●歌は、「入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(92)にある。
●歌をみていこう。
◆伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流ゝゝ 和尓奈多要曽祢
(作者未詳 巻十四 三三七八)
≪書き下し≫入間道(いりまぢ)の於保屋(おほや)が原(はら)のいはゐつら引かばぬるぬる我(わ)にな絶(た)えそね
(訳)入間の地の於保屋(おおや)が原のいわい葛(づら)のように、引き寄せたならそのまま滑らかに寄り添って寝て、私との仲を絶やさないようにしておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「引かばぬるぬる」を起こす。
(注)ぬる 自動詞:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 「寝る」を懸ける。
この歌についはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1121)」で、「いはゐづら」の類歌の三四一六歌(上野の国)、ならびに「たはみづら」を詠った類歌(三五〇一歌、末勘国)も併せて紹介している。
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三三七三から三三八一歌は「武蔵(むさし)の国の歌」である。部立は「相聞」である。
すべてみてみよう。武蔵の国の歌には、「雑歌」、「挽歌」の部立の歌はない。
歌群の左注に「右の九首は武蔵の国の歌」とあるが、三三七六歌の「或る本の歌」をカウントすれば十首になる。
◆多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎
(作者未詳 巻十四 三三七三)
≪書き下し≫多摩川(たまがは)にさらす手作(てづく)りさらさらになにぞこの子のここだ愛(かな)しき
(訳)多摩川にさらす手織の布ではないが、さらにさらに、何でこの子がこんなにもかわいくってたまらないのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「さらさらに」を起こす。
(注)さらす【晒す・曝す】他動詞:①外気・風雨・日光の当たるにまかせて放置する。②布を白くするために、何度も水で洗ったり日に干したりする。③人目にさらす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意
(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研) ここでは②の意
リズミカルで、心情そのままの思いを詠っている。労働作業歌であろう。
◆武蔵野尓 宇良敝可多也伎 麻左弖尓毛 乃良奴伎美我名 宇良尓R尓家里
(作者未詳 巻十四 三三七四)
≪書き下し≫武蔵野(むさしの)に占部(うらへ)かた焼きまさでにも告(の)らぬ君が名(な)占(うら)に出(で)にけり
(訳)武蔵野で占い師が象(かた)を焼いて焙(あぶ)り出したりしても、はっきりとお告げなどあるはずのないあの方の名、その名が、あんな占いに顕れてしまった。(同上)
(注)うらべ【卜部・占部】名詞:律令制で、「神祇官(じんぎくわん)」に属し、占いをつかさどった職。また、その職にある者。(学研)
(注)かた焼き:鹿の肩の骨を焼いて占う
(注)まさでに【正でに】副詞:まさしく。確かに。(学研)
二人の仲を快く思わない母親が占ったのかもしれない。知っていて占いに出た形で、といったストーリーも考えられる。二人の壁は母親であることが多い。母親の壁に関してはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1122)」で紹介している。
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◆武蔵野乃 乎具奇我吉藝志 多知和可礼 伊尓之与比欲利 世呂尓安波奈布与
(作者未詳 巻十四 三三七五)
≪書き下し≫武蔵野(むさしの)のをぐきが雉(きざし)立ち別れ去(い)にし宵(よひ)より背(せ)ろに逢(あ)はなふよ
(訳)武蔵野の山ふところに潜む雉(きじ)がぱっと飛び立つように、突然門出して行ってしまわれたあの日の晩から、ずっとあの人に逢っていないよ、私は。(同上)
(注)上二句は序。「立ち」を起こす。
(注)をぐき:「小岫」山の洞穴か
(注の注)くき【岫】① 山の洞穴。② 山の峰。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)なふ 助動詞特殊型:《接続》動詞の未然形に付く。〔打消〕…ない。…ぬ。 ※上代の東国方言。(学研)
何が原因か分からないが、突然立ち去ったあの人を雉が飛び立ったようと譬え、その日から逢っていないと詠っているだけと言えばそれまでだが、ポカンとした気持ちが前に出ている素朴なだけに訴えたい気持ちに添ってあげたい雰囲気に引き込まれる歌である。
◆古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米
(作者未詳 巻十四 三三七六)
≪書き下し≫恋(こひ)しけば袖(そで)も振らむを武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(づ)なゆめ
(訳)恋しかったら私は袖でも振りましょうものを。しかし、あなたは、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出す。そんなことをしてはいけませんよ。けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)うけら【朮】名詞:草花の名。おけら。山野に自生し、秋に白や薄紅の花をつける。根は薬用。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌、次の「或る本の歌」ならびに三三七九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その340)」で紹介している。
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「或本歌曰」<或る本の歌に曰(い)はく>
