万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1821)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(33)―万葉集 巻十 一八七二

●歌は、「見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(33)万葉歌婦(作者未詳)



●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨

       (作者未詳 巻十 一八七二)

 

≪書き下し≫見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に霞(かすみ)たち咲きにほえるは桜花かも

 

(訳)遠く見わたすと、春日の野辺の一帯には霞が立ちこめ、花が美しく咲きほこっている、あれは桜花であろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

春日野(かすがの)、春日の野については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に次のように書かれている。

 「奈良市街地東部、若草山、御蓋(みかさ)山(三笠(みかさ)山)西麓(せいろく)の台地で、北は佐保(さほ)川、南は能登(のと)川に限られ、東は奈良公園内一帯から市街地に及ぶ。洪積層からなる緩やかな波状の台地で、一面芝生で覆われ、老杉が茂りアシビが群生し、シカが群れ遊ぶ光景は奈良公園の象徴をなし、観光客に親しまれている。市街地との比高は約15~20メートルで、北部に東大寺、中央に春日大社興福寺がある。(後略)」

 

 春日野を詠んだ歌をみてみよう。

 

■三七二歌■

 題詞は、「山部宿祢赤人登春日野作歌一首 幷短歌」<山部宿禰赤人、登春日野(かすがの)に登りて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)春日野:春日大社を中心とする一帯。(伊藤脚注)

 

◆春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷

       (山部赤人 巻三 三七二)

 

≪書き下し≫春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠(みかさ)の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほどり)の 間(ま)なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋(かたこひ)のみに 昼(ひる)はも 日のことごと 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 立ちて居(ゐ)て 思ひぞ我(あ)がする 逢はぬ子故(ゆゑ)に

 

(訳)春日の山の御笠の山に朝ごとに雲がたなびき、貌鳥(かおどり)が絶え間なく鳴きしきっている。そのたなびく雲のように私の心はとどこって晴れやらず、その鳴きしきる鳥のように片思いばかりしながら、昼は昼で一日中、夜は夜で一晩中、そわそわと立ったり座ったりして、深い思いに私は沈んでいる。逢おうともしないあの子ゆえに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)はるひを【春日を】分類枕詞:春の日がかすむ意から、同音の地名「春日(かすが)」にかかる。「はるひを春日の山」⇒はるひ(学研)

(注)たかくらの【高座の】[枕]:高座の上に御蓋(みかさ)がつるされるところから、「みかさ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あささらず【朝去らず】[連語]:朝ごとに。毎朝。⇔夕去らず。(goo辞書)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】:鳥の名。 未詳。 顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。 「かほどり」とも。(学研)

(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)

(注)ことごと【事事】名詞:一つ一つのこと。諸事。(学研)

 

 この歌については、一八七二歌、三七二歌の反歌三七三歌とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1753)」で紹介している。

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■四〇四歌■

題詞は、「娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首」<娘子(をとめ)、佐伯宿禰赤麻呂(さへきのすくねあかまろ)が贈る歌に報(こた)ふる一首>である。

 

◆千磐破 神之社四 無有世伐 春日之野邊 粟種益乎

       (娘子 巻三 四〇四)

 

≪書き下し≫ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かまし

 

(訳)あのこわい神の社(やしろ)さえなかったら、春日の野辺に粟を蒔きましょうに―その野辺でお逢いしたいものですがね。おあいにくさまです。(同上)

(注)神の社:赤麻呂の妻の譬え

(注)「粟蒔く」と「逢はまく」をかけている。

 

 

■四〇五歌■

題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂がさらに贈る歌一首>である。

 

春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師怨焉

      (佐伯赤麻呂 巻三 四〇五)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に粟(あは)蒔(ま)けりせば鹿(しし)待ちに継(つ)ぎて行かましを社(やしろ)し恨(うら)めし

(訳)あなたが春日野に粟を蒔いたなら、鹿を狙いに毎日行きたいと思いますが、そこに恐ろしい神の社があることが恨めしく思われます。(同上)

(注)前句同様、「粟蒔く」と「逢はまく」をかけている。

 

 四〇四、四〇五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その360)」で紹介している。

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■四六〇歌■

 題詞は、「七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首幷短歌」<七年乙亥(きのとゐ)に、大伴坂上郎女、尼(あま)理願(りぐわん)の死去を悲嘆(かな)しびて作る歌一首幷せて短歌>である。

