万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2495)―

●歌は、「陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめやも」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖 西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛

       (作者未詳 巻十四 三四三七)

 

≪書き下し≫陸奥(みちのく)の安達太良(あだたら)真弓(まゆみ)はじき置きて反(せ)らしめきなば弦(つら)はかめかも

 

(訳)陸奥(みちのく)の安達太良(あだたら)真弓、この真弓は、弓弦(ゆづる)を弾(はじ)いたままにしておいて反(そ)っくり返らせるようなことをしたら、もう二度と弦を張ることなどできませんよ。(同上)

(注)上二句は女自身の譬え。(伊藤脚注)

(注)はじき置く:弓を使ったまま放っておいて弓身を反り返らせる意。「き」は「置き」の意。(伊藤脚注)

(注)弦はかめかも:二度と弦を張ることなどできない。「弦はく」は婚姻関係を結ぶことの譬え。メカモは反語。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首陸奥國歌」<右の一首は陸奥の国の歌>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2431)」で「真弓」を詠った歌とともに紹介している。

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 巻十四(東歌)の「譬喩歌」は、勘国歌(国名が編纂者において判明している歌)にあっては、遠江(一首)、駿河(一首)、相模(三首)、上野(三首)、陸奥(一首)計(九首)、未勘国歌(判明していない歌)五首である。

 

 

 譬喩歌をすべてみてみよう。

遠江国

◆等保都安布美 伊奈佐保曽江乃 水乎都久思 安礼乎多能米弖 安佐麻之物能乎

      (作者未詳 巻十四 三四二九)

 

≪書き下し≫遠江(とほつあふみ)引佐細江(いなさほそえ)のみをつくし我(あ)れを頼(たの)めてあさましものを

 

(訳)遠江の引佐細江(いなさほそえ)のみおつくし、そいつは俺をすっかり安心させておいてからが・・・、いっそ水を干しあげて役立たずにさせてやればよかったのに。(同上)

(注)いなさほそえ【引佐細江】:静岡県浜名湖北東部の支湖。風景絶佳で知られる。歌枕。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典

(注)みをつくし【澪標】名詞:往来する舟のために水路の目印として立ててある杭(くい)。⇒参考:「水脈(みを)つ串(くし)」の意。「つ」は「の」の意の古い格助詞。難波の淀(よど)川河口のものが有名。昔、淀川の河口は非常に広がっていて浅く、船の航行に難渋したことから澪標が設けられた。歌では、「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢(あ)はむとぞ思ふ」(『後撰和歌集』)〈⇒わびぬればいまはたおなじ…。〉のように、「身を尽くし」にかけ、また、「難波」と呼応して詠まれることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)三四二九歌は、一時頼りに思わせて裏切った女を恨む歌。「みをつくし」は女の譬え。(伊藤脚注)

(注)あさましものを:いっそつれなくしてやればよかった。「あさ」は四段動詞「あす」の未然形で、浅くするの意か。(伊藤脚注)

(注の注)あす【浅す・褪す】自動詞:①(海・川・池などが)浅くなる。干上がる。②(色が)さめる。あせる。③(勢いが)衰える。(学研)

(注の注)ましものを 分類連語:…だったらよかったのに。…していたらよかったものを。⇒なりたち:反実仮想の助動詞「まし」の連体形+詠嘆の終動詞「ものを」(学研)

 

左注は、「右一首遠江國歌」<右の一首は遠江(とほつあふみ)の国の歌>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1591)」で紹介している。

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駿河国

◆斯太能宇良乎 阿佐許求布祢波 与志奈之尓 許求良米可母与 余志許佐流良米

       (作者未詳 巻十四 三四三〇)

 

≪書き下し≫志太(しだ)の浦を朝漕(こ)ぐ船はよしなしに漕(こ)ぐらめかもよよしこさるらめ

 

(訳)志太の浦を朝早く漕ぎ出して行く舟は、わけもなしにあんなに急いで漕いで行ったりするもんかよ。きっとわけがあるにちがいないさ。(同上)

(注)志太の浦:志太郡の海岸。女の家の譬え。朝帰りの男への揶揄。(伊藤脚注)

(注)よしなしに漕ぐらめかもよ:わけもなく漕いでいったりするものか。(伊藤脚注)

