●歌は、「心なき鳥にぞありけるほととぎす物思ふ時に鳴くべきものか」である。
●歌をみていこう。
◆許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可
(中臣宅守 巻十五 三七八四)
≪書き下し≫心なき鳥にぞありけるほととぎす物思(ものも)ふ時に鳴くべきものか
(訳)心なき鳥、そう、思いやりのない鳥ではあるよ。時鳥よ、お前は、物思いに沈んでいるこんな時に、鳴いたりしてよいものか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ものか 分類連語:①…ものか。…ていいものか。▽非難の意をこめて問い返す意を表す。②(なんとまあ)…ことよ。(驚いたことに)…ではないか。▽意外な事態に驚いたときの強い感動を表す。 ⇒参考:活用語の連体形に接続する。 ⇒なりたち:形式名詞「もの」+係助詞「か」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
三七八四、三七八五歌の歌碑の撮影はしたが、三七七九から三七八三歌の歌碑は写していない。機会があればまた訪れて万葉ロマンの道を歩いて撮影したいものである。
三七七九から三七八三歌については、次稿で紹介させていただきます。
三七八〇から三七八四歌の第三句に、三七八五歌の初句に「ほととぎす」が配されている。
神野志隆光氏がその著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)に「娘子の死をもってまとめられた物語として読むこととなります。余儀ない別離と、その嘆きのなかに時を経て、娘子の死をもって閉じる―、その展開を、歌だけで構成してみせるのです。現実に生きた宅守の実話としてあらしめるそれは、『実録』というのがふさわしいのです。」と書かれているが、この三七七九から三七八五歌の歌群の左注は、「右の七首は、中臣朝臣宅守、花鳥に寄せ、思ひを陳(の)べて作る歌」であるが、これまでの狭野弟上娘子との贈答歌からみれば、独白詠嘆的な歌群とみることができるのである。
特に「ほととぎす」をこのような形で配するのは、「ほととぎす」を娘子への追想の代弁としているからと思われる。
岡山県自然保護センターの田中瑞穂氏の「万葉の動物考」に、万葉集で一番詠われている鳥は、「霍公鳥(ほととぎす)」で一五三首、次いで「雁(かり)」六七首、「鶯(うぐひす)」五一首であると書かれている。
よく詠われているその理由として、「(1)鳴き声が大きく、良く通る声で遠くまで聞こえること。(2)鳴き声に特徴があって、他の鳥と間違えることがないこと。(3)鳴く時期に、季節感を感じさせること。」を挙げておられる。
「ほととぎす」の場合は「卯の花」「花橘」「あやめぐさ」「藤波」など季節の花と抱き合わせで、また「鳴く」「響(とよも)す」といった言葉と共に詠われることが多い。「ほととぎす」を「ほととぎす」として詠っている歌が圧倒的に多いのである。
しかし「ほととぎす」はこのような、派手さを伴う側面がとりあげられているが、それとは逆に重々しい面を抱えている。前者が、「陽のほととぎす」とすれば、後者は、「陰のほととぎす」ともいうべきか。
題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。
◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久
(弓削皇子 巻二 一一一)
≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く
(訳)古(いにしえ)に恋の焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
弓削皇子が持統天皇吉野行幸の際、のため行幸に参加できなかった額田王のことを思い出されて作られた歌である。
次に、額田王の歌をみてみよう。
題詞は、「額田王奉和歌一首 従倭京進入」額田王、和(こた)へ奉る歌一首 倭の京より進(たてまつ)り入る>である。
◆古尓 戀流鳥者 霍公鳥 蓋哉鳴之 吾念流碁騰
(額田王 巻二 一一二)
≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと
(訳)古に恋い焦がれて飛び渡るというその鳥はほととぎすなのですね。その鳥はひょっとしたら鳴いていたかもしれませんね。私が去(い)にし方(かた)を一途に思いつづけているように。(同上)
ここでは「ほととぎす」は、「懐古の悲鳥とみる中国の故事にのよる」としてみている。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その110改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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石上堅魚と大伴旅人の歌をみてみよう。
題詞は、「式部大輔石上堅魚朝臣歌一首」<式部大輔(しきぶのだいぶ)石上堅魚(いそのかみのかつを)朝臣(あそみ)が歌一首>である。
◆霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎
(石上堅魚 巻八 一四七二)
≪書き下し≫ほととぎす来鳴き響(とよ)もす卯(う)の花の伴(とも)にや来(こ)しと問はましものを
(訳)時鳥が来てしきりに鳴き立てている。お前は卯の花の連れ合いとしてやって来たのかと、尋ねたいものだが。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
「卯の花の伴にや来しと」は「ほととぎす」を、妻を亡くした大伴旅人に見立てて詠っているのである。
これに対し、旅人が和(こた)えた歌は、次の通りである。
◆橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多毛
(大伴旅人 巻八 一四七三)
≪書き下し≫橘の花散(ぢ)る里のほととぎす片恋(かたこひ)しつつ鳴く日しぞ多き
(訳)橘の花がしきりに散る里の時鳥、この時鳥は、散った花に独り恋い焦がれながら、鳴く日が多いことです。(同上)
(注)片恋しつつ:亡妻への思慕をこめる
ここでの「ほととぎす」は、「片恋しつつ鳴く」と亡妻への思いを胸に鳴く「ほととぎす」に自分の思いを託しているのである。
一四七二、一四七三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その896)」で紹介している。
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このようにみてくると、三七八〇から三七八四歌で詠われている「ほととぎす」はまさに「陰のほととぎす」であり、懐古、悲傷の鳥というにふさわしい。残念ながら、中臣宅守と狭野弟上娘子の物語はハッピーエンドではないと「おととぎす」からも見て取れるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「万葉の動物考」 田中瑞穂 稿 (岡山県自然保護センター)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」