万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その794-8)―住吉区住吉 住吉大社反り橋西詰め北―万葉集 巻十 一八八六

●歌は、「住吉の里行きしかば春花のいやめづらしき君にあへるかも」である。

 

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住吉大社反り橋西詰め北万葉歌碑<角柱碑裏面下部右から2番目>(作者未詳)

●歌碑は、住吉区住吉 住吉大社反り橋西詰め北にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆住吉之 里行之鹿歯 春花乃 益希見 君相有香開

               (作者未詳 巻十 一八八六)

 

≪書き下し≫住吉(すみのえ)の里行きしかば春花(はるはな)のいやめづらしき君に逢へるかも

 

(訳)住吉の里に出かけたところ、春にさきがけて咲いた花のような、見れば見るほど心引かれるお方に出逢いました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)しかば⇒過去の助動詞『き』の已然形「しか」+ば、の形です。:「已然形+ば」の訳は「~ので」、「~ところ」ですが、ここに過去の意味が入るので、訳は「~たので」、「~たところ」となります。「訳しにくい助詞『ば』ついて解説【中学古典(文語文法)講座】(文系の雑学・豆知識)」

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研) ここでは②

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい。②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研) ここでは①の意

 

この歌の題詞は「懽逢(くわんほう)」となっている。「逢うを懽(よろこぶ)」である。この「懽」は、巻八の巻頭歌(一四一八歌)の題詞「志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首」に見られる。

「懽逢(くわんほう)」は、巻十 部立「春雑歌」に位置づけされている。雑歌にあっては「〇〇を詠む」、相聞歌にあっては、「〇〇に寄す」というパターンが多いが、巻十 部立「春雑歌」には、他の巻にはない題詞、「懽逢(くわんほう)」・「嘆旧(たんきう)」・「野遊(やいう)」がみられる。

 

 「野遊」四首、「嘆旧」二首をみてみよう。

 

◆春日野之 淺茅之上尓 念共 遊今日 忘目八方

               (作者未詳 巻十 一八八〇)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が上に思ふどち遊ぶ今日(けふ)の日(ひ)忘らえめやも

 

(訳)春日野の浅茅(あさぢ)の上で、親しい者同士が、思いのままに遊ぶ今日の日の楽しさは、とうてい忘れられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)野遊:春の一日、村人が野山で遊ぶ民間行事。宮廷でも行われた。

(注)あさぢ【浅茅】名詞:荒れ地に一面に生える、丈の低いちがや。(学研)

(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。

(注)-どち 接尾語:〔名詞に付いて〕…たち。…ども。▽互いに同等・同類である意を表す。「貴人(うまひと)どち」「思ふどち」「男どち」 ※参考「どち」は、「たち」と「ども」との中間に位置するものとして、親しみのある語感をもつ。(学研)

 

 

◆春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 弥年之黄土

               (作者未詳 巻十 一八八一)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)立つ春日野を行き返り我(わ)れは相見(あひみ)むいや年のはに

 

(訳)春霞の立ちこめる春日野、この野を、行きつ戻りつして、われらはともに眺めよう。来る年も来る年も、いついつまでも。(同上)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)

(注)としのは【年の端】分類連語:毎年。(学研)

 

 

◆春野尓 意将述跡 念共 来之今日者 不晩毛荒粳

                (作者未詳 巻十 一八八二)

 

≪書き下し≫春の野に心延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか

 

(訳)この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士とやって来た今日の一日は、暮れずにあってくれないものか。(同上)

(注)のぶ【伸ぶ・延ぶ】他動詞:①伸ばす。長くする。②延ばす。延期する。③のんびりさせる。ゆったりとさせる。(学研)

 

 

◆百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有

               (作者未詳 巻十 一八八三)

 

≪書き下し≫ももしきの大宮人(おほみやひと)は暇(いとま)あれや梅をかざしてここに集(つど)へる

 

(訳)宮仕えの大宮人たちは、暇があるからであろうか、梅を髪に挿して、ここ春日野に集まって遊びに興じている。(同上)

(注)あれや 分類連語:①あるのだろうか。あるからか。あるから…のか。 ▽「や」は疑問を表す。(学研)

 

 一八八三歌で、第三者の立場で詠い一八八一から一八八三歌すべて大宮人の野遊であることを明かしている。

 

次に「歎舊」の二首をみてみよう。

 

◆寒過 暖来者 年月者 雖新有 人者舊去

               (作者未詳 巻十 一八八四)

 

≪書き下し≫冬過ぎて春し来(きた)れば年月(としつき)は新(あら)たなれども人は古(ふ)りゆく

 

(訳)冬が過ぎて春がやって来ると、年や月は新たであるけれども、人はただ古びていくばかりだ。(同上)

(注)嘆旧(たんきゅう):年老いたことへの嘆き

 

 

◆物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜

               (作者未詳 巻十 一八八五)

 

≪書き下し≫物皆(ものみな)は新(あら)たしきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし

 

(訳)物はすべて新しいものが良い。ただしかし、人だけは、何といっても古さびたさまがよろしいように思われる。(同上)

(注)ただし【但し】接続詞:①とはいうものの。しかしながら。もっとも。②もしかしたら。あるいは。▽前文を受け、推量や疑問の内容を加えることを表す。③それとも。あるいは。(学研)

 

 題詞「野遊」の四首は、春の一日を思い切り仲間たちと楽しんでいる様が目に浮かぶ。「懽逢」の一首も楽しい出会い、春花のようにこれからの夢膨らむ歌であるが、「嘆旧」は、春が来ても人は年をとるだけだと嘆き、さらに開き直った感じで人と云う者は古びた様がよろしいと詠う、重い歌となっている。

 題詞も、万葉集編者の苦労が見られる。いずれも言い得て妙という感じである。題詞からも万葉集の面白さを感じるのである。こういったところにも万葉集万葉集たる所以のようなものが潜んでいるのかもしれない。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「訳しにくい助詞『ば』ついて解説【中学古典(文語文法)講座】(文系の雑学・豆知識)」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」