●歌は、「泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮ところうつろひゆかめ(田辺福麻呂 6-1054)」である。
【泉川】
「田辺福麻呂(巻六‐一〇五四)(歌は省略)木津(きづ)川は古く山背(やましろ)川といわれたが、いまの相楽郡木津町・加茂町<いずれも現木津川市>一帯は和名抄にいう『水泉(いづみ)郷』にあたり、当時、泉の里ともいわれこの一帯から下流にかけての木津川は“泉川”“泉の川”とよばれていた。・・・恭仁京のあけくれになくてはならぬ景物として、このように、宮の永遠を川の永遠とかさねてことほぐ歌もでてくるのだ。恭仁京周辺ことに和束(わづか)の地方は良材を出したから、(巻十一‐二六四五)(歌は省略)のように宮殿造営の木材をひき出す泉の杣山に徴発されて働く役夫の休息のないことが、そのまま恋の歌にまでおのずと反映するほどだった。泉の用材はもちろん、伊賀・近江の木材も川を利用して泉に集まり、ここで陸揚げされて大和にはこばれていた。木津の名もここから起こっている。・・・大和から近江方面にゆくのには、どうしても越えねばならぬ交通路上の川となって、時には架橋により、時には徒歩によって、(巻十三‐三三一五)(歌は省略)のような歌を見、また『真木(まき)積む 泉の川の 速(はや)き瀬に 棹(さを)さし渡』らねばならなかった。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻六 一〇五四歌をみていこう。
■巻六 一〇五四歌■
◆泉川 往瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷往目
(田辺福麻呂 巻六 一〇五四)
≪書き下し≫泉川(いづみかわ)行く瀬の水の絶えばこそ大宮ところうつろひゆかめ
(訳)泉川、この川の行く瀬の水が絶えるようなことでもあれば、大宮所のさびれてゆくこともありはしようが・・・。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)
(注)泉川:木津川の古名。(伊藤脚注)
(注)め :推量の助動詞「む」の已然形。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その182改)」で、一〇五三歌(長歌)の反歌五首(一〇五四~一〇五八歌)ならびに京都府立山城郷土資料館駐車場万葉歌碑(一〇五六歌)とともに紹介している。
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つぎに、巻十一 二六四五歌をみていこう。
■巻十一 二六四五歌■
◆宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀渡可聞
(作者未詳 巻十一 二六四五)
≪書き下し≫宮材(みやぎ)引く泉(いづみ)の杣(そま)に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも
(訳)宮材を引き出す泉の杣山(そまやま)に、立ち働く人びとが休む暇もないように、ひっきりなしに私は焦がれつづけている。(同上)
(注)泉:京都府木津川市。上三句は序。「やむ時もなく」を起す。(伊藤脚注)
(注)そまやま 【杣山】名詞:材木として切り出すために植林した山。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2682)」で紹介している。
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つづいて巻十三 三三一五歌をみていこう。
■巻十三 三三一五歌■
◆泉川 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨
(作者未詳 巻十三 三三一五)
≪書き下し≫泉川(いづみがわ)渡り瀬(ぜ)深み我(わ)が背子(せこ)が旅行(たびゆ)き衣(ごろも)ひづちなむかも
(訳)泉川、あの川は渡り瀬が深いので、あなたの旅衣がびしょ濡れになってしまうのではなかろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
(注)泉川:今の木津川。(伊藤脚注)
(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その326)」で紹介している。
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犬養著の解説にある『真木(まき)積む 泉の川の 速(はや)き瀬に 棹(さを)さし渡』は巻十三 三二四〇歌の一部である。みてみよう。
■巻十三 三二四〇歌■
◆王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 竿刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山文越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而
(作者未詳 巻十三 三二四〇)
≪書き下し≫大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木(まき)積む 泉(いずみ)の川の 早き瀬を 棹(さを)さし渡り ちはやぶる 宇治(うぢ)の渡りの たぎつ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けして 我(わ)が越え行けば 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあらば またかへり見む 道の隈(くま) 八十隈(やそくま)ごとに 嘆きつつ 我(わ)が過ぎ行けば いや遠(とほ)に 里離(さか)り来ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 剣太刀(つるぎたち) 鞘(さや)ゆ抜き出(い)でて 伊香胡山(いかごやま) いかにか我(あ)がせむ ゆくへ知らずて
(訳)大君の仰せを恐れ謹んで、いくら見ても見飽きない奈良山を越えて、真木を積んで運ぶ泉の川の早瀬を、棹をさして渡り、ちはやぶる宇治の渡り所の逆巻く瀬を見守りながら渡って、近江道の逢坂山の神に手向けを供え私が越えて行くと、やがて楽浪の志賀の唐崎に着いたが、この唐崎の名のように事もなく幸くさえあれば立ち帰ってまたここを見ることができよう。こうして、数多い道の曲がり角ごとに、嘆きを重ねて私が通り過ぎて行くと、いよいよ遠く里は離れてしまった。いよいよ高く山も越えて来た。剣太刀を鞘から抜き出していかがせんという伊香胡山ではないが、私はいかがしたらよいのか、行く先いかになるともわからないで。(同上)
(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)
(注)泉の川:木津川。木津付近は材木の集積地。(伊藤脚注)
(注)ちはやぶる【千早振る】分類枕詞:①荒々しい「氏(うぢ)」ということから、地名「宇治(うぢ)」にかかる。「ちはやぶる宇治の」。②荒々しい神ということから、「神」および「神」を含む語、「神」の名、「神社」の名などにかかる。(学研)
(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。「ささなみの長等」。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」 ⇒参考:『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)
(注)剣大刀鞘ゆ抜き出でて:「伊香胡山」の序。男を刀身に、女を鞘に譬えた遊仙窟の「君今シ抜キ出デム後ハ、空シキ鞘をイカニカセム」に拠る。また「伊香胡山」までの三句も序を兼ね、「いかに」を起す。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2523)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」