(注の注)よしなし【由無し】形容詞:①理由がない。根拠がない。②方法がない。手段がない。③つまらない。とりとめがない。くだらない。無意味だ。④関係がない。縁がない。(学研)ここでは①の意

(注の注)らめ:現在推量の助動詞「らむ」の已然形。(学研)

(注)よしこさるらめ:「よしこそあるらめ」の約。何かわけがあるに違いない。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首駿河國歌」<右の一首は駿河(するが)の国の歌>である。

 

 

相模国

◆阿之我里乃 安伎奈乃夜麻尓 比古布祢乃 斯利比可志母與 許己波故賀多尓

      (作者未詳 巻十四 三四三一)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引(ひ)こ舟(ふね)の後(しり)引(ひ)かしもよここばこがたに

 

(訳)足柄(あしがら)の安伎奈(あきな)の山で、引き下ろされる舟が、うしろを引っ張られてぐずぐずしているわい。こんなにやたらと、女子(おなご)というもののせいでさ。(同上)

(注)引こ舟(ふね):山中で造り、うしろに引きながら水辺まで下ろす刳舟の類。男自身の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)ひこ【引こ】四段動詞:「ひく(引)」の連体形「ひく」の上代東国方言。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典

(注)ここば子がたに:こんなにやたらと、女のせいで。朝帰りの男の心。(伊藤脚注)

(注の注)ここば【幾許】副詞:甚だしく。たいそう。こんなにも。 ※上代語。(学研)

(注の注)たに:「ために」に同じ。(伊藤脚注)

(注の注)子がたに:女のせいで

 

 

◆阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母

      (作者未詳 巻十四 三四三二)

 

<書き下し≫足柄(あしがり)のわを可鶏山(かけやま)山(かけやま)のかづの木の我(わ)を誘(かづ)さねも門(かづ)さかずとも

 

(訳)足柄の、我(わ)れを心に懸けるという可鶏山(かけやま)のかずの木、あの木がその名のように、いっそ私を誘(かず)す―そう、かどわかしてくれたらいいのになあ。門が開いていなくてもさ。(同上)

(注)男の誘いを待つ女の歌。「わを可鶏」に「我を懸け」を懸けている。(伊藤脚注)

(注)アシガリ:「あしがら」の訛り

(注)かづの木:ぬるでの木か、男の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)かづの木:全国の山野に生えているウルシ科の小高木、ヌルデ(白膠・白膠木)を相模国の方言で「かつのき」と呼んでいるので、ヌルデであるとする説が有力。この木から採れる白い樹液で器物を塗ることができるところからこの名がついた。古くは穀(かづ)の木、樗(かちのき、ぬで)と呼ばれた。(「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

(注)門(かづ)さかず:「門し開かず」の意か。(伊藤脚注)

 

 恋する女の、私を思ってくれるならかどわかして欲しい、何としてでもという、ある意味、過激な歌である。懸詞が数多く使われているので、戯れ歌的要素が強い歌とも考えられる。東歌らしくない技巧が施されたとみるか、民謡っぽいとみるかであろう。

 

 

◆多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟

       (作者未詳 巻十四 三四三三)

 

≪書き下し≫薪(たきぎ)伐(こ)る鎌倉山かまくらやま)の木垂(こだ)る木(き)を松(まつ)と汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ

 

(訳)薪を伐る鎌、その鎌倉山の、枝のしなう木、この木を松―待つとさえお前さんが言ってくれたら、こんなに恋い焦がれてばかりいるものかよ、(同上)

(注)たきぎこる【薪樵る】分類枕詞:薪を伐採する鎌(かま)から「鎌」と同音を含む「鎌倉山かまくらやま)」にかかる。(学研)

(注)木垂る木を松と汝が言はば:作者自身(男)の譬え。この松の木を松(待つ)と言ってくれたら。(伊藤脚注)

(注の注)こだる【木垂る】自動詞:木が茂って枝が垂れ下がる。 ⇒参考:一説に、「木足る」で、枝葉が十分に茂る意とする。(学研)

