●歌は、「恋しければ袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」である。
●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。
●歌をみていこう。
◆古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米
(作者未詳 巻十四 三三七六)
≪書き下し≫恋(こひ)しけば袖(そで)も振らむを武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(づ)なゆめ
(訳)恋しかったら私は袖でも振りましょうものを。しかし、あなたは、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出す、そんなことをしてはいけませんよ。けっして。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)うけら【朮】名詞:草花の名。おけら。山野に自生し、秋に白や薄紅の花をつける。根は薬用。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ゆめ【努・勤】副詞:①〔下に禁止・命令表現を伴って〕決して。必ず。②〔下に打消の語を伴って〕まったく。少しも。(学研)
或る本の歌もみてみよう。
◆或本歌曰
伊可尓思弖 古非波可伊毛尓 武蔵野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓弖受安良牟
(作者未詳 巻十四 <三三九四>)
< >は、「新編 国歌大観」の新番号
≪書き下し≫或る本の歌に曰(い)はく
いかにして恋ひばか妹(いも)に武蔵野のうけらが花に出(で)ずあらむ
(訳)どんなふうに恋い慕ったなら、あの子に対して、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出すようなことをしないですますことができるのであろうか。(同上)
「おけら」を詠んだ歌は万葉集には三首が収録されている。この三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その340)」で紹介している。
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この歌は、武蔵の国の歌である。こちらは九首で構成されており。九首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1132)で紹介している。
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「うけら」の花に託した忍ぶ恋。
忍ぶ恋を詠ったいくつかの歌をみてみよう。
■六八八歌■
◆青山乎 横▼雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名
(大伴坂上郎女 巻四 六八八)
▼「?」+「攵」 「横▼」=よこぎる
≪書き下し≫青山を横ぎる雲のいちしろく我(わ)れと笑(ゑ)まして人に知らゆな
(訳)青山を横切ってたなびく白雲のように、私にだけははっきりとほほえまれて、しかもそれと人に知られないようにしてくださいね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「いちしろく」を起す。(伊藤脚注)
■二六九七歌■
◆妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡
(作者未詳 巻十一 二六九七)
≪書き下し≫妹が名も我(わ)が名も立たば惜(を)しみこそ富士の高嶺(たかね)の燃えつも居(お)れ
(訳)そなたの名も私の名も、噂に立っては悔しいからこそ、あの富士の高嶺のように、思いを燃やすばかりで過ごしているのに・・・。(同上)
■二七七八歌■
◆水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通
(作者未詳 巻十一 二七七八)
≪書き下し≫水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)の生ひ出(い)でずよしこのころはかくて通はむ
(訳)水底にひっそり根ばえている玉藻が水面に姿を現さないように、私たちの仲も人目にさらさず、まあ、当分は、このまま忍んで通うことにしよう。(同上)
(注)上二句は譬喩。その玉藻のように表面に姿を現さず、の意。(伊藤脚注)
なぜ忍ばねばならなかったのか。「古今無数の恋人たちは、相手以外の第三者、つまり外部的、社会的なさまざまな障害ともたたかわねばならなかった。・・・萬葉の恋歌には、人言や人目に関する歌が、およそ百八〇首もあらわれ、恋人たちに関与した外部的障害の代表物となっている。(伊藤 博 著 「萬葉集相聞の世界」 塙書房より)」からである。
忍べば忍ぶほど、富士の高嶺のように燃えたぎる思い、耐え忍ぶ思い・・・
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」