万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1064)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(24)―万葉集 巻十一 三〇四八

●歌は、「み狩する雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(24)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 戀社益

                                  (作者未詳 巻十一 三〇四八)

 

≪書き下し≫み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)のなれはまさらず恋こそまされ

 

(訳)み狩りにちなみの雁羽の小野のならの雑木ではありませんが、あなたと馴れ親しむことはいっこうになさらずに、お逢いできぬ苦しみが増すばかりですが。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)上三句「御獦為 鴈羽之小野之 櫟柴之」は、「奈礼」を起こす序である。「御獦為」は「雁羽(かりは):所在は不明」の同音でかかる枕詞である。

(注)みかり【御狩】〘名〙 (「み」は接頭語):① 天皇や皇子などの狩することを敬っていう語。② 狩の美称。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは②の意

 

「み狩(かり)する雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)の」と「の」の音の繰り返しと、「まさらず」「まされ」とリズミカルに心情を訴えているところが相手には強く響く歌である。

 

 

 「御獦(みかり)」の言葉でまず思い浮かべるのは、額田王の歌「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る(巻一 二〇)」の題詞「天皇遊獦蒲生野時額田王作歌」<天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)の遊狩(みかり)したまふ時に、額田王が作る歌>である。

(注)天皇天智天皇

(注)みかり【遊獦】:天皇が狩りをされた、すなわち、薬猟り(くすりがり)をされたこと。薬猟りとは、不老長寿の薬にするために、男は鹿の袋角(出始めの角)を、女は薬草をとる、という行事をいう。

 

 二〇、二一歌の左注にも見られる。

左注は、「紀日 天皇七年丁卯夏五月五日縦獦於蒲生野于時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉」<紀には「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)に縦猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)、内臣(うちのまへつかさ)また群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)に従(おほみとも)なり」といふ>である。

(注)大皇弟(ひつぎのみこ):大海人皇子のこと

(注)内臣(うちのまへつかさ):ここでは藤原鎌足をさす

 

 額田王ならびに大海人皇子の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その234)」で紹介している。

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 「み狩り」を詠んだ歌を少しみてみよう。

 

題詞、「軽皇子宿干安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌」<軽皇子、安騎(あき)の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

四五歌(長歌)、四六から四九(短歌)の歌群となっている。

(注)持統六年の冬に安騎野に「遊猟(みかり)」が行われている。

 

 「御﨟(みかり)」を直接詠み込んでいるのは四九歌であるが、この歌群は、「安騎野の御﨟(みかり)を讃えている歌」であるので全歌をみてみよう。

 

 まず四五歌からである。

 

◆八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而

                (柿本人麻呂 巻一 四五)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君 高照らす 日の御子(みこ) 神ながら 神さびせすと 太(ふと)敷(し)かす 都を置きて こもくりの 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかとり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕(ゆふ)さりくれば み雪降る 安騎(あき)の大野(おほの)に 旗(はた)すすき 小竹(しの)を押しなべ 草枕 旅宿(たびやど)りせす いにしへ思ひて

 

(訳)あまねく天の下を支配せられるわれらが大君、天上高く照らしたまう日の神の皇子(みこ)は、神であられるままに神々しく振る舞われるとて、揺るぎなく治められている都さえもあとにして、隠り処(こもりく)の泊瀬の山は真木の茂り立つ荒々しい山道なのに、その山道を岩や遮(さえぎ)る木々を押し伏せて、朝方、坂鳥のように軽々とお越えになり、光かすかな夕方がやってくると、み雪降りしきる安騎の荒野(あらの)で、旗のように靡くすすきや小竹(しん)を押し伏せて、草を枕に旅寝をなさる。過ぎしいにしえのことを偲んで。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たかてらす【高照らす】分類枕詞:空高く照るの意で、「日」にかかる。(学研)

(注)ふとしく【太敷く】他動詞:居を定めてりっぱに統治する。(宮殿を)りっぱに造営する。(柱を)しっかり立てる。(学研)