(注)尼理願:新羅から渡来した尼

 

◆栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊尓 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草枕 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八

        (大伴坂上郎女 巻三 四六〇)

 

≪書き下し≫栲(たく)づのの 新羅(しらき)の国ゆ 人言(ひとごと)を よしと聞かして 問ひ放(さ)くる 親族(うがら)兄弟(はらがら) なき国に 渡り来まして 大君(おほきみ)の 敷きます国に うち日さす 都しみみに 里家(さといへ)は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保(さほ)の山辺(やまへ)に 泣く子なす 慕(した)ひ来まして 敷栲(しきたへ)の 家をも造り あらたまの 年の緒(を)長く 住まひつつ いまししものを 生ける者(もの) 死ぬといふことに 免(まぬか)れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間(あひだ)に 佐保川を 朝川(あさかは)渡り 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺(やまへ)をさして 夕闇(ゆふやみ)と 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに た廻(もとほ)り ただひとりして 白栲(しろたへ)の 衣袖(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ 我(あ)が泣く涙 有間山(ありまやま) 雲居(くもゐ)たなびき 雨に降りきや

 

(訳)遠いはるかな新羅の国から、日本(やまと)はよき国との人の噂をなるほどとお聞きになって、安否を問うてよこす親族縁者もいないこの国に渡ってこられ、大君のお治めになるわが国には、都にはびっしり里や家はたくさんあるのに、いったいどのように思われたのか、何のゆかりもないここ佐保の山辺に、親を慕うて泣く子のようにやってこられて、家まで造って年月長く住みついていらっしゃったのに、生ある者はかならず死ぬという定めから逃(のが)れることはできないものだから、頼りにしていた人がみんな旅に出て留守のあいだに、朝まだ早い佐保川を渡り、春日野を背後に見ながら、山辺を目指して夕闇に消え入るように隠れてしまわれた、それで、何を何と言ってよいのやら、何を何としたらよいのやらわけもわからぬままに、おろおろ往(い)ったり来たりしてたった一人で、白い喪服の乾く間もなく、ひたすら嘆きどおしに私が流す涙、この涙は、あなたさまのおられる有馬山に雲となってたなびき、雨となって降ったことでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)とひさく【問ひ放く】自動詞:遠くから言葉をかける。問いを発する。(学研)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(学研)

(注)しみみに【繁みみに・茂みみに】副詞:すきまなくびっしりと。「しみに」とも。 ※「しみしみに」の変化した語。(学研)

(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。 ここでは、「家」に懸っている。家を寝具に見立てた。

(注)有間山 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県神戸市の六甲山北側にある有馬温泉付近の山々。「有馬山」とも書く。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その187)」で紹介している。

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■五一八歌■

題詞は、「石川郎女歌一首 即佐保大伴大家也」<石川郎女(いしかはのいらつめ)が歌一首 すなはち佐保大伴の大家(おほとじ)なり>である。

(注)とじ【刀自】名詞:①主婦。「とうじ」とも。②…様。…君。▽夫人の敬称。 ※「刀自」は万葉仮名に基づく表記。(学研)

 

春日野之 山邊道乎 与曽理無 通之君我 不所見許呂香裳

       (石川郎女 巻四 五一八)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)山辺(やまべ)の道を恐(おそ)りなく通ひし君が見えぬころかも

 

(訳)春日野の山沿いの道、その恐れ多い道をおののくこともなく通って来られたあなたなのに、このごろいっこうにお見えになりませんね。(同上)

(注)おそり【恐り・畏り】名詞:おそれ。心配。危険。(学研)

(注)安麻呂の五一七歌の歌の神木に対し、神の社のある春日野の歌である。意識した配列と思われる。(伊藤脚注)

 

 

■六九八歌■

春日野尓 朝居雲之 敷布二 吾者戀益 月二日二異二

       (大伴像見 巻四 六九八)

 

≪書き下し≫春日野に朝居る雲のしくしくに我れは恋ひ増す月に日に異に

 

(訳)春日野に朝立ちこめている雲が次第に重なるように、私は、しきりに恋しさが募るばかりです。月日が経つにつれてだんだんと。(同上)

