万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2496)―

●歌は、「玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「詠玉掃鎌天木香棗歌」<玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌>である。この互いに無関係の四つのものを、ある関連をつけて即座に歌うのが条件であった。

 

◆玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為

        (長忌寸意吉麻呂  巻一六  三八三〇)

 

≪書き下し≫玉掃(たまはばき) 刈(か)り来(こ)鎌麿(かままろ)むろの木と棗(なつめ)が本(もと)とかき掃(は)かむため

 

(訳)箒にする玉掃(たまばはき)を刈って来い、鎌麻呂よ。むろの木と棗の木の根本を掃除するために。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)玉掃:メドハギ、ホウキグサなどの説があるが、今日ではコウヤボウキ(高野箒)とするのが定説である。現在でも正倉院に「目利箒(めききのはふき)」として残されているが、これがコウヤボウキで作られていたことが分かった。しかしコウヤボウキの名は後世高野山で竹を植えられなかったことから、これで箒を作ったことに由来するといわれているから、あるいは別の名があったかもしれない。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學「万葉の花の会」発行)

 

 長忌寸意吉麻呂の旅の歌五首と物名歌等宴会での八首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

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宴会等で詠われた「物名歌」を改めてみてみよう。

 標題は、「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>であり、三八二四~三八三一歌の歌群となっている。

 

■三八二四歌■

◆刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 檜橋従来許武 狐尓安牟佐武

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二四)

 

≪書き下し≫さし鍋(なべ)に湯沸(わ)かせ子ども櫟津(いちひつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ

 

(訳)さし鍋の中に湯を沸かせよ、ご一同。櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)を渡って、コムコムとやって来る狐に浴びせてやるのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さしなべ【差し鍋】名詞:弦(つる)のついた、注(つ)ぎ口のある鍋。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)櫟津:天理市櫟本付近の川津か。雑器「櫃」を隠す。(伊藤脚注)

(注)檜橋:檜製の河橋。(伊藤脚注)

(注)来む:狐声コムを隠す。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首傳云 一時衆集宴飲也 於時夜漏三更 所聞狐聲 尓乃衆諸誘奥麻呂曰關此饌具雜器狐聲河橋等物 但作謌者 即應聲作此謌也」<右の一首は、伝へて云はく、ある時、衆(もろもろ)集(つど)ひて宴飲す。時に、夜漏三更(やらうさんかう)にして、狐の声聞こゆ。すなはち、衆諸(もろひと)意吉麻呂(おきまろ)を誘(いざな)ひて曰はく、この饌具、雜器、(ざうき)狐聲(こせい)河橋(かけう)等の物の関(か)けて、ただに歌を作れ といへれば、すなはち、声に応へてこの歌を作るといふ>

(注)やろう【夜漏】:夜の時刻をはかる水時計。転じて、夜の時刻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)さんかう【三更】名詞:時刻の名。「五更(ごかう)」の第三。午後十二時。また、それを中心とする二時間。「丙夜(へいや)」とも。(学研)

 

この歌碑については、奈良県天理市櫟本町「和爾下神社」ならびにか愛媛県西条市下島山「飯積神社」に建てられている。

 

「櫟津」がポイントになる。

「和爾下神社」は、奈良県天理市櫟本町にある。近くには「高瀬川」が流れている。「櫟津」は櫟の津という意味であろう。

一方、「飯積神社(いいづみじんじゃ)」は、愛媛県西条市下島山にあり、古くは櫟津神社(いちいづじんじゃ)との名称で呼ばれていた。

歌の「櫟津」は、「櫃」を懸けた地名的なもので、宴席にいた人たちや、いわゆる読者層に幅広く知られているが故に「承ける」と思われる。歌はどこで詠まれたのかは分からないが、平城京に近い地の利は否定できないと思われる。

いずれにしろ「櫟津」に因んだということから、歌碑が立てられたと考えられる。

 

 「和爾下神社」の碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その53改)」で紹介している。

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 「飯積神社」の碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1928)」で紹介している。

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■三八二五歌■

題詞は、「詠行騰蔓菁食薦屋樑歌」<行騰(むかばき)、蔓菁(あをな)、食薦(すごも)、屋梁(うつはり)を詠む歌>である。

 

◆食薦敷 蔓菁▼将来 樑尓 行騰懸而 息此公

       (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二五)

▼は「者」に下に「火」=「煮」

 

≪書き下し≫食薦(すごも)敷き青菜煮(に)て来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて休めこの君

 

(訳)食薦(すごも)を敷いて用意し、おっつけ青菜を煮て持ってきましょう。行縢(むかばき)を解いてそこの梁(はり)に引っ懸(か)けて、休んでいて下さいな。お越しの旦那さん。(同上)

(注)すごも 【簀薦・食薦】名詞:食事のときに食膳(しよくぜん)の下に敷く敷物。竹や、こも・いぐさの類を「簾(す)」のように編んだもの。(学研)

(注)樑(うつはり):家の柱に懸け渡す梁

(注)むかばき【行縢】名詞:旅行・狩猟・流鏑馬(やぶさめ)などで馬に乗る際に、腰から前面に垂らして、脚や袴(はかま)を覆うもの。多く、しか・くまなどの毛皮で作る。(学研)

(注)休めこの君:それまで休んでいてください。猟の途中で休むさま。(伊藤脚注)

題詞は、「荷葉(はちすは)を詠む歌」である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2064)」で紹介している。

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蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之

       (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)

