万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その606、607)―西田公園万葉植物苑(41、42)―万葉集 巻二 一一一、巻十九 四一六四

―その606―

●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。

 

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西田公園万葉植物苑(41)万葉歌碑(弓削皇子

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(41)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その110)」「同200」他で紹介している。

 

◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久

                (弓削皇子 巻二 一一一)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く

 

(訳)古(いにしえ)に恋の焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)弓絃葉の御井:吉野離宮の清泉の通称か。

 

 題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。

 

 弓削皇子持統天皇吉野行幸の際、高齢のため行幸に参加できなかった額田王のことを思い出されて作られた歌である。

 

これに対し、額田王が和えられた歌が一一二歌である。これもみてみよう。

 

◆古尓 戀流鳥者 霍公鳥 蓋哉鳴之 吾念流碁騰

                (額田王 巻二 一一二)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと

 

(訳)古に恋い焦がれて飛び渡るというその鳥はほととぎすなのですね。その鳥はひょっとしたら鳴いていたかもしれませんね。私が去(い)にし方(かた)を一途に思いつづけているように。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「額田王奉和歌一首 従倭京進入」額田王、和(こた)へ奉る歌一首 倭の京より進(たてまつ)り入る>である。

 

 弓削皇子の歌に対して、霍公鳥はまさに、昔を懐かしむ自分の魂だと認めて歌った歌である。ちなみに、万葉集には鳥は三十八種類、五四四首に詠われているという。霍公鳥(ほととぎす)は最も多く一五六首に詠われている。

 

 弓絃葉(ゆずるは)は、今日のユズリハである。毎年、新しい葉が開いてから古い葉を落とすのでユズリハといわれている。別名は「親子草」である。絶えることのない世代の継承と子孫繁栄を願って正月の飾りなどに使われている。

 

 

 

―その607―

●歌は、「ちちの実の父の命はははそ葉の母の命おほろかに・・・」である。

 

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西田公園万葉植物苑(42)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(42)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「慕振勇士之名歌一首并短歌」<勇士の名を振(ふ)るはむることを慕(ねが)ふ歌一首并(あわ)せて短歌>である。

 

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

               (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)空しくあるべき:無為に過ごしてよいものであろうか。ここまで前段、次句以下後段。(伊藤脚注)

(注)さしまくる心障(さや)らず:御任命下さった大御心に背くことなく。「さし」は指命する意か。「まくる」は「任く」の連体形。(伊藤脚注)

(注の注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

(注の注)さやる【障る】自動詞:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。(学研)

短歌の方もみてみよう。

 

 

◆大夫者 名乎之立倍之 後代尓 聞継人毛 可多里都具我祢

              (大伴家持 巻十九 四一六五)

 

≪書き下し≫ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね

 

(訳)ますらおたる者は、名を立てなければならない。のちの世に聞き継ぐ人も、ずっと語り伝えてくれるように。(同上)

 

 

左注は、「右二首追和山上憶良臣作歌」<右の二首は、追和山上憶良臣(やまのうえのおくらのおみ)が作る歌に追(お)ひて和(こた)ふ>である。

 

山上憶良の歌は、九七八歌である。こちらもみておこう。

 

◆士也母 空應有 萬代尓 語継可 名者不立之而

               (山上憶良 巻六 九七八)

 

≪書き下し≫士(をのこ)やも空(むな)しくあるべき万代(よろづよ)に語り継(つ)ぐべき名は立てずして

 

(訳)男子たるもの、無為に世を過ごしてよいものか。万代までも語り継ぐにたる名というものを立てもせずに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「名をたてる」ことを男子たる者の本懐とする、中国の「士大夫思想」に基づく考え。

 

 西田公園万葉植物苑にあるこの歌を見て行くうちに、「男子の本懐」にまで触れることになってしまったが、「ちち」については、イヌビワ説とイチョウ説があった。イヌビワは、葉や枝を折ったり、実を傷つけると白い乳液が出ることから、またイチョウは木が古くなると幹に乳房状の突起ができることから共にチチノキといわれていた。近年、研究の結果イチョウ室町時代に中国から渡来した説が有力になり、「チチノキ」はイヌビワ説が本命だと考えられようになってきた。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」