(注)こもりくの【隠り口の】分類枕詞:大和の国の初瀬(はつせ)の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから、地名の「初(=泊)瀬」にかかる。(学研)

(注)さへき【禁樹】名詞:通行の妨げになる木。(学研)

(注)さかどりの【坂鳥の】分類枕詞:朝早く、山坂を飛び越える鳥のようにということから「朝越ゆ」にかかる。(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

(注)はたすすき【旗薄】名詞:長く伸びた穂が風に吹かれて旗のようになびいているすすき。(学研)

(注)いにしへ:亡き父草壁皇子の阿騎野遊猟のこと。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その370)」で紹介している。

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続いて四六歌である。

◆阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓

               (柿本人麻呂 巻一 四六)

 

≪書き下し≫安騎の野に宿る旅人(たびひと)うち靡(なび)き寐(い)も寝(ね)らめやもいにしへ思ふに

 

(訳)こよい、安騎の野に宿る旅人、この旅人たちは、のびのびとくつろいで寝ることなどできようか。いにしえのことを思うにつけて。(同上)

(注)うちなびく【打ち靡く】自動詞:①草・木・髪などが、横になる。なびき伏す。②人が横になる。寝る。 ③相手の意に従う。(weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)いもぬらめやも【寝も寝らめやも】分類連語:寝ていられようか、いや、寝てはいられない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の終止形+現在推量の助動詞「らむ」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

次は、四七歌である。

 

◆真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

               (柿本人麻呂 巻一 四七)

 

≪書き下し≫ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し

 

(訳)廬草(いおくさ)刈る荒野ではあるけれども、黄葉(もみちば)のように過ぎ去った皇子の形見の地として、われらはここにやって来たのだ。(同上)

 

 

四八歌である。

 

◆東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

               (柿本人麻呂 巻一 四八)

 

≪書き下し≫東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてけへり見すれば月かたぶきぬ   

 

(訳)東の野辺には曙の光がさしそめて、振り返ってみると、月は西空に傾いている。(同上)

(注)かぎろひ【陽炎】名詞:東の空に見える明け方の光。曙光(しよこう)。②「かげろふ(陽炎)」に同じ。[季語] 春。※上代語。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その368,369)」で紹介している。

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「御﨟(みかり)」が直接詠み込まれている四九歌である。

 

◆日雙斯 皇子命乃 馬副而 御﨟立師斯 時者来向

               (柿本人麻呂 巻一 四九)

 

≪書き下し≫日並皇子(ひなみしみこ)の命(みこと)の馬並(な)めてみ狩(かり)立たしし時は来向(きむか)ふ

 

(訳)日並皇子(ひなみしみこ)の命、あのわれらの大君が馬を勢揃いしてみ猟(かり)に踏み立たれたその時刻は、今まさに到来した。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)日並皇子(ひなみしみこ):日に並ぶ皇子の意。草壁皇子に限っていう。

(注)きむかふ【来向かふ】自動詞:近づいて来る。 ※参考 こちらを主とした場合は「迎ふ」であるが、「来向かふ」は向かって来るものを主にして、その近づくのを期待する気持ちがある。(学研) 

 

 四六歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(372)」で、四七歌は、「同373」、四九歌は、「同371」で紹介している。

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 柿本人麻呂の二三九歌をみてみよう。

 

 ◆八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三獦立流 弱薦乎 獦路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞

               (柿本朝臣人麻呂 巻二 二三九)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 我が日の御子(みこ)の 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)立たせる 若薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(おの)に 鹿(しし)こそば い匐(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匐(は)ひ廻(もとほ)れ 鹿(しし)じもの い匐(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす い匐(は)ひ廻(もとほ)り 畏(かしこ)みと 仕(つか)へまつりて にさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰(あふ)ぎて見れど 春草(はるくさ)の いやめづらしき 我が大君かも

 

