●歌は、「妹待つと御笠の山の山菅のやまずや恋ひむ命死なずは」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(119)にある。
●歌をみていこう。
◆妹待跡 三笠乃山之 山菅之 不止八将戀 命不死者
(作者未詳 巻十二 三〇六六)
≪書き下し≫妹(いも)待つと御笠(みかさ)の山の山菅(やますげ)のやまずや恋ひむ命死なずは
(訳)あの子がもう来るかと窺(うかが)い見る、御笠の山の山菅のように、やむ時もなく恋い焦がれるというのであろうか。この命の死なないかぎり。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「やまず」を起こす。
春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『やますげ・やますが(山菅)』には山中に生えるスゲの総称とする説があるが『藪蘭(ヤブラン)』と『蛇の髭(ジャノヒゲ)』の二説が有力である。常緑多年草で、藪に生え、葉が『蘭(ラン)』に似ているので『藪蘭(ヤブラン)』の名が付く。根茎は太く短く、ヒゲのある根は細長く、ところどころにふくれた部分がある。『ジャノヒゲ』の根も共々に、根を乾燥させたものを『鎮咳(チンガイ)・去痰剤(キョタンザイ)と称し、漢方では同様に鎮痛・解熱・滋養・強壮・鎮咳(チンガイ)去痰剤(キョタンザイ)などの薬用として使われる。(後略)』と書かれている。
ヤブランは根が深くはって、強く土や岩に食い込んでいるので、万葉びともこの根の様子から恋心の深さ・強さを連想したのであろう。
「山菅」が詠われている歌をみてみよう。
◆山菅之 實不成事乎 吾尓所依 言礼師君者 与孰可宿良牟
(大伴坂上郎女 巻四 五六四)
≪書き下し≫山菅(やますげ)の実ならぬことを我(わ)れに寄(よ)そり言はれし君は誰(た)れとか寝(ぬ)らむ
(訳)山に生える菅には実(み)がならないと言いますが、所詮(しょせん)実らぬ間柄なのに、私と結びつけられて世間から取り沙汰(ざた)されている君は、今頃どこのどなたと寝ているのかしら。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)やますげの【山菅の】[枕]:① 山菅の葉が茂り乱れている意から、「乱る」「背向 (そがひ) 」にかかる。② 山菅の実の意で、「実」にかかる。③ 山菅の「やま」と同音の、「止まず」にかかる。(goo辞書)
◆烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷 益ゝ所思
(作者未詳 巻十一 二四五六)
≪書き下し≫ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思(おも)ほゆ
(訳)みずみずしい黒髪山の山菅、その菅に小雨が降りしきりるように、あの人のことがしきりに思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上四句「烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷」は序、「益ゝ(しくしく)」を起こす。
(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その16改)」で紹介している。
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◆山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍
(作者未詳 巻十一 二四七四)
≪書き下し≫山菅(やますげ)の乱(みだ)れ恋(こひ)のみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経(へ)につつ
(訳)入り組んだ山菅の根のように千々に乱れる思いばかり味わわせて、いっこうに逢(あ)ってくれないあの子だ。年はいたずらに過ぎて行くばかりで。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)山菅の:「乱れ恋」の枕詞
◆足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉
(作者未詳 巻十一 二四七七)
≪書き下し≫あしひきの名(な)負(お)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも
(訳)足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し伏せてあなたが契りを結ばれるのでしたら、お逢いしないこともありませんよ。(同上)
(注)上二句は序。「押し伏せて」を起こす。
◆山川 水陰生 山草 不止妹 所念鴨
(柿本人麻呂歌集 巻十二 二八六二)
≪書き下し≫山川(やまがは)の水陰(みづかげ)に生(お)ふる山菅(やますげ)のやまずも妹(いも)は思ほゆるかも
(訳)山川の水蔭に生い茂っている山菅、その名のようにやまずにいつもいつも、あの子は心の中から消えることがない。(同上)
(注)上三句は序。「やまず」を起こす。
◆足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎 <或本歌曰 吾念人乎 将見因毛我母>
(作者未詳 巻十二 三〇五一)
≪書き下し≫あしひきの山菅(やますが)の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を <或る本の歌には「我(あ)が思ふ人を見むよしもがも」といふ>
(訳)山菅の長い根ではないが、ねんごろに心底私は恋い焦がれています。あなたのお姿に。<私が思っているあの方に逢えるきっかけがあればよいのに>(同上)
(注)上二句は序。「ねもころに」を起こす。
◆足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞
(作者未詳 巻十二 三〇五三)
≪書き下し≫あしひきの山菅の根のねもころにやまず思はば妹(おも)に逢はむかも
