―その1612―
●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。
●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(19)にある。
●歌をみていこう。
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は「女+感」であり「女+感心」「嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫春の園、紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」角川ソフィア文庫より)
(注)いでたつ:出て行ってそこに立つ
歌碑(プレート)の植物名は、「もも(桃)」、万葉集花名「もも」・現代花名「モモ」と書かれている。
次の歌と合わせて次稿で解説いたします。
―その1613―
●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。
●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(20)にある。
●歌をみていこう。
◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遺在可母
(大伴家持 巻十九 四一四〇)
≪書き下し≫我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも
(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(同上)
(注)はだれ 【斑】:「斑雪(はだれゆき)」の略
※はだれゆき 【斑雪】:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。
四一三九、四一四〇歌の題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝寶(てんぴょうしょうほう)三年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。
(注)天平勝宝二年:750年
(注)「一日の暮」の四一三九、四一四〇歌以下、二日の歌四一七四歌までが一まとまりで、巻十九の巻頭歌群。(伊藤脚注)
(注の注)このうち四一三九~四一五〇歌は、「越中秀吟」と称されている。
四一三九、四一四〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その199)」で紹介している。
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歌碑(プレート)の植物名は、「すもも(李」、万葉集花名「すもも」・現代花名「スモモ」と書かれている。
この二首をはじめとする「越中秀吟」が詠まれた背景には、妻の坂上大嬢が越中に来ていたという充実感に加え、来年には、都へ帰れるという大きな喜びがあったのであろう。
このようなとてつもないエネルギーを内に秘めて詠われた歌であるが故に、中西 進氏は、その編著「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」(角川新書)のなかで、四一三九歌について「その想像域を時間的にも空間的にもより広大もち・・・全アジアの美の構図を集約するものであるあるだろう。」と書かれ、さらに「まことしやかに『天平勝宝二年 三月一日の暮(ゆふへ)』と日時をことわりながら、その虚実をむしろ弄ぶように、誰もがすぐに気づく『樹下美人図』を描いてみせる。おまけに二首、桃と李(すもも)の二樹を並び立たせ、桃の紅花は美女の頭上に充満し、杏の白花は錯乱して美女の足下にある、といい、美を極めた画布であることを明白(あから)さまにして、読者を手玉にとる。北陸の国守の館(やかた)に『桃李』が妍(けん)を競うことなど、思わせぶりもいいところであろう。しかし、じじつそれこそが、二首の趣向であった。」と書いておられる。
美的感覚に優れた絵画的な歌にとどまらない深淵さを見せつけられた感じがするのである。
―その1614―
●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。
●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(21)にある。
●歌をみていこう。
◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里
(大伴家持 巻十九 四一五九)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり
(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(学研)
題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首 樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首 樹の名はつまま>である。
この四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。
四一五九歌から四一六五歌までについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。ここでは富山県高岡市太田の「つまま公園」の歌碑も紹介している。
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歌碑(プレート)の植物名は、「たぶのき(椨の木)」、万葉集花名「つまま」・現代花名「タブ」と書かれている。
「たぶのき」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。
―その1615―
●歌は、「ちちの実の父の命ははそ葉の母の命おほろかに心尽くして思ふらむその子なれやも・・・」である。
●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(22)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「慕振勇士之名歌一首并短歌」<勇士の名を振(ふ)るはむることを慕(ねが)ふ歌一首并(あわ)せて短歌>である。
◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母
(大伴家持 巻十九 四一六四)
≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも
(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研)
(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)
(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)
(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意
(注)さし【差し】接頭語:動詞に付いて、意味を強めたり語調を整えたりする。「さし仰(あふ)ぐ」「さし曇る」(学研)
(注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意
この歌については、短歌の四一六五歌ならびに追和した憶良の歌、九七八歌とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その607)」で紹介している。(なお四一六四、四一六五歌は前稿で紹介した拙稿(その867)では重複しておりますが、ご容赦下さい。)
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歌碑(プレート)の植物名は、「いぬびわ(犬枇杷)」、万葉集花名「ちち」・現代花名「イヌビワ」と書かれている。
いぬびわ【犬枇杷/天仙果】:クワ科の落葉低木。暖地に自生。葉は倒卵形。雌雄異株。春、イチジク状の花をつけ、熟すと黒紫色になり、食べられる。こいちじく。いたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
「ちち(イヌビワ)」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。
―その1616―
●歌は、「奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」である。
●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(23)にある。
●歌をみていこう。
◆於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無
(大原真人今城 巻二十 四四七六)
≪書き下し≫奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ
(訳)奥山に咲くしきみの花のその名のように、次から次へとしきりに我が君のお顔が見たいと思いつづけることでしょう、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)しきみ【樒】名詞:木の名。全体に香気があり、葉のついた枝を仏前に供える。また、葉や樹皮から抹香(まつこう)を作る。(学研)
(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)
この歌の題詞によると、天平勝宝八年(756年)十一月二十三日に、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主が宅(いへ)に集(つど)ひ飲宴(うたげ)をしているのである。この集いに誰が参加したのかは不明である。家持が「族(やから)を喩す歌」(四四六五歌)を詠んだのが同年六月一七日であるから、藤原氏一族との対峙の緊張感はピークに達している頃である。この時期、宴にあって反仲麻呂の話題が出ないはずはない。しかし、家持の歌どころか池主の歌も収録されていないのである。ただ大原真人今城の歌二首のみである。
しかも家持の幼馴染で、歌のやり取りも頻繁に行い万葉集にも数多く収録されている大伴池主の名前はこれ以降万葉集から消える。
さらに池主は奈良麻呂の変に連座し歴史からも名を消したのである
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1078)」で紹介している。
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歌碑(プレート)の植物名は、「しきみ(樒)」、万葉集花名「しきみ」・現代花名「シキミ」と書かれている。
「シキミ」とは、「庭木図鑑 植木ペディア」によると、「宮城県及び新潟県以西の本州、四国、九州及び沖縄に分布するシキミ科(あるいはマツブサ科)シキミ属の常緑樹。各地の山林に分布するが、光沢のある葉が美しく、サカキやヒサカキと同様、神仏事に使う実用性のある木」と書かれている。
「しきみ」 「庭木図鑑 植木ペディア」より引用させていただきました。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集の詩性 令和時代の心を読む」 中西 進 編著 (角川新書)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「庭木図鑑 植木ペディア」