●歌は、「卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたるむ片思にして」である。
●歌をみていこう。
◆宇能花之 開登波無二 有人尓 戀也将渡 獨念尓指天
(作者未詳 巻十 一九八九)
≪書き下し≫卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思(かたもひ)にして
(訳)卯の花の咲くように、心をひらいてくれることとてないあの人に、こんなにまで焦がれつづけるのであろうか。片思いのままで。(同上)
(注)うのはな【卯の花】名詞:うつぎの花。白い花で、初夏に咲く。[季語] 夏。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)とはなしに :ということなしに。…ではないのに。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)こひわたる【恋ひ渡る】自動詞:(ずっと長い間にわたって)恋い慕い続ける。(学研)
(注)かたもひ【片思ひ】名詞:男女の一方だけが相手を慕うこと。 ※「かたおもひ」の変化した語。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2387)」で「卯の花」を詠んだ歌、全二十四首とともに紹介している。
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「卯の花の咲くとはなしに」は、卯の花の咲き方が群れてどちらかと言えば爆発的に咲いているイメージを踏まえているのだろう。
「片思ひ」と詠った歌をみてみよう。
■七〇七歌 片垸に片思を懸ける■
題詞は、「粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首」<粟田女娘子(あはたのめをとめ)大伴宿禰家持の贈る歌二首>である。
◆思遣 為便乃不知者 片垸之 底曽吾者 戀成尓家類 <土垸之中>
(粟田女娘子 巻四 七〇七)
≪書き下し≫思ひ遣(や)るすべの知らねば片垸(かたもひ)の底にぞ我(あ)れは恋ひ成りにける <垸之の中に注す>
(訳)胸の思いを晴らす手だてがわからぬままに、片垸(かたもひ)ならぬ、“片思い”のどん底に沈んで、私は恋をするようになりました。<この歌は片垸の中に記してあった>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より
(注)思ひ遣るすべ:思いを払いのける手だて。(伊藤脚注)
(注)かたもひ【片椀/片垸】:ふたのない土製のわん。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■七一七歌■
◆都礼毛無 将有人乎 獨念尓 吾念者 惑毛安流香
(大伴家持 巻四 七一七)
≪書き下し≫つれもなくあるらむ人を片思(かたもひ)に我(あ)れは思へばわびしくもあるか
(訳)私にまるで関心のなさそうな人なのに、そんな人を片思いに思っているので、私は何ともわびしくてたまらない。(同上)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その11改)」で紹介している。
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■五三六歌■
◆飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼
(門部王 巻四 五三六)
≪書き下し≫意宇(おう)の海の潮干の潟(かた)の片思(かたもひ)に思ひや行かむ道の長手(ながて)を
(訳)意宇の海の潮干の干潟ではないが、片思いにあの子のことを思いつめながら辿(たど)ることになるのか。長い長いこの道のりを。(同上)
(注)上二句は序。同音で「片思」を起す。(伊藤脚注)
(注)ながて【長手】名詞:「ながぢ」に同じ。(学研)
(注の注)ながぢ【長道】名詞:長い道のり。遠路。長手(ながて)。「ながち」とも。(学研)
左注は、「右門部王任出雲守時娶部内娘子也 未有幾時 既絶徃来 累月之後更起愛心 仍作此歌贈致娘子」<右は、門部王(かどへのおほきみ)、任出雲守(いづものかみ)に任(ま)けらゆ時に、部内の娘子(をとめ)娶(めと)る。いまだ幾時(いくだ)もあらねば、すでに徃来を絶つ。月を累(かさ)ねて後に、さらに愛(うつく)しぶ心を起こす。よりて、この歌を作りて娘子に贈り致す。>である。
(注)幾時(いくだ)もあらねば:どれほどの時間もたたないのに。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1261)」で紹介している。
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「片恋(かたこい)」も見られる。
(注)かたこひ【片恋】:〘名〙:一方の側からだけ異性を恋しく思うこと。自分を思ってくれない人を恋すること。一方的な恋。片思い。⇔諸恋(もろごい)。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
こちらもみてみよう。
■一四七三歌■
題詞は、「大宰帥大伴卿和歌一首」<大宰帥大伴卿が和(こた)ふる歌一首>である。
◆橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多毛
(大伴旅人 巻八 一四七三)
≪書き下し≫橘の花散(ぢ)る里のほととぎす片恋(かたこひ)しつつ鳴く日しぞ多き
(訳)橘の花がしきりに散る里の時鳥、この時鳥は、散った花に独り恋い焦がれながら、鳴く日が多いことです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)片恋しつつ:亡妻への思慕をこめる
一四七三歌は、石上堅魚が詠った歌に和したものである。一四七三、一四七四歌ともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その896)」で紹介している。
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■一九八二歌■
題詞は、「寄蟬」<蟬に寄す>である。
◆日倉足者 時常雖鳴 我戀 手弱女我者 不定哭
(作者未詳 巻十 一九八二)
≪書き下し≫ひぐらしは時と鳴けども片恋(かたこひ)にたわや女(め)我(あ)れは時(とき)わかず泣く
(訳)ひぐらしは、今こそ我が時とばかり鳴いているけれども、片思いゆえに、か弱い女であるこの私は、一日中泣き濡れている。(同上)
(注)時と:今が時節だと。(伊藤脚注)
(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)
(注)ときわかず【時分かず】分類連語:四季の別がない。いつと決まっていない。時を選ばない。 ⇒なりたち:名詞「とき」+四段動詞「わく」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2265)」で紹介している。
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■三一一一歌■
◆為便毛無 片戀乎為登 比日尓 吾可死者 夢所見哉
(作者未詳 巻十二 三一一一)
≪書き下し≫すべもなき片恋(かたこひ)をすとこの頃に我(わ)が死ぬべきは夢(いめ)に見えきや
(訳)何とも処置のない片恋の苦しさに悩んで、今日明日にも死んでしまいそうな私の姿は、あなたの夢に見えたでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
一九八九歌、七一七歌では万葉仮名「獨念」を「片思ひ」と書き下している。「孤悲」を「恋」と書くように、書き手の遊び心なのかもしれない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」