(訳)山菅の長い根ではないが、ねんごろに心底いつまでも思いつづけていたら、あの子に逢えるのであろうか。(同上)
(注)上二句は序。「ねもころに」を起こす。
◆山菅之 不止而公乎 念可母 吾心神之 頃者名寸
(作者未詳 巻十二 三〇五五)
≪書き下し≫山菅(やますげ)のやまずて君を思へかも我(あ)が心どのこのころはなき
(訳)山菅の名のように、止むこともなくあの方のことを思っているから、私の心の働きが、このごろはまるっきりなくなってしまった。(同上)
(注)山菅の:「やまず」の枕詞。
◆玉葛 無恙行核 山菅乃 思乱而 戀乍将待
(作者未詳 巻十二 三二〇四)
≪書き下し≫玉葛(たまかづら)幸(さき)くいまさね山菅(やますげ)の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
(訳)延びて尽きない玉葛のように、ずっとご無事で行ってらっしゃいね。山菅の根のように、思い乱れて恋い焦がれながらもお帰りをお待ちしましょう。(同上)
(注)たまかづら【玉葛/玉蔓】①[名]つる草の美称。②[枕]つるがのび広がるところから、「長し」「延(は)ふ」「繰る」「絶えず」などにかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)玉葛、山菅の:いずれも枕詞。
◆三芳野之 真木立山尓 青生 山菅之根乃 慇懃 吾念君者 天皇之 遣之万ゝ<或本云 王 命恐> 夷離 國治尓登 <或本云 天踈 夷治尓等> 群鳥之 朝立行者 後有 我可将戀奈 客有者 君可将思 言牟為便 将為須便不知 <或書有 足日木 山之木末尓 句也> 延津田乃 歸之 <或本無歸之句也> 別之數 惜物可聞
(作者未詳 巻十三 三二九一)
≪書き下し≫み吉野の 真木(まき)立つ山に 青く生(お)ふる 山菅(やますが)の根の ねもころに 我(あ)が思(おも)ふ君は 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに <或本には「大君の 命畏み」といふ> 鄙離(ひなざか)る 国治(をさ)めにと <或本には「天離る 鄙治めにと」といふ> 群鳥(むらとり)の 朝立(あさだ)ち去(い)なば 後(おく)れたる 我(あ)れか恋ひむな 旅なれば 君か偲(しの)はむ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず<或書には「あしひきの山の木末に」の句あり> 延(は)ふ蔦(つた)の 行きの <或本には「行きの」句なし> 別れのあまた 惜しきものかも
(訳)み吉野の真木の茂り立つ山に、青々と生い茂る山菅の根、その根ではないが、ねんごろに心の底から私のお慕いしているあなたは、今、大君の御命令のままに<大君の仰せを恐れ謹んで>、都を遠く離れた鄙の国を治めるため<遠い鄙を治めるため>、群鳥のように朝早く出で立って行かれる、こうして行ってしまわれたなら、あとに残されたこの私はどんなに苦しみにさいなまれることか。旅先なのだからあなたも家を偲んでどんなにかさびしい思いをされることでしょう。ああ、どう言っていいのか、どうすればよいのか、手だてとてなく、<或書には「あしひきの山の木末に」という句がある>、這(は)い廻る蔦が延びて<或本には「行きの」の句がない>また別れるというではないが、お別れするのがひどく惜しまれてなりません。(同上)
(注)「み吉野の 真木(まき)立つ山に 青く生(お)ふる」は序。「ねもころに」を起こす。
(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)
◆可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母
(作者未詳 巻十四 三五七七)
≪書き下し≫愛(かな)し妹(いも)をいづち行かめと山菅(やますげ)のそがひに寝(ね)しく今し悔(くや)しも
(訳)かわいい妻よ、お前さんが私を離れてどこへ行くものかとたかをくくって、山菅の葉のように背を向け合って寝たこと、そのことが今となっては悔やまれてならないのだよ。(同上)
(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。 ※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれ(学研)
(注)山菅の:「そがひ」の枕詞。
(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)
◆佐久波奈波 宇都呂布等伎安里 安之比奇乃 夜麻須我乃祢之 奈我久波安利家里
(大友家持 巻二十 四四八四)
≪書き下し≫咲く花はうつろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり
(訳)はなやかに咲く花はいつか散り過ぎる時がある。しかし、目に見えぬ山菅の根こそは、ずっと変わらず長く続いているものなのであった。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1044)」で紹介している。
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以上みてきたように、万葉集には十三首が収録されている。
山菅の葉が茂り乱れている意から、「乱る」「背向 (そがひ) 」にかかる枕詞として使われているのは、二四七四、三二〇四、三五七七歌であり、 山菅の実の意で、「実」にかかる枕詞としては、五六四歌、 山菅の「やま」と同音の、「止まず」にかかる枕詞は、二八六二、三〇五五、三〇六六歌に使われている。
山菅の根に主眼を置き、「根のねもころに」「根し長く」にかかる枕詞として、三〇五一、三〇五三、三二九一、四四八四歌で使われている。
二四五六歌の「ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)」と、二四七七歌では、「あしひきの名(な)負(お)ふ山菅(やますげ)」と山菅自体を詠っている歌は二首であり、いずれも止むことのない一途な恋心を、山菅の特徴をとらえて詠っているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」