(訳)あまねく天下を支配せられるわが主君、高々と天上に光ろ輝く日の神の皇子、このわが皇子が、馬を勢揃いして御狩りに立っておられる猟路野(かりじの)の御猟場では、鹿は膝を折って匍(は)うようにしてお辞儀をし、鶉はうろうろとおそばを匍(は)いまわっているが、われらも、その鹿のように匍(は)って皇子をうやまい、その鶉のように匍(は)いまわって皇子のおそばを離れず、恐れ多いことだと思いながらお仕え申し上げ、はるか天空を仰ぐように皇子を仰ぎ見るけれども、春草のようにいよいよお慕わしく心ひかれるわが大君でいらっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)たかひかる【高光る】分類枕詞:空高く光り輝くの意で、「日」にかかる。   (学研)                     

(注)わかごもを【若菰を】分類枕詞:若菰を刈る意から同音を含む地名「猟路(かりぢ)」にかかる。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。 上代語。 

(注の注)ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その111改)」で紹介している。

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 次に九二六、九二七歌をみてみよう。

 

◆安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝獦尓 十六履起之 夕狩尓 十里踏立 馬並而 御狩曽立為 春之茂野尓

                 (山部赤人 巻六 九二六)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大君(おほきみ)は み吉野の 秋津(あきづ)の小野(をの)の 野の上(へ)には 跡見(とみ)据(す)ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し 朝狩(あさかり)に 鹿猪(しし)踏(ふ)み起(おこ)し 夕狩(ゆふがり)に 鳥踏み立て 馬並(な)めて 御狩(みかり)ぞ立たす 春の茂野(しげの)に

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君は、み吉野の秋津(あきづ)の小野の、野あたりには跡見(とみ)をいっぱい配置し、み山には射目(いめ)を一面に設け、朝(あした)の狩りには鹿や猪を追い立て、夕(ゆうべ)の狩には鳥を踏み立たせ、馬を並べて狩場にお出ましになる。春の草深い野に。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とみ【跡見】:狩猟のとき、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。(学研)

(注)いめ【射目】:狩りをするとき、弓を射る人が隠れるところ。◆上代語。(学研)

(注)踏み起こす、踏み立てる:獲物の潜んでいるようなところに踏み込んで追い立てる

 

 

つぎは短歌(九二八歌)である。

 

◆足引之 山毛野毛 御獦人 得物矢手挟 散動而有所見

              (山部赤人 巻六 九二八)

 

≪書き下し≫あしひきの山にも野にも御狩人(みかりひと)さつ(さつ)矢手挾(たばさ)み散(さ)動(わ)きてあり見ゆ

 

〈訳〉あしひきの山にも野にも、大君の御狩に仕える人たちが、幸矢(さつや)を手挟み持って駆けまわっているのが見える。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)さつや【猟矢】:獲物を得るための矢。

 

この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」の後群の歌群である。前群は吉野の宮を讃える長歌反歌二首であり、後群は天皇を讃える長歌反歌一首という構成をなしている。

 この「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」についてはすべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。

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 もう一首一九七四歌を見てみよう。

 

◆春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而将挿頭

               (作者未詳 巻十 一九七四)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)の藤(ふぢ)は散りにて何(なに)をかもみ狩(かり)の人の折りてかざさむ

 

(訳)春日野の藤はとっくに散ってしまったことなのに、これからは何をまあ、み狩の人びとは、折ろ取って髪に挿すのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にて 分類連語:…てしまって(いて)。 ⇒なりたち 完了の助動詞「ぬ」の連用形+接続助詞「て」(学研)

(注)み狩;五月五日の薬狩。この狩を春日野における成年式とみる説も。藤の花は成年式の挿頭には必須のものであった。

 

狩猟に関する言葉として「猟夫(さつを)」、「得物矢(さつや)」、「幸弓」、「跡見(とみ)」、「射目(いめ)」、「鹿待ち」、「鳥網」、「鳥狩(とがり)」などが用いられている。 

 「遊猟(みかり)は、単なる遊びでなく、天皇の示威行為として行われ、一般の感覚とは異なるものであった。

 「狩」を通して当時を探るのも面白そうである。機会をとらえて挑戦してみたい。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio古語辞書 三省堂大辞林第三版」