●歌は、「山背の久世の鷺坂神代より春は萌りつつ秋は散りけり」である。
●歌碑は、東京都文京区小日向 鷺坂にある。
●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その195)」で紹介している。京都の鷺坂を訪れて、万葉歌碑に接し、これに関するブログを作成している時に、東京にも鷺坂があり、この歌碑があると知ったので、機会があれば是非訪れてみたいと思っていた。
令和元年11月30日、東京某大学で特別講義(万葉集ではありませんが)をする機会をいただいたので、講義が始まる前の時間を利用して訪れた。
まず、歌をみていこう。
◆山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来
(作者未詳 巻九 一七〇七)
≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂(さぎさか)神代(かみよ)より春は萌(は)りつつ秋は散りけり
(訳)山背の久世の鷺坂、この坂では、遠い神代の昔から、春には木々が芽吹き、秋には散って来たのである。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)はる【張る】①(氷が)はる。一面に広がる。②(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。
※ここでは②の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さぎざか【鷺坂】: 京都府城陽市久世を南北に走る旧大和街道の坂。坂のある台地が鷺坂山であり、丘上に久世神社がある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。
文京区の碑の側にある案内板によると、この坂の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた、旧関宿藩主の久世大和守(くぜやまとのかみ)の下屋敷があり、地元の人たちは、「久世山」と呼んでいた。この久世山も大正以降住宅地となり、ここに住んでいた堀口大学・三好達治・佐藤春夫らが山城国の久世の「鷺坂」と結びつけて称していたところ、自然に定着していったとある。文学愛好者の発案による「昭和の坂名」として異色を放っている。
場所は、文京区小日向2丁目19・20番と21番の間にある、途中に鋭角の曲がり角がある急な坂道である。有楽町線「江戸川橋駅」から歩いて7,8分くらいである。携帯ナビに頼りながらたどり着いたのである。
東西の「鷺坂」を巡ることができたのである。歴史の重みと今様のノリに近い「鷺坂」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「鷺坂(さぎさか)」 (文京区HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」