◆伊可尓思弖 古非波可伊毛尓 武蔵野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓弖受安良牟
≪書き下し≫いかにして恋ひばか妹(いも)に武蔵野のうけらが花に出(で)ずあらむ
(訳)どんなふうに恋い慕ったなら、あの子に対して、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出すようなことをしないですますことができるのであろうか。(同上)
自分の恋心を心静かに分析しているが、逆に「忍れど色に出にけり・・・」ではないが、燃える恋の炎は・・・。
◆武蔵野乃 久佐波母呂武吉 可毛可久母 伎美我麻尓末尓 吾者余利尓思乎
(作者未詳 巻十四 三三七七)
≪書き下し≫武蔵野の草葉(くさは)もろ向(む)きかもかくも君がまにまに我(あ)は寄りにしを
(訳)武蔵野の草葉のいっせいの靡(なび)きではありませんが、私はああであろうとこうであろうと、どんな場合にもあんたの思いのままになってきたのですよ。なのに・・・(同上)
(注)上二句は序。下三句の譬喩。
(注)もろ- 【諸・両】接頭語:〔名詞に付いて〕①二つの。両方の。「もろ手」「もろ刃」。②多くの。もろもろの。「もろ人」「もろ神」。③いっしょの。共にする。「もろ涙」「もろ持ち」 ここでは③の意
(注)かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)
(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考 名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)
(注)を 間投助詞 《接続》種々の語に付く。:①〔強調〕…ね。…よ。▽文中に用いる。②〔感動・詠嘆〕…なあ。…なのになあ。…よ。▽文末に用いる。③〔原因・理由〕…が…なので。▽体言に付き、下に形容詞の語幹に接尾語「み」が付いた語・語句を伴う「…を…み」の形で用いる。(学研) ここでは②の意
東歌は、素朴で、情熱的な歌が多いが、恋のライフサイクルではないが、衰退期に入ると、三三七五歌然り、淡々と振り返っている。それだけエネルギーを使い果たした満足感がそこにあるのだろうか。
◆和我世故乎 安杼可母伊波武 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 登吉奈伎母能乎
(作者未詳 巻十四 三三七九)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
(訳)ああ、あの人に、この私の思いを何と言ったらよいのか。武蔵野のおけらの花に花時がないように、時を定めずいつも思っているのに。(同上)
(注)あど 副詞:どのように。どうして。※「など」の上代の東国方言か。(学研)
東国方言、ご当地の名があるので東歌としての体裁は整っているが、都びとの歌かと勘繰りたくなるような歌に思える。
◆佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢
(作者未詳 巻十四 三三八〇)
≪書き下し≫埼玉(さきたま)の津に居(を)る舟の風をいたみ綱(つな)は絶(た)ゆとも言(こと)な絶えそね
(訳)埼玉の舟着き場に繋がれている舟が、風の激しさに綱は絶えてしまうことがあっても、あなたのお言葉は絶やさないでね。(同上)
(注)埼玉:武蔵の郡名。行田市あたり。
東歌どころか万葉集を超越したようにも思える歌のように感じてしまう。
◆奈都蘇妣久 宇奈比乎左之弖 等夫登利乃 伊多良武等曽与 阿我之多波倍思
(作者未詳 巻十四 三三八一)
≪書き下し≫夏麻(なつそ)引(び)く宇奈比(うなひ)をさして飛ぶ鳥の至らむとぞよ我(あ)が下延(したは)へし
(訳)夏麻を引き抜く畝(うね)というではないが、その宇奈比をさして飛ぶ鳥のように、空(くう)を切ってここへ行き着こうと、私は慕いつづけていたのです。(同上)
(注)上三句は序。「至らむ」を起こす。
(注)なつそひく【夏麻引く】分類枕詞:「夏麻」は、夏の土用のころに畑から引き抜く麻(あさ)。夏麻は「績(う)む(=つむぐ)」ものであることから「うなかみ(海上)」「うなひ(宇奈比)」の「う」に同音でかかり、また、夏麻から「糸」をつむぐので、同音で「いのち(命)」の「い」にかかる。「なつそびく」とも。(学研)
(注)はふ【延ふ】他動詞:①張り渡す。②思いを寄せる。(学研)ここでは②の意
伊藤 博氏は、三三八一歌の脚注に、「一首はなぜその国の歌とされたかわからない唯一の歌」と脚注に書いておられる。
「夏麻引く」で始まる歌は、巻十四の巻頭歌にもある。
「夏麻比く海上潟(うなかみがた)の沖つ洲に舟は留めむさ夜更けにけり(巻十四 三三四八歌)」である。「上総(かみつふさ)の国の歌」である。
海上(うなかみ)という地名は上総と下総との二国にあり、巻頭歌を巡って学会では論争があったようである。
万葉集には、「上総(かみつふさ)の国の歌」となっているのは事実である。
「夏麻引く」の枕詞の解説も、必ずしも納得がいくものではない。
この枕詞が使われている歌をみてみよう。
巻十四では、上述の三三四四歌と三三八一歌の二首である。
巻十三には、長歌の中で「・・・娘子(をとめ)らが心を知らに そを知らむ よしのなければ 夏麻引く 命(いのち)かたまけ 刈に薦(こも)の こころもしのに 人知れず・・・(・・・娘子の本心がよくわからず、といってそれを知る手だてもないので、命がけで、心もうちしおれて 人知れず・・・)(巻十三 三二五五歌)」使われている。
恋の苦しさを詠っている。
もう一首は、「夏麻比く海上潟(うなかみがた)の沖つ洲に鳥はすだけど君は音(おと)もせず(巻七 一一七六歌)」である。部立「羇旅作」である。
一一七五歌には「鹿島」、一一七七歌には「箱根」の地名がみえる。
一一七六歌ならびに三二五五歌は「夏麻引」と書かれており、「夏の麻」を基点に考えられているようであるが、「・・・引く」、例えば、「たなびく」「裳ひく」などの様に「時間軸、空間軸にそって長くなっている」と考えれば、命や海上潟は説明がつくが、三三八一歌の「宇奈比」はしっくりこないし、肝心の「夏麻」もしかりである。
今後の課題としたい。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」