さ30メートルに達する。葉の裏面に黄褐色の短毛が密生。実はどんぐりで、食用。材は堅く、建築・家具などに用いられる。いちがし。いちい。」(weblio辞書 デジタル大辞泉

「イチイガシ」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

―その1500―

●歌は、「玉に貫く楝を家に植ゑたらば山ほととぎす離れず来むかも」である。

愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P38)万葉歌碑<プレート>(大伴書持)

●歌碑(プレート)は、愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P38)にある。

 

 その1500である。歌碑、歌碑プレート(木製、プラ製など)を歌として重複しているものもあるが、1500基見てきたのである。ここまでの道のりは、長いといえば長いが、短いといえば短い。

 京都在住であるので西日本中心であるが、機会を見つけて東日本へもエリアを広げて行きたいものである。

 「その1500」はまだまだ通過点、これからも新天地も開拓すべく継続していくつもりです。ご声援よろしくお願いいたします。

 

●歌をみていこう。

 

◆珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞

      (大伴書持 巻十七 三九一〇)

 

≪書き下し≫玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも

 

(訳)薬玉(くすだま)として糸に貫く楝、その楝を我が家の庭に植えたならば、山に棲む時鳥がしげしげとやって来て鳴いてくれることだろうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持」<右は、四月の二日に、大伴宿禰書持、奈良(なら)の宅(いへ)より兄家持に贈る>である。

 

 この歌を含め大伴家持の弟書持の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表①)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 「あふち」は、センダンの古名である。

(注)せんだん【栴檀/楝】:センダン科の落葉高木。暖地に自生する。樹皮は松に似て暗褐色。葉は羽状複葉で縁にぎざぎざがあり、互生する。初夏に淡紫色の5弁花を多数つけ、秋に黄色の丸い実を結ぶ。漢方で樹皮を苦楝皮(くれんぴ)といい駆虫薬にする。おうち。あみのき。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

「センダンの花と実」 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

 

―その1501―

●歌は、「秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも」である。

愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P39)万葉歌碑<プレート>(大伴池主)



●歌碑(プレート)は、愛知県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

三九四三~三九五五歌の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。   家持を歓迎する宴で、越中歌壇の出発点となったと言われている。

 

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

      (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着む縁(よし)もがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

(注)前の二首が土地の物をもちあげているが、これは都の妻を思う歌になっている。(伊藤脚注)           

 

 この歌を含め三九四三~三九五五歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。

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 「栲」は「楮」の古名である。

 (注)「こうぞ〔かうぞ〕【楮】《「紙麻(かみそ)」の音変化》:クワ科の落葉低木。山野に自生する。葉は卵形で先がとがり、二〜五つに裂けるものもある。春、枝の下部の葉の付け根に雄花を、上部の葉の付け根に雌花をつける。実は赤く熟し、食べられる。樹皮から繊維をとって和紙の原料にする。たく。かぞ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

「コウゾ」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 植物図鑑」