万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1597、1598,1599)―広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(4,5,6)―万葉集 巻三 三三四、巻三 三七九、巻四 六七五

―その1597―

●歌は、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」である。

広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(4)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人

 

●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

       (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。

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 歌碑(プレート)の植物名は、「やぶかんぞう(藪萱草)」、万葉集花名「わすれぐさ」・現代花名「ヤブカンゾウ」と書かれている。

 

 三三四歌は、「古りにし里を忘れむがため」であるが、忘れたい、しかし忘れられない恋の苦しみゆえに、「忘れ草」や「忘れ貝」に万葉びとはすがったようである。

 「忘れ草」五首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。

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 「忘れ貝」五首、「恋忘れ貝」五首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。

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 心変わりした相手を忘れるために呪文歌もある。

 古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、「平城宮跡出土土器に書かれた・・・文字が近世の離別の呪符にみられるという。そしてその呪符には、

 我れ思う君の心は離れつる君も思わじ我も思わじ 

(訳)わたしの思うあなたの心は離れてしまった あなたは思わない 私も思うまい

という歌が書かれている。この歌は心変わりした相手を忘れるための呪文歌である。」

(注)平城宮跡出土土器に書かれた文字:次の図絵参照

平城宮跡出土土器に書かれた墨書文字」                     
「なぶんけんブログ 奈良文化財研究所HP」より引用させていただきました。

 

 さらに「この記号が平城宮出土土器にみえることは、この歌かあるいは似通った呪文歌が平城京時代にもあったとかんがえてよい。」と書かれている。

 

 「『我念君、君念我』の組み合わせ墨書文字」(なぶんけんブログ 奈良文化財研究所HP)にはつぎのように書かれている。

「この珍しい組み合わせ墨書文字は、平城宮内裏北方の官衙にあった塵捨て穴から出土した土師器の小型の杯に記されていた。・・・

 組み合わせ文字『我念君』は、文字遊びの一種とみられ、・・・近世には反語の意義で夫婦離別の祭文に使われていたことが、藤沢一夫先生によって明らかにされている。・・・今のところ、合わせ文字『我念君』に関しては、平城宮出土の墨書土器資料が最古例となる。」

 

 「戀」は万葉仮名の書き手の遊び心で「孤悲」と書いている歌がある。忘れたい、忘れられない、ますますつのる思い、このスパイラル、まさに孤悲しむである。いずれの時代にも誰にでも通じる心の渦である。呪いまではいかなくとも・・・。

 

 

―その1598―

●歌は、「ひさかたの天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に・・・」である。

広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(5)万葉歌碑<プレート>(大伴坂上郎女

 

●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

       (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生()れ来()たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫()き垂()れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸()け かくだにも 我(わ)れは祈()ひなむ 君に逢はじかも

 

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君に逢はじかも:祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現(伊藤脚注)

 

 題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。 

 

 この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1551)」で紹介している。

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歌碑(プレート)の植物名は、「ひさかき(姫賢木)<仏事に使用形が少し小型>・さかき(榊)<神事に使用>」、万葉集花名「さかき」・現代花名「サカキ(榊)」と書かれている。

 

 「ヒサカキ」については、「庭木図鑑 植木ペディア」には、「北海道及び青森県を除く日本全国に分布するツバキ科の常緑樹。多少乾燥した山中を好んで自生する。いかにも日本の木のようだが、原産地は中国であり、韓国や台湾などの中国南部に見られる。名前の由来には諸説あるが、①小型のサカキを意味する『姫サカキ』②サカキに似るがサカキではない『非サカキ』③実が沢山なる『実サカキ』④日当たりを好むため『陽サカキ』などの語源が知られる。年間を通じて艶のある葉をつけるためサカキ同様に縁起の良い木とされ、神棚へ供える玉串に使われる。サカキよりも耐寒性があり、サカキの少ない関東地方以北では本種をサカキと称することも多い。」と書かれている。

ヒサカキ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。

 

 

 

―その1599―

●歌は、「をみなへし佐紀沢に生える花かつみかつても知らぬ恋もするかも」である。

広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(6)万葉歌碑<プレート>(中臣女郎)

 

●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(6)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞

      (中臣女郎 巻四 六七五)

 

≪書き下し≫をみなえし佐紀沢(さきさわ)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも

 

(訳)おみなえしが咲くという佐紀沢(さきさわ)に生い茂る花かつみではないが、かつて味わったこともないせつない恋をしています。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)をみなへし【女郎花】:①おみなえし。②「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。 (weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)さきさわ(佐紀沢):平城京北一帯の水上池あたりが湿地帯であったところから

このように呼ばれていた。(伊藤脚注)

(注)はなかつみ【花かつみ】名詞:水辺に生える草の名。野生のはなしょうぶの一種か。歌では、序詞(じよことば)の末にあって「かつ」を導くために用いられることが多い。芭蕉(ばしよう)が『奥の細道』に記したように、陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼(=今の福島県郡山(こおりやま)市の安積山公園あたりにあった沼)の「花かつみ」が名高い。「はながつみ」とも。(学研)

(注)かつて【曾て・嘗て】副詞:〔下に打消の語を伴って〕①今まで一度も。ついぞ。②決して。まったく。 ⇒ 参考 中古には漢文訓読系の文章にのみ用いられ、和文には出てこない。「かって」と促音にも発音されるようになったのは近世以降。(学研)

 

六七五から六七九歌の歌群の、題詞は、「中臣女郎(なかとみのいらつめ)贈大伴宿祢家持歌五首」とある。

 

歌碑(プレート)の植物名は、「あやめ」万葉集花名「花かつみ」・現代花名「アヤメ」<ノハナショウブ>と書かれている。

「ノハナショウブ」について、「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)に、「北海道~九州、および韓国、中国東北部、シベリア東部に分布し、山野の草原や湿原に生える。多年草.分枝する根茎に褐色の多くの繊維がある。葉は剣状で,長さ3060 cm,幅512 mm,太い中肋が目立つ。・・・観賞用に栽培されるハナショウブは本種から改良された園芸品種であり、内花被片が大型になって外花被片との差がなくなり、色彩も豊富で、500余種に及ぶ」と書かれている。

「ノハナショウブ」 「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP)より引用させていただきました。

 

 なお「花かつみ」は、万葉集ではこの一首のみであるので、「マコモ」、「ヒメシャガ」、「ノハナショウブ」、「アヤメ」などの諸説がある。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1045)」で、称徳(孝謙天皇陵⇒平城天皇陵⇒水上池⇒磐姫皇后陵⇒中臣女郎の歌碑(六七五歌)をプチウォーキングした記事の中で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「植物データベース」(熊本大学薬学部 薬草園HP

★「庭木図鑑 植木ペディア」

★「なぶんけんブログ」 (奈良文化財研究所HP