(注)上二句は序。「しくしくに」を起こす。(伊藤脚注)

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

(注)つきにひにけに【月に日に異に】分類連語:月ごと日ごとに。 ⇒なりたち:名詞「つき」+格助詞「に」+名詞「ひ」+格助詞「に」+形容動詞「けなり」の連用形(学研)

 

 

■一三六三歌■

春日野尓 咲有芽子者 片枝者 未含有 言勿絶行年

       (作者未詳 巻七 一三六三)

 

≪書き下し≫春日野に咲きたる萩は片枝はいまだふふめり言な絶えそね

 

(訳)春日野に咲いている萩は、片一方の枝はまだ蕾(つぼみ)のままでいます。言問(ことど)いを絶やさないでください。(伊藤脚注)

(注)片枝はいまだふふめり:妹娘が未婚のままでいる意。(伊藤脚注)

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

(注)言な絶えそね:花の状態に対する言問いを絶やさないでほしい。親の立場。(伊藤脚注)

 

 

■一五七一歌■

春日野尓 鍾礼零所見 明日従者 黄葉頭刺牟 高圓乃山

       (藤原八束 巻八 一五七一)

 

≪書き下し≫春日野に時雨降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ高円の山

 

(訳)春日野に今しもしぐれが降っている。明日からは美しいもみじをかざすことであろうな。高円の山は。(同上)

(注)黄葉かざさむ:山が黄葉することの擬人的表現。(伊藤脚注)

 

 

■一八七九歌■

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

       (作者未詳 巻十 一八七九)

        ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

      ※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)うはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(同上)

(注)うはぎ:よめなの古名。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1058)」で紹介している。

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■一八八〇歌■

春日野之 淺茅之上尓 念共 遊今日 忘目八方

      (作者未詳 巻十 一八八〇)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が上に思ふどち遊ぶ今日(けふ)の日(ひ)忘らえめやも

 

(訳)春日野の浅茅(あさぢ)の上で、親しい者同士が、思いのままに遊ぶ今日の日の楽しさは、とうてい忘れられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)野遊:春の一日、村人が野山で遊ぶ民間行事。宮廷でも行われた。

(注)あさぢ【浅茅】名詞:荒れ地に一面に生える、丈の低いちがや。(学研)

(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。

(注)-どち 接尾語:〔名詞に付いて〕…たち。…ども。▽互いに同等・同類である意を表す。「貴人(うまひと)どち」「思ふどち」「男どち」 ※参考「どち」は、「たち」と「ども」との中間に位置するものとして、親しみのある語感をもつ。(学研)

 

 

■一八八一歌■

◆春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 弥年之黄土

      (作者未詳 巻十 一八八一)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)立つ春日野を行き返り我(わ)れは相見(あひみ)むいや年のはに

 

(訳)春霞の立ちこめる春日野、この野を、行きつ戻りつして、われらはともに眺めよう。来る年も来る年も、いついつまでも。(同上)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)

(注)としのは【年の端】分類連語:毎年。(学研)

 

 一八八〇、一八八一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その794-8)」で紹介している。

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■一九一三歌■

◆見渡者 春日之野邊 立霞 見巻之欲 君之容儀香

       (作者未詳 巻十 一九一三)

 

≪書き下し≫見わたせば春日の野辺に立つ霞見まくの欲しき君が姿か

 

(訳)遠く見わたすと、春日の野辺に立ちこめている霞はまことに見事、この眺めのように、いつもいつも見たくてならないあなたのお姿です。(同上)

(注)上三句は序。「見まくの欲しき」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

■一九七四歌■

春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而将挿頭

       (作者未詳 巻十 一九七四)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)の藤(ふぢ)は散りにて何(なに)をかもみ狩(かり)の人の折りてかざさむ

 

(訳)春日野の藤はとっくに散ってしまったことなのに、これからは何をまあ、み狩の人びとは、折ろ取って髪に挿すのであろうか。(同上)

(注)にて 分類連語:…てしまって(いて)。 ⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の連用形+接続助詞「て」(学研)

(注)み狩;五月五日の薬狩。この狩を春日野における成年式とみる説も。藤の花は成年式の挿頭には必須のものであった。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1181)」で紹介している。

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■二一二五歌■

◆春日野之 芽子落者 朝東 風尓副而 此間尓落来根

       (作者未詳 巻十 二一二五)

