●いずれも、歌は「東の野にかぎろひの立つ見えてけへり見すれば月かたぶきぬ」である。
●歌碑は、奈良県宇陀市 人麻呂公園(その368)と同 かぎろひの丘(その369)である。かぎろひの丘には、人麻呂の短歌と長歌の歌碑が二つ建てられている。長歌(巻一 四十五歌)については、「万葉歌碑を訪ねて(その379)」でとりあげる。
●歌をみていこう。
◆東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
(柿本人麻呂 巻一 四八)
≪書き下し≫東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてけへり見すれば月かたぶきぬ
(訳)東の野辺には曙の光がさしそめて、振り返ってみると、月は西空に傾いている。
(注)かぎろひ【陽炎】名詞:東の空に見える明け方の光。曙光(しよこう)。②「かげろふ(陽炎)」に同じ。[季語] 春。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この一首は、題詞、「軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌」<軽皇子、安騎(あき)の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>の長歌(四三歌)と短歌(四六~四九歌)の一首である。
軽皇子(後の文武天皇)にお供をして安騎野(奈良県宇陀市)に狩りに出かけた時に、野営の朝が開け始めようとした光景を詠ったものである。
長歌では、草壁皇子を回想している。人麻呂はこの草壁皇子に仕えていたようである。東の野辺の曙光、西の残月、時の移ろい、むなしさがほとばしっている。
墨坂神社の次は、人麻呂公園である。この公園の周辺が、飛鳥時代「阿騎野」と呼ばれ、大和朝廷の狩り場(薬狩り)であったと伝えられている。駐車場からすぐのところに「阿騎野・人麻呂公園案内図」があり、「阿騎野・人麻呂公園」と「中之庄遺跡」の説明が記載されていた。弥生時代、飛鳥時代、中近世の三時代にわたる遺構が発見されたとある。少し入ると、「竪穴式住居」の復元された姿が見られる。さらに進むと、馬に乗った柿本人麻呂の像がある。凛々しい姿である。この像の台座に人麻呂の「巻一 四十八歌」がある。
次いで、「かぎろひの丘」に向かう。
「かぎろひの丘」は、人麻呂公園から北西の宇陀川沿いの小高い丘にある。駐車場も整備されている。駐車場から少し登って行くと、木々が高台の周囲に散らばり、視界が広がる。手前には東屋があり、その左奥に人麻呂の歌碑が二つ立っている。巻一 四十五歌(長歌)と同 短四十八歌の歌碑である。四十八歌に関する説明案内板も設置されている。歴史ロマンただよう丘が広がっている。時間が止まっている感じである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」