●歌は、「我が大君天知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束杣山(大伴家持 3-476)」ならびに「あしひきの山さえ光ろ咲く花の散りぬるごとき我が大君かも(大伴家持 3-477)」である。
【安積皇子墓】
「大伴家持(巻三‐四七六・四七七)(歌は省略)天平一六年閏一月一一日聖武天皇の難波行幸のとき、安積(あさか)皇子は中途から脚病のため恭仁(くに)京に還られ一三日に年一七歳で亡くなられたという(『続紀』)。この歌はその二月三日皇子の死を悼んだ家持の挽歌である。安積皇子は聖武天皇と夫人犬養広刀自(ひろとじ)との間の子で、神亀五年(七二八)異腹の兄基(もとい)王の亡くなった年に生まれた。男皇子はただ一人だから当然皇太子になるべきだが、天平一〇年(七三八)阿部内親王(光明皇后の子)の立太子をみたのは、藤原氏の優位確保の理由があったのだろう。恭仁京における家持は、皇子に期待する所が多かったらしく、たびたび皇子と宴をともにし(巻六‐一〇四〇・一〇四三)親密の度を加えていた。藤原氏にしてみれば皇太子の地位の安泰のためには抹殺すべき存在であったかもしれない。悲しい運命の人にはちがいない。
墓所は・・・和束(わづか)町白栖(しらす)の大勘定、和束川北岸の丘陵上にある。当時、用材を出した山(杣山(そまやま))の和束の山々にかこまれたところで、家持にとってはなんの気なしに見ていた山も、思い新たな感慨をさそったろうし、期待をよせていただけに、花の散ってしまったようなうつろな思いであっただろう。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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題詞は、「十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首」<十六年甲申(きのえさる)の春の二月に、安積皇子(あさかのみこ)の薨(こう)ぜし時に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持が作る歌六首>である。
長歌(四七五歌)と反歌(四七六、四七七歌)は、左注に「右三首二月三日作歌」<右の三首は、二月の三日に作る歌>とあり、長歌(四七八歌)と反歌(四七九、四八〇歌)は、左注に、「右三首三月廿四日作歌」<右の三首は、三月の二十四日に作る歌>とある。
二月三日の長歌(四七五歌)と反歌(四七六、四七七歌)をみてみよう。
■巻三 四七五歌■
◆桂巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久迩乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 埿打雖泣 将為須便毛奈思
(大伴家持 巻三 四七五)
≪書き下し≫かけまくも あやに畏(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 見(め)したまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の都は うち靡(なび)く 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬(かはせ)には 鮎子(あゆこ)さ走(ばし)り いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲(しろたへ)に 舎人(とねり)よそひて 和束山(わづかやま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天(あめ)知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為(せ)むすべもなし
(訳)心にかけて思うのもまことに恐れ多