 

≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし

 

(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(同上)

(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。(伊藤脚注)

(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。ウモにイモを懸けるか。(伊藤脚注)

 

 

 ここにいう「芋(うも)」は、現在の「里芋」である。日本にはイネよりも早く伝わっている。昔から食用にしていた「山芋(やまいも)」(自然生<じねんじょう>)に対し、里(人の住むところ)で栽培したので「里芋」という。

蓮は、きれいな花を咲かせるので、美人の形容とされていた。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その973)」で紹介している。

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■三八三七歌■

題詞は、「詠雙六頭歌」<双六(すごろく)の頭(さえ)を詠む歌>である。

 

◆一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有来 雙六乃佐叡

       (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二七)

 

≪書き下し≫一二之目(いちに)の目のみにはあらず五六三四(ごろくさむし)さへありけり 双六(すぐろく)の頭(さえ)

 

(訳)一、二の黒目だけじゃない。五、六の黒目、三と四の赤目さえあったわい。双六の賽(さい)ころには。(同上)

(注)すごろく【双六・雙六】名詞:インドに起こったといわれ、中国からわが国に伝来した室内遊戯の一つ。木製の盤を挟んで二人が相対し、盤上の敵味方それぞれ十二に区切った陣内に、それぞれ十五個の黒白の駒(こま)を約束に従って並べ、二個の賽(さい)を振って出た目によって駒を敵陣に進め、早く敵陣へ駒を進め切った者を勝ちとする。 ※「すぐろく」の変化した語。(学研)

(注)双六の頭:人の目に対し、さまざまな目が目まぐるしく出る点に興を示した歌か。(伊藤脚注)

 

 

 

■三八二八歌■ 

題詞は、「詠香塔厠屎鮒奴歌」<香(かう)、塔(たふ)、厠(かはや)、屎(くそ)、鮒(ふな)、奴(やつこ)を詠む歌>である。

(注)香:仏前で焚く香。(伊藤脚注)

(注)厠:便所。川隅を利用した。(伊藤脚注)

 

◆香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二八)

 

≪書き下し≫香(かう)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそぶな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)

 

(訳)香を塗りこめた清らかな塔に近寄ってほしくないな。川の隅に集まるある屎鮒(くそぶな)など食って、ひどく臭くてきたない女奴よ。(同上)

(注)いたき女奴:ひどくにおう女奴は。(伊藤脚注)

(注の注)いたし【痛し・甚し】形容詞:①痛い。▽肉体的に。②苦痛だ。痛い。つらい。▽精神的に。③甚だしい。ひどい。④すばらしい。感にたえない。⑤見ていられない。情けない。(学研)ここでは、⑤

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1227)」で、万葉時代のトイレとともに紹介している

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■三八二九歌■

題詞は、「詠酢醤蒜鯛水葱歌」<酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌>である。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

※   ▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(同上)

(注)ひししほ【醤/醢】①(醤)㋐大豆と小麦で作った麹(こうじ)に食塩水をまぜて造る味噌に似た食品。なめ味噌にしたり調味料にしたりする。ひしお味噌。㋑醤油のもろみの、しぼる前のもの。②(醢)魚・鳥などの肉の塩漬け。肉(しし)びしお。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)搗き合てて:蒜をつきまぜたたれを作って。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1142)」で紹介している。

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■三八三一歌■

  題詞は、「詠白鷺啄木飛歌」<白鷺(しらさぎ)の木を啄(く)ひて飛ぶを詠む歌>一首である。

 

 ◆池神 力士舞可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武

                      (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八三一)

 

≪書き下し≫池神(いけがみ)の力士舞(りきじまひ)かも白鷺の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡るらむ

 

(訳)池の神の演じたまう力士舞(りきじまい)とでもいうのであろうか、白鷺が長柄の桙(ほこ)をくわえて飛び渡っている。(同上)

(注)りきじまひ【力士舞ひ】名詞:「伎楽(ぎがく)」の舞の一つ。「金剛力士(こんがうりきし)」の扮装(ふんそう)をして、鉾(ほこ)などを持って舞う。(学研)

(注)白鷺:池神の化身と見立てたか。(伊藤脚注)

(注)桙:木の枝を力士像の採物に見立てた。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その380)」で紹介している。

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長意吉麻呂 (ながのおきまろ):「《万葉集》第2期(壬申の乱後~奈良遷都),藤原京時代の歌人。生没年不詳。姓(かばね)は長忌寸(ながのいみき)で渡来系か。名は奥麻呂とも記す。柿本人麻呂と同時代に活躍,短歌のみ14首を残す。699年(文武3)のおりと思われる難波行幸に従い,詔にこたえる歌を作り,701年(大宝1)の紀伊国行幸(持統上皇文武天皇),翌年の三河国行幸(持統上皇)にも従って作品を残す。これらを含めて旅の歌6首がある。ほかの8首はすべて宴席などで会衆の要望にこたえた歌で,数種のものを詠み込む歌や滑稽な歌などを即妙に曲芸的に作るのを得意とする。〈香,塔,厠,屎,鮒,奴を詠む歌〉と題した〈香塗れる塔にな寄りそ川隅(かわくま)の屎鮒(くそぶな)食めるいたき女奴(めやつこ)〉(巻十六)は,聖と俗とを巧みに詠み込んでいる。」(コトバンク 株式会社平凡社 改訂新版 世界大百科事典)

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 株式会社平凡社 改訂新版 世界大百科事典」