 

≪書き下し≫春日野の萩し散りなば朝東風の風にたぐひてここに散り来ね

 

(訳)春日野に咲きにおう萩よ、もし散るのなら、朝東風(あさごち)の風に乗って、ここに散って来ておくれ。(同上)

(注)朝東風:朝に吹く東からの風 季節 春(weblio辞書 季語・季題辞典)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞:①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(学研)ここでは①の意

 

 

■二一六九歌■

◆暮立之 雨落毎<一云 打零者> 春日野之 尾花之上乃 白霧所念

      (作者未詳 巻十 二一六九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨降るごとに <一には「うち降れば」といふ>春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の雨が降るたびに<さっと降ると>、春日野の尾花の上に輝く白露が思われてならない。(同上)

 

 

■三〇〇一歌■

春日野尓 照有暮日之 外耳 君乎相見而 今曽悔寸

       (作者未詳 巻十二 三〇〇一)

 

≪書き下し≫春日野に照れる夕日の外(よそ)のみに君を相見て今ぞ悔しき

 

(訳)春日野に照っている夕日を見るように、遠くからそっとあの方を見ただけで、そのことが、今となっては悔やまれてならない。(同上)

(注)上二句は序。「外に見る」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

■三〇四二歌■

◆朝日指 春日能小野尓 置露乃 可消吾身 惜雲無

       (作者未詳 巻十二 三〇四二)

 

≪書き下し≫朝日さす春日の小野に置く露の消(け)ぬべき我(あ)が身惜しけくもなし

 

(訳)朝日の射しこむ春日の小野に置く露が消えるように、今にも消え入りそうな我が身、こんな身などもうちっとも惜しくはない。(同上)

 

 

■三〇五〇歌■

春日野尓 淺茅標結 断米也登 吾念人者 弥遠長尓

       (作者未詳 巻十二 三〇五〇)

 

≪書き下し≫春日野に浅茅(あさぢ)標結(しめゆ)ひ絶(た)えめやと我(あ)が思ふ人はいや遠長(とほなが)に

 

(訳)春日野で、浅茅に標を張ってずっと我がものとするように、仲が絶えるものかと私が思い定めているあの人は、いついつまでも変わらずにいてほしい。(同上)

(注)上二句は序。「絶えめや」を起す。ようやく標を結び我が物とする意。春日野のような人里の野の茅がやを一人占めすることは困難なこととされた。(伊藤脚注)

 

 

■三一九六歌■

◆春日野之 淺茅之原尓 後居而 時其友無 吾戀良苦者

       (作者未詳 巻十二 三一九六)

 

≪書き下し≫春日野の浅茅(あさぢ)が原に後(おく)れ居(ゐ)て時ぞともなし我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)春日野の浅茅が原に一人置き去りにされていて、いつとて定まる時もない。私があの方に恋い焦がれる思いは。(同上)

(注)浅茅が原:待つ女自身の侘び生活を言う。(伊藤脚注)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

 

 

■三八一九歌■

◆暮立之 雨打零者 春日野之 草花之末乃 白露於母保遊

       (小鯛王 巻十六 三八一九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨うち降れば春日野の尾花(をばな)が末(うれ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の篠(しの)つく雨が降ると、いつも、あの春日野の尾花の先に置く白露が思われる。(同上)

(注)白露:春日の遊行婦女などの譬えか。(伊藤脚注)

 

 

■四二四一歌■

題詞は、「大使藤原朝臣清河歌一首」<大使藤原朝臣清河(ふぢはらのあそみきよかは)が歌一首>である。

 

春日野尓 伊都久三諸乃 梅花 榮而在待 還来麻泥

       (藤原清河 巻十九 四二四一)

 

≪書き下し≫春日野に斎(いつ)くみもろの梅の花栄(さ)きてあり待て帰り来(く)るまで

 

(訳)春日野にお祭りしているみもろの梅の花よ、このまま咲き栄えてずっと守っていておくれ。私が帰ってくるその時まで。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語。(学研)

 

 藤原氏氏神を奉って遣唐使の平安を祈った時に、光明皇后が遣唐大使藤原清河に贈った歌に和した歌である。光明皇后の四二四〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その645)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 季語・季題辞典」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会