万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1905~1907)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(70,71,72)―万葉集 巻九 一七三一、巻十九 四二二六、巻八 一四九一

―その1905―

●歌は、「山科の石田の社に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(70)万葉歌碑<プレート>(藤原宇合

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(70)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山科乃 石田社尓 布麻越者 盖吾妹尓 直相鴨

      (藤原宇合 巻九 一七三一)

 

≪書き下し≫山科の石田の社(もり)に幣(ぬさ)置かばけだし我妹(わぎも)に直(ただ)に逢はむかも

 

(訳)山科の石田の社(やしろ)に幣帛(ぬさ)を捧げたなら、ひょっとしていとしいあの人に、夢でなくじかに逢(あ)えるだろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

一七二九から一七三一歌の題詞は、「宇合卿歌三首」<宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首>である。

この歌ならびに他の二首については、石田の杜である,京都市伏見区石田森西町に鎮座する天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ・旧田中神社・石田神社)の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で紹介している。

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―その1906―

●歌は、「この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(71)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(71)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。

 

◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見

     (大伴家持 巻十九 四二二六)

 

≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む

 

(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。

 

左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。

天平勝宝二年十二月の歌である。

 

この歌については、家持が山橘を詠んだ歌もう一首とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その832)」で紹介している。

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―その1907―

●歌は、「卯の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間も置かずこゆ鳴き渡る」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(72)万葉歌碑<プレート>(大伴家持



●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(72)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首」<大伴家持、雨日(あめふるひ)に霍公鳥の喧(な)くを聞く歌一首>である。

 

◆宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡

       (大伴家持 巻八 一四九一)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の過ぎば惜しみかほととぎす雨間(あまま)も置かずこゆ鳴き渡る

 

(訳)卯の花が散ってしまうと惜しいからか、時鳥が雨の降る間(ま)も休まず、ここを鳴きながら飛んで行く。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまま【雨間】名詞:雨と雨との合間。雨の晴れ間。(学研) 

(注の注)雨間も置かず:雨の降る間もいとわずに。(伊藤脚注)

(注)こ【此】代名詞:これ。ここ。▽近称の指示代名詞。話し手に近い事物・場所をさす。⇒注意:現代語では「この」の形で一語の連体詞とするが、古文では「こ」一字で代名詞。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1748)」で紹介している。

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 現代一般的に使われている、「晴れ間」は、「①降っていた雨や雪などが一時的にやんでいる間。『雨の―をみて出かける』、「② 雲の切れ間などからのぞく晴れた空。『―がのぞく』」(コトバンク デジタル大辞泉)という意味であるから。「雨間」とほぼ同じ意味と考えてよいと思われる。「雨間」は面白い表現である。

 この「雨間」という表現は万葉集では四首に見られる。他の三首をみてみよう。

 

■一五六六歌■

題詞は、「大伴家持秋歌四首」<大伴家持が秋の歌四首>である。

 

◆久堅之 雨間毛不置 雲隠 鳴曽去奈流 早田鴈之哭

       (大伴家持 巻八 一五六六)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨間(あまま)も置かず雲隠(くもがく)り鳴きぞ行くなる早稲田(わさだ)雁(かり)がね

 

(訳)雨の降る間(ま)も休みなく、雲に隠れてしきりに鳴き立てて飛んで行く。早稲田の雁が。(同上)

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)早稲田雁がね:早稲田の上を飛んで行く雁。「早稲田」は「刈り」の同音によって「雁」を呼び起す働きももつ。(伊藤脚注)

 

左注は、「右四首天平八年丙子秋九月作」<右の四首は、天平八年丙子(ひのえね)の秋の九月に作る。>である。

(注)天平八年:736年

 

 

■一九七一歌■

雨間開而 國見毛将為乎 故郷之 花橘者 散家武可聞

       (作者未詳 巻十 一九七一)

 

≪書き下し≫雨間(あまま)明(あ)けて国見(くにみ)もせむを故郷(ふるさと)の花橘は散りにけむかも

 

(訳)雨の晴れ間を待って山野を眺めたいと思っているのに、故郷の橘の花は、雨に打たれてもう散ってしまったことであろうか。(同上)

(注)雨間明けて:雨の晴れ間が明くのを待って。(伊藤脚注)

(注)故郷:ここは古京である藤原京または明日香京を指す。(伊藤脚注)

 

 

■三二一四歌■

◆十月 雨間毛不置 零尓西者 誰里之 宿可借益

       (作者未詳 巻十二 三二一四)

 

≪書き下し≫十月(かむなづき)雨間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし

 

(訳)この寒い十月というのに、晴れ間もなしに雨が降り続いたなら、いったいどこの村里の宿を借りたらよいのであろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)せば 分類連語:もし…だったら。もし…なら。 ⇒参考:多く、下に反実仮想の助動詞「まし」をともない、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ⇒注意:「せば」の形には、サ変の未然形「せ」+接続助詞「ば」の場合もある。 ⇒なりたち:過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」(学研)

 

 「雨間」は雨と雨の間(あいだ)で、「晴れ間」は晴れた(ちょっとした)間(ま)ということだろう。

 

 

 昨日の稿(その1902)」で「黒髪山」にふれ、近くに元明天皇元正天皇の陵があると書いたが、今日鴻池グランドの方面にパンを買いに行ったついでに、東陵と西陵を訪ねて来たのである。



 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