―その1548―
●歌は、「み狩する雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P37)にある。
●歌をみていこう。
◆御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 戀社益
(作者未詳 巻十一 三〇四八)
≪書き下し≫み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)のなれはまさらず恋こそまされ
(訳)み狩りにちなみの雁羽の小野のならの雑木ではありませんが、あなたと馴れ親しむことはいっこうになさらずに、お逢いできぬ苦しみが増すばかりですが。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))
(注)上三句「御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之」は、「奈礼」を起こす序である。「御獦為」は「雁羽(かりは):所在は不明」の同音でかかる枕詞である。
(注)みかり【御狩】〘名〙 (「み」は接頭語):① 天皇や皇子などの狩することを敬っていう語。② 狩の美称。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは②の意
(注)櫟柴 (ナラシバ):植物。小楢の別称(コトバンク 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」)
「み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)の」と「の」の音の繰り返しと、「まさらず」「まされ」とリズミカルに心情を訴えているところが相手には強く響く歌である。
この歌ならびに「み狩り」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で紹介している。
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「櫟柴(ならしば)」と詠まれているのは三〇四八歌のみである。また「小楢(こなら)」と詠まれているのも三四二四歌のみである。
こちらもみてみよう。
◆之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟
(作者未詳 巻十四 三四二四)
≪書き下し≫下(しも)つ毛(け)野(の)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のすまぐはし子ろは誰(た)か笥(け)か持たむ
(訳)下野の三毳の山に生(お)い立つ小楢の木、そのみずみずしい若葉のように、目にもさわやかなあの子は、いったい誰のお椀(わん)を世話することになるのかなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)下野:栃木県
(注)三毳の山:佐野市東方の山。大田和山ともいう。(伊藤脚注)
(注)す+形容詞:( 接頭 ) 形容詞などに付いて、普通の程度を超えている意を添える。 「 -早い」 「 -ばしこい」(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)まぐはし【目細し】:見た目に美しい。(同上)
(注)け【笥】名詞:容器。入れ物。特に、食器。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
左注は、「右二首下野國歌」<右の二首は下野の国の歌>とある。
三四二四歌ならびに「笥(け)」から陶器に関わる歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1145)」で紹介している。
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―その1549―
●歌は、「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P38)にある。
●歌をみていこう。
◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
(作者未詳 巻十一 二四七五)
≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず
(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
二四七五歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1082)」で紹介している。
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四句目に「恋忘れ草」とあるが、「忘れ草」は、五首が収録されている。
「忘れ草」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。
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「忘れ草」同様、忘れたいが故にすがりたい思いに駆られる「忘れ貝」や「恋忘れ貝」がある。これを詠った歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その740)」で紹介している。
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春日大社神苑萬葉植物園・植物説明板によると、「『しだくさ』は、羊歯(シダ)植物の一種と考えられており『甍(イラカ)しだ草』又『軒(ノキ)のしだ草』と歌中に詠まれている。軒の下に生えることが名の由来になって『軒忍(ノキシノブ)』が定説になっているが、他説に『下草(したくさ)』と読み『裏白(ウラジロ)』とする説もある。」と書かれている。
―その1550―
●歌は、「真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る」である。
●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P39)にある。
●歌をみていこう。
◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散
(作者未詳 巻十 二〇九六)
≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る
(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。(伊藤脚注)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その442)」で紹介している。
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「葛」が詠われている歌を大まかに分けると、①枕詞(10首)、②真葛原(3首)、③葛引く(2首)、④葛葉(4首)、⑤秋の七種(1首)となる。
「真葛原」と詠まれているのは二〇九六歌の他は、一三四六、三〇六九歌である。
この二首をみてみよう。
◆姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服
(作者未詳 巻七 一三四六)
≪書き下し≫をみなへし佐紀沢(さきさわ)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)いつかも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む
(訳)佐紀沢のあたりの葛の生い茂る野原、あの野の葛は、いつになったら糸に操(く)って、私の着物として着ることができるのだろうか。(同上)
(注)をみなへし【女郎花】 名詞:①おみなえし。②「佐紀(現奈良市北西部・佐保川西岸の地名)」にかかる枕詞。(weblio辞書 「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリー)」)
(注)上三句は少女の譬え。(伊藤脚注)
◆赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉
(作者未詳 巻十二 三〇六九)
≪書き下し≫赤駒(あかごま)のい行きはばかる真葛原(まくずはら)何の伝(つ)て言(こと)直(ただ)にしよけむ
(訳)元気な赤駒でも行き悩む真葛原ではないが、何てまあじれったいこと、言伝てなんて。じかに逢うのがいちばん。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「何の伝て言」を起こす。進めないもどかしさから言う。(伊藤脚注)
(注)何の伝て言:名詞句。何だ、伝言だけだとは。(伊藤脚注)
(注)直にしよけむ:何と言ったってじかに逢うのがよいのだ。(伊藤脚注)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio辞書 『Wiktionary日本語版(日本語カテゴリー)』」
★「コトバンク 日外アソシエーツ『動植物名よみかた辞典 普及版』」
★「庭木図鑑 植木ペディア」
★「野津田公園の生き物たち」 (野津田公園HP)
★「薬草データベース」 (熊本大学薬学部 薬草園HP)