●歌は、「暇あらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るという恋忘れ貝」である。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」の中で、「忘れ貝」五首、「恋忘れ貝」五首の一首として紹介している。
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◆暇有者 拾尓将徃 住吉之 岸因云 戀忘貝
(作者未詳 巻七 一一四七)
≪書き下し≫暇(いとま)あらば拾(ひり)ひに行かむ住吉(すみのえ)の岸に寄るといふ恋(こひ)忘れ貝
(訳)暇があったら拾いに行きたいものだ。住吉の岸に打ち寄せられるという、恋忘れの貝を。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
この歌は、題詞「摂津作」の歌群一一三五から一一六〇歌の一首である。住吉と恋忘れ貝を詠った一一四九歌もみてみよう。
◆住吉尓 徃云道尓 昨日見之 戀忘貝 事二四有家里
(作者未詳 巻七 一一四九)
≪書き下し≫住吉(すみのえ)に行くといふ道に昨日(きのふ)見し恋忘れ貝言(こと)にしありけり
(訳)住吉に通じているという道で、昨日見つけた恋忘れ貝、この貝は、名前だけのものであったよ。(同上)
(注)一一四七歌に対して、実際に拾ってみたが貝の効力がないことへの嘆きの歌。
一一四七歌のように、「暇(いとま)あらば拾(ひり)ひに行かむ」という思いにかられ、一一四九歌のように折角見つけても「恋忘れ貝言(こと)にしありけり」と効き目がないことを嘆いている。それだけに恋の苦しみから逃れたい思いに駆られているのである。
万葉集には、「恋」を「孤悲」と表記した歌が三〇首ほどある。
次の歌をみてみよう。
◆従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者
(娘子 巻九 一七七八)
≪書き下し≫明日(あす)よりは我(あ)れは恋ひむな名欲山(なほりやま)岩(いは)踏(ふ)み平(なら)し君が越え去(い)なば
(訳)明日からは、私はさぞかし恋しくてならないことでしょう。あの名欲山を、岩踏み平しながらあなたの御一行が一斉に越えて行ってしまったならば。(同上)
万葉びとにとって、恋とは一七七八歌のように、好きな人と離れることになり、孤り悲しむことが恋であった。
万葉集は、歌を歌として正しく読まれるべきとの考えに基づき、漢字の表意性によらない書記の方法を選択し、一字一音書記となっている。
しかし、歌を書く書き手の遊び心が、たとえば「戯書(表記語の意味と文字の意義が合致しない)」といわれるものを生んでいる。「山上復有山」と書いて「いで」、「八十一」と書いて「くく」と読ませる類である。
「戀」を「孤悲」と書くのも恋の本質を理解した書き手の一首の遊び心であろう。
好きな人と離れて孤り悲しむことは、決して楽しいことではない。
二九〇八歌「常(つね)かくし恋ふれば苦ししましくも心休めむ事(こと)計(はか)りせ (訳:いつもこんなに恋い焦がれているのは苦しくてたまらない。ほんのしばらくでも、心を安らかにしてくれる手だてを考えてほしい。)」のように「心休めむ事計りせ」と思い、「恋忘れ貝」に「心休め」を求めるのであろう。
一一四九歌で「昨日(きのふ)見し恋忘れ貝言(こと)にしありけり」(昨日見つけた恋忘れ貝、この貝は、名前だけのものであったよ)と、実際に拾ってみたが貝の効力がないことを嘆いているだけであるが、「忘れ草」の場合は、忘れようとしている恋情が忘れられないからといって、「醜(しこ)の醜草(しこくさ)」とまで八つ当たりしているのである。
次の歌をみてみよう。
◆萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼乃志許草 猶戀尓家利
(作者未詳 巻十二 三〇六二)
≪書き下し≫忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)なほ恋ひにけり
(訳)忘れ草、憂いを払うというその草を垣根も溢れるほどに植えたけれど、なんというろくでなし草だ、やっぱり恋い焦がれてしまうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)しみみに【繁みみに・茂みみに】副詞:すきまなくびっしりと。「しみに」とも。※「しみしみに」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「忘れ草」を詠った歌は、万葉集では五首収録されている。五首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。
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恋にまつわる、忘れ貝や忘れ草のようなユーモアセンスたっぷりの歌が収録されているところに、万葉集の歌物語性を越えた娯楽性すら感じて思わず微笑んでしまう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」