万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2748)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「もののふの八十宇治川網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも(柿本人麻呂 3-264)」である。

 

宇治川(一)】

 「柿本人麻呂(巻三‐二六四)(歌は省略)・・・久世(くぜ)の低い丘陵に『久世(くぜ)の社(やしろ)』(巻七‐一二八六)と見られる久世神社・『鷺坂(さぎさか)』(巻九‐一七〇七)がある。・・・名勝宇治はこんにち雑踏をきわめているが、この歌の趣きはかえって宇治橋より下(しも)の観光のにおいからははなれたところに生きている。人麻呂が近江から都へのぼる途上での作という(題詞)。あまりにも有名な歌として実景説、無常観説など論ぜられている・・・宇治川の川べりに立ってこの歌を誦すれば、『もののふの八十』の序も感動を深めてゆくだいじな律動をなしているし、流れきたって杭などに停滞し、ためらいすいこまれてゆく水流の実相からは、千古に変わらぬ詩人の遠い眼(まなこ)、深い心をじかに思わないではいられない。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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巻三 二六四歌をみていこう。

■巻三 二六四歌■

題詞は、「柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌一首>である。

 

◆物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代経浪乃 去邊白不母

               (柿本人麻呂 巻三 二六四)

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)宇治川(うぢがわ)の網代木(あじろき)にいさよふ波のゆくへ知らずも             

 

(訳)もののふの八十氏(うじ)というではないが、宇治川網代木に、しばしとどこおりいさよう波、この波のゆくえのいずかたとも知られぬことよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 (角川ソフィア文庫より)

(注)「八十」まで「宇治」の序。(伊藤脚注)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あじろ【網代】名詞:①漁具の一つ。川の流れの中に杭(くい)を立て並べ、竹・木などを細かく編んで魚を通れなくし、その端に、水面に簀(す)を置いて魚がかかるようにしたもの。宇治川などで、冬期、氷魚(ひお)(=鮎(あゆ)の稚魚)を取るのに用いたのが有名。[季語] 冬。◇和歌で「宇治」「寄る」の縁語として用いることが多い。②檜皮(ひわだ)・竹・葦(あし)などを薄く削って斜めに編んだもの。垣根・屛風(びようぶ)・天井・車の屋形・笠(かさ)などに用いる。③「あじろぐるま」に同じ。(学研)ここでは①の意

(注の注)あじろき【網代木】名詞:「網代①」の網を掛けるための杭(くい)。「あじろぎ」とも。[季語] 冬。(学研)

(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その229)」で、京都府宇治市宇治 宇治公園(橘島)万葉歌碑とともに紹介している。

➡ こちら229

 

 

 

 

 

 

 

 

京都府宇治市宇治 宇治公園(橘島)万葉歌碑(柿本人麻呂 3-264) 20190905撮影



 

 

 

 

 

 

 二六四歌について、犬養氏の解説には、「あまりにも有名な歌として実景説、無常観説など論ぜられている」とかかれているが、この歌に関する梅原 猛氏の「水底の歌」柿本人麿論(上)新潮文庫の流人説も衝撃的で傾注するに値する。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1981)」で紹介している。

 ➡ こちら1981

 

 

 

 

島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(柿本人麻呂 3-264) 20221109撮影



 

 

 

 

続いて、巻七 一二八六歌をみてみよう。

■巻七 一二八六歌■

◆開木代 来背社 草勿手折 己時 立雖榮 草勿手折

        (柿本人麻呂歌集 巻七 一二八六)

 

≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の社(やしろ)の草な手折(たを)りそ 我(わ)が時と立ち栄(さか)ゆとも草な手折りそ

 

(訳)山背の久世の社の草、この草は手折ってくれるな。たとえ我が世の盛りとばかり立ち栄えていても、社の草だけは手折ってくれるな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)開木代:木を伐り開く(=山)で山代

(注)久世:京都府城陽市久世。「久世の社の草」は、人妻の譬え。(伊藤脚注)

(注)我が時と立ち栄ゆとも:たとえお前が我が身の盛りとばかり栄えていても。人妻に手を出すことは禁忌とされた。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その555)」で城陽市久世 久世神社参道入口(JR踏切側)万葉歌碑とともに紹介している。この歌碑の右端には一七〇七歌も刻されている。同歌については鷺坂の歌碑とともに次で紹介いたします。

 ➡ こちら555

 

 

 

 

 

 

城陽市久世 久世神社参道入口(JR踏切側)万葉歌碑(<左>柿本人麻呂歌集 7-1286) 20200527撮影



 

 

 

 

久世神社境内 20190905撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、巻九 一七〇七歌をみていこう。

■巻九 一七〇七歌■

題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。

◆山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来

         (柿本人麻呂歌集 巻九 一七〇七)

 

≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の鷺坂(さぎさか)神代(かみよ)より春は萌(は)りつつ秋は散りけり

 

(訳)山背の久世の鷺坂、この坂では、遠い神代の昔から、春には木々が芽吹き、秋には散って来たのである。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)萌る:草木の芽や蕾がふくらむ。(伊藤脚注)

(注の注)はる【張る】自動詞:①(氷が)はる。一面に広がる。②(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ※ここでは②の意

(注)さぎざか【鷺坂】: 京都府城陽市久世を南北に走る旧大和街道の坂。坂のある台地が鷺坂山であり、丘上に久世神社がある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)秋は散りけり:秋の景を眼前にしての思い。ケリは気づき。季節の規則正しさへの感慨。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その195改)」で京都府城陽市久世 久世神社横鷺坂万葉歌碑とともに紹介している。

 ➡ こちら195改

 

 

 

 

 

京都府城陽市久世 久世神社横鷺坂万葉歌碑(柿本人麻呂歌集 9-1707) 20190905撮影



 

 

 

 

鷺坂と万葉歌碑 20190905撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典