万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その506)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(8)―万葉集 巻三 三三〇

●歌は、「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(8)万葉歌碑(大伴四綱 ふじ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君

                 (大伴四綱 巻三 三三〇)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君

 

(訳)ここ大宰府では、藤の花が真っ盛りになりました。奈良の都、あの都を懐かしく思われますか、あなたさまも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「思ほすや君」:大伴旅人への問いかけ

 

この歌の題詞は、「防人司佑大伴四綱歌二首」<防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)が歌二首>である。

 

もう一首もみてみよう。

 

◆安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念

               (大伴四綱 巻三 三二九)

 

≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思ほゆ

 

(訳)安らかに見そなわす我が大君がお治めになっている国、その国々の中では、私はやはり都が一番懐かしい。(同上)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ※なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

 

 「ふじ」は、日本固有の植物で、古くから「藤」の字が当てられていた。「ふじ」は万葉集では二十六首に詠み込まれている。三三〇歌の「藤波」と言う言葉では、十八首が収録されている。藤の花房が風に揺れ動くさまを波に見立てているのである。

 

上述の三二九、三三〇歌を含む三二八から三三七歌までの歌群は、小野老が従五位上になったことを契機に大宰府で宴席が設けられ、その折の歌といわれている。

 

歌をおってみよう。

 

題詞は、「大宰少貳小野老朝臣歌一首」<大宰少貳(だざいのせうに)小野老朝臣(をののおゆのあそみ)が歌一首>である。

 

◆青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有

                 (小野老 巻三 三二八)四

 

≪書き下し≫あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

 

(訳)あおによし奈良、この奈良の都は、咲き誇る花の色香が匂い映えるように、今こそ真っ盛りだ。(同上)

(注)あをによし【青丹よし】分類枕詞:奈良坂の付近で「青丹」を産したところから、「奈良(なら)」にかかる。>あをに【青丹】名詞:①顔料や染料に用いられる、青黒い土。岩緑青(いわろくしよう)。②染め色の一つ。濃い青色に、黄色の加わった色。③襲(かさね)の色目の一つ。表裏ともに、濃い青に黄色がかった色。(学研)

(注)「今盛有」:最近奈良の都に行ってきたので、この表現があるようである。従五位上の辞令を承けにいったのかもしれない。

 

題詞は、「帥大伴卿歌五首」<帥大伴卿(そちのおほとものまへつきみ)が歌五首>である。

 

◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成

              (大伴旅人 巻三 三三一)

 

≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

 

(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない、ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(同上)

(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ➡語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)

(注)この歌は、三三〇歌(大伴四綱)の「平城京乎 御念八君」の問いかけに答えたもの。

 

 

◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為

               (大伴旅人 巻三 三三二)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川(をがわ)を行きて見むため

 

(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川、あの清らかな流れを、もう一度行って見るために。(同上)

 

◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞

               (大伴旅人 巻三 三三三)

 

≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも

 

(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと想い出される。(同上)

(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる(学研)

(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。(学研)

 

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

                (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(同上)

 

◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛

               (大伴旅人 巻三 三三五)

 

≪書き下し≫我(わ)が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にはならずて淵(ふち)しありこそ

 

(訳)私の筑紫在任はそんなに長くはあるまい。あの吉野のわだよ、浅瀬なんかにならず深い淵のままであっておくれ。(同上)

(注)「我(わ)が行き」:私の旅、大宰府在任をいう。

(注) わだ【曲】名詞:入り江など、曲がった地形の所。(学研)

 

 題詞は、「沙弥満誓詠綿歌一首  造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也」<沙弥満誓(さみまんぜい)、綿(わた)を詠(よ)む歌一首  造筑紫觀音寺別当、俗姓は笠朝臣麻呂なり>

 

◆白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見

               (沙弥満誓 巻三 三三六)

 

≪書き下し≫しらぬひ筑紫(つくし)の綿(わた)は身に付けていまだは着(き)ねど暖(あたた)けく見ゆ

 

(訳)しらぬひ筑紫、この地に産する綿は、まだ肌身に付けて着たことはありませんが、いかにも暖かそうで見事なものです。(同上)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。

 

 

題詞は、「山上憶良臣罷宴歌一首」<山上憶良臣(やまのうえのおくらのおみ)、宴(うたげ)を罷(まか)る歌一首>である。

 

◆憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽

                (山上憶良 巻三 三三七)

 

≪書き下し≫憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむそれその母も吾(わ)を待つらむぞ

 

(訳)憶良どもはもうこれで失礼いたしましょう。家では子どもが泣いていましょう。多分その子の母も私の帰りを待っていましょうよ。(同上)

(注)「憶良ら」の「ら」は謙譲の意を添える接尾語。

(注)「彼母毛」:直接「妻」と言わないところに戯笑がこもる。

 宴席の座を白けさせずに退席の一首はお見事のひとことにつきる。

 

 小野老が奈良の都から戻り、今の都のあり様を「寧樂乃京師者 咲花乃 薫如」(三二八歌)と歌い上げ、大伴四綱が三二九歌で、老の「寧樂乃京師」を受け、「京師所念」と答え、さらに、大伴旅人に「平城京乎 御念八君」(三三〇歌)と問いかけ、旅人が、花の盛りと異なる今の自分を見つめ、その思いを「寧樂京乎 不見歟将成」(三三一歌)と答えているのである。そして、「昔見之 象小河乎」(三三二歌)、「故郷之」(三三三歌)、「香具山乃 故去之里」(三三四歌)と望郷の思いを強く詠いつつ「吾行者 久者不有」(三三五歌)で少し都への帰還の望みを訴えるのである。続いて、沙弥満誓が「白縫 筑紫乃綿」(三三六歌)で譬喩的に筑紫もよいところですよと歌うのである。そして「憶良等者 今者将罷」(三三七歌)でお開きに持っていく一つの歌物語的に収録されている。

 記録が残されているのか、歌を編集してストーリーをまとめたのかはわからないが、いずれにせよ、歌そのものが『記録』され明確に「起承転結編纂」がなされているところに万葉集のすごさがある。この十首の歌で、万葉時代のこの宴席に同席しているような雰囲気に飲み込まれるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」