万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その367)―奈良県宇陀市 墨坂神社―

 奈良県宇陀市の万葉歌碑を検索すると、「うだ記紀・万葉」(宇陀市HP)に「市内の万葉歌碑ガイドマップ」があった。表は、「新元号は『令和』万葉集にふれあおう!」とあり、16基の万葉歌碑の地図が出ている。裏面は、「宇陀市内の万葉歌碑」とあり、場所・歌・歌碑の写真等が掲載されている。歌碑めぐりにこれほど便利なバイブルはない。

 このガイドマップをたよりに、12月16日と20日の二日で宇陀市内の万葉歌碑を見て回った。

まず最初は、「墨坂神社」からである。

 

●歌は、「君が家に我が住坂の家道をも我れは忘れじ命死なずは」である。

 

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奈良県宇陀市 墨坂神社万葉歌碑(柿本人麻呂の妻)

●歌碑は、奈良県宇陀市 墨坂神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者

               (柿本人麻呂妻 巻四 五〇四)

 

≪書き下し≫君が家に我(わ)が住坂(すみさか)の家道(いへぢ)をも我(わ)れは忘れじ命死なずは

 

(訳)あなたを忘れないのはもちろんのこと、あなたのお家に住みたいとまで思う、そのお家につながる住坂(すみさか)の道をさえ、けっして忘れることはありません。私の命がある限りずっと。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「君が家に我(わ)が」が「住坂」を起こす序。

 

この歌は、柿本人麻呂の五〇一から五〇三歌を受けて詠われたものである。

「柿本朝臣人麻呂歌三首」<柿本朝臣人麻呂が歌三首>をみてみよう。

 

◆未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者

             (柿本人麻呂 巻四 五〇一)

 

≪書き下し≫未通女等(をとめら)が袖(そで)布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(わ)れは

 

(訳)おとめが袖を振る、その布留山の瑞々(みずみず)しい垣根が大昔からあるように、ずっとずっと前から久しいこと、あの人のことを思ってきた、この私は。(同上)

(注)みづかき【瑞垣】名詞:みずみずしく美しい、りっぱな垣根。神社や皇居などに巡らした垣根をたたえていう。※のちに「みづがき」とも。(Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「未通女等(をとめら)が袖(そで)」が「布留(ふる)」を起こし、「未通女等(をとめら)が袖(そで)布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)の」が「久しき」を起こす、二重の序になっている。

(注)「思ひき」の対象は「未通女 (をとめ)」

 

◆夏野去 小壯鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉

             (柿本人麻呂 巻四 五〇二)

 

≪書き下し≫夏野行く小鹿(をしか)の角の束(つか)の間も妹(いも)が心を忘れて思(おも)へや

 

(訳)草深い夏の野を行く鹿の、生えたての角の短かさではないが、そのほんのちょっとの間もあの子のことを思い忘れることなどあろうか。(同上)

(注)「夏野行く小鹿(をしか)の角の」は、「束(つか)の間」を起こす。鹿の角は夏の初めに生える。

 

◆珠衣乃 狭藍左謂沉 家妹尓 物不語来而 思金津裳

              (柿本人麻呂 巻四 五〇三)

 

≪書き下し≫玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひかねつも

 

(訳)玉衣のさわめきではないが、門出のざわめきが鎮まってみると、家に残したあの子に何も言わないで来たような気持ちで心残りに堪えきれない。(同上)

(注)たまぎぬの【玉衣の】分類枕詞:玉で飾った衣服の衣(きぬ)ずれの音から「さゐさゐ(=ざわざわという音)」にかかる。「たまきぬの」とも。(学研)

(注)さゐさゐ>さゐさゐし【騒騒し】形容詞:さわさわと音がする。※「さゐさゐ」は擬音語。(学研)

 

 墨坂神社の境内に車を止め、歌碑を探す。境内や参道、拝殿前等探すが見つからない。

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墨坂神社境内

 ガイドマップの歌碑の写真を見て、写っている「白い塀」と「献燈碑」に絞り込み探索を再開する。ようやく見つけることができた。拝殿に向かって左側、社務所側の階段を上ったすぐ右手、白い塀の裏手にこじんまりとした歌碑があった。似たような石碑が二本立っており、向かって右側が歌碑、左が作者名と思しき文字(柿本朝臣までははっきり読めるが、多分、人麻呂妻?))が書かれているが下の方は判別ができなかった。苔むした細長い立方体の石柱であるので、その気で探さないと見つけにくい歌碑であった。

 

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写真右が万葉歌碑、左が作者名碑

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「うだ記紀・万葉」(宇陀市HP)

★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)

★「墨坂神社HP」

 

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墨坂神社大鳥居

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墨坂神社龍王