(注の注)つつ 接続助詞:《接続》動詞および動詞型活用の助動詞の連用形に付く。①〔反復〕何度も…ては。②〔継続〕…し続けて。(ずっと)…していて。③〔複数動作の並行〕…しながら。…する一方で。④〔複数主語の動作の並行〕みんなが…ながら。それぞれが…して。⑤〔逆接〕…ながらも。…にもかかわらず。⑥〔単純な接続〕…て。▽接続助詞「て」と同じ用法。⑦〔動作の継続を詠嘆的に表す〕しきりに…していることよ。▽和歌の末尾に用いられ、「つつ止め」といわれる。 ⇒ 語の歴史 「つつ」は現代語では、文語の中で用いられる。現代語の「つつ」は、「道を歩きつつ本を読む」のように、二つの動作の並行か、「今、読みつつある本」のように、動作の継続かの意味で用いられる。古語の用例も、ともすれば、この意味に解釈しやすい傾向がある。古語では①の意味で用いられることが多いが、これも二つの動作の並行の意味に誤解されることが多いので注意する必要がある。この動作の反復の意は現代語の接続助詞ではとらえられず、その意に当たる副詞的な語を補うか、「つつ」の上の動詞を繰り返すかなどすると、その意味がとらえやすい。⑤の用法は、現代語から見てそう解するほうが理解しやすいというものである。この意味では「月夜には来こぬ人待たるかきくもり雨も降らなむわびつつも寝む」(『古今和歌集』恋五)のように「つつも」の形で使われた場合が多い。(学研)

 

 この三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1131)」で紹介している。

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上野国

◆可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武

        (作者未詳 巻十四 三四三四)

 

≪書き下し≫上つ毛(かみつけ)の安蘇山(あそやま)つづら野(の)を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ

 

(訳)上野の安蘇(あそ)のお山のつづら、このつづらは野が広いので一面に延び連なっているではないか。この延び連なったものが、何でいまさら絶えてしまうことがあろうか。(同上)

(注)上二句は作者自身の譬え。(伊藤脚注)

(注)延ひにしものを:蔓が一面に延い廻っている。相手に思いを寄せていることの譬え。(伊藤脚注)

(注)あぜか絶えせむ:何で絶えてしまうことがあろう、二人の仲は絶えるはずがない。(伊藤脚注)

(注の注)あぜ【何】副詞:なぜ。どのように。※上代の東国方言。(学研)

 

 

◆伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆

       (作者未詳 巻十四 三四三五)

 

≪書き下し≫伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)我(わ)が衣(きぬ)に着(つ)きよらしもよひたへと思へば

 

(訳)伊香保の山の麓の榛(はん)の木の原、この原の木は俺の着物に、ぴったり染まり付くようないい具合だ。着物は一重で裏もないことだし。(同上)

(注)上二句は相手の女の譬え。(伊藤脚注)

(注)着きよらしもよ:染め付けるのに具合がよい。俺にぴったりだ、の意。(伊藤脚注)

(注)ひたへ:一重(ひとへ)の訛り。裏がなくて純心の意。(伊藤脚注)

 

 

◆志良登保布 乎尓比多夜麻乃 毛流夜麻乃 宇良賀礼勢奈那 登許波尓毛我母

       (作者未詳 巻十四 三四三六)

 

≪書き下し≫しらとほふ小新田山(をにひたやま)の守(も)る山のうら枯(が)れせな常葉(とこは)にもがも

 

(訳)しらとほふ小新田山(おにいたやま)、そのたいせつに守られている山の木々は、末(うら)っぽが枯れたりなんかしないでほしいな。ずっとずっとしたたる青葉のままであってくれたらなあ。

(注)しらとほふ( 枕詞 ):地名「小新田山(おにいたやま)」「新治(にいばり)」にかかる。語義およびかかり方未詳。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版 )          

(注)上三句は、親に守られている女の譬え。(伊藤脚注)

(注)うら枯れせなな:梢を枯らさないでほしい。(伊藤脚注)

(注の注)うら【末】名詞:草木の枝や葉の先端。枝先。こずえ。(学研)

 

 左注は、「右の三首は上野(かみつけの)の国の歌」である。

 

 この三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その337)」で紹介している。

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 次は「未勘国」の譬喩歌である。

◆安杼毛敝可 阿自久麻夜末乃 由豆流波乃 布敷麻留等伎尓 可是布可受可母

       (作者未詳 巻十四 三五七二)

 

≪書き下し≫あど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆずるは)のふふまる時に風吹かずかも

 

(訳)いったいどういう気でじっとしているんだ。阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉がまだ蕾(つぼみ)の時に、風が吹かないなんていうことがあるものかよ。(同上)

(注)あど思へか:どんなに思ってじっとしているんだ。ここで切れる。(伊藤脚注)

(注)弓弦葉のふふまる時に:ゆずりはが蕾のままである時に。女が一人前だない間は、の意。(伊藤脚注)

(注の注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

(注)風吹かずかも:風が吹かないとでも思っているのか。他の男が言い寄るぞ、の意。第三者が、ためらう男をけしかけたもの。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1855)」で紹介している。

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◆安之比奇能 夜麻可都良加氣 麻之波尓母 衣我多奇可氣乎 於吉夜可良佐武

       (作者未詳 巻十四 三五七三)

 

≪書き下し≫あしひきの山かづらかげましばにも得(え)がたきかげを置きや枯らさむ

 

(訳)あしひきの山の中に生えるひかげのかずら、そうめったに得られないかずらだもの、むざむざ捨て置いて枯らすようなことはしないぞ。(同上)

(注)山かづら:ひかげのかずら。女の譬え。(伊藤脚注)

(注)ましばにも:打消に応じて、めったにの意を表す。マは接頭語。(伊藤脚注)

(注)置きや枯らさむ:妻にしないではおかない、の意。ヤは反語。男の執念。(伊藤脚注)

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1516)」で紹介している。

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◆乎佐刀奈流 波奈多知波奈乎 比伎余治弖 乎良無登須礼杼 宇良和可美許曽

       (作者未詳 巻十四 三五七四)

 

≪書き下し≫小里(をさと)なる花橘(はなたちばな)を引き攀(よ)ぢて折らむとすれどうら若(わか)みこそ

 

(訳)小里にある橘の木、その枝を引き寄せて手折ろうとはしてみるが、何ともまだ末(うら)っぽの若い木でありすぎて…(同上)

(注)花橘:少女の譬え。(伊藤脚注)

(注)折る:我が物とすることの譬え。(伊藤脚注)

(注)うら若みこそ。下に、折りかねている意をこめる。(伊藤脚注)

 

 

◆美夜自呂乃 須可敝尓多弖流 可保我波奈 莫佐吉伊▼曽祢 許米弖思努波武

       (作者未詳 巻十四 三五七五)

   ▼は、人偏に「弖」 「莫佐吉伊▼曽祢」=「な咲き出でそね」

 

≪書き下し≫美夜自呂(みやじろ)のすかへに立てるかほが花な咲き出(い)でそねこめて偲(しの)はむ

 

(訳)美夜自呂(みやじろ)の砂丘(すかへ)に生い立っているかおが花よ、お前さんは、人目につくようにぱっと咲き出さないでおくれ。包み隠したままでこっそりと愛でたいから。(同上)

(注)すかへ:「すか」は海沿いの砂丘、「へ」はあたり。(伊藤脚注)

(注)かほが花:未詳。女の譬え。(伊藤脚注)

(注)咲き出でそ:人目に立たないでくれ、の意。(伊藤脚注)

(注)ねこめて偲はむ:人目から隠してこっそり賞でたいから。忍び妻を持つ男の気持。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2370)」で紹介している。

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◆奈波之呂乃 古奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家

        (作者未詳 巻十四 三五七六)

 

≪書き下し≫苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまにあぜか愛(かな)しけ

 

(訳)通し苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花、そんな花でも、着物に摺りつけ、着なれるにつれて、どうしてこうも肌合いにぴったりで手放し難いもんかね。(同上)

(注)小水葱:ここは女の譬え。(伊藤脚注)

(注の注)こなぎ【小水葱・小菜葱】① ミズアオイ科の一年草。水田などの水湿地に生える。ミズアオイ(ナギ)に似るが全体に小さく、花序が葉より短い。ササナギ。② ナギ(ミズアオイの古名)を親しんでいう称。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)衣に摺り:女に手を出したことの譬え。(伊藤脚注)

(注)なるる:着馴れる。女と馴れ親しむ意。(伊藤脚注)

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ※参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その275)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「広辞苑無料検索 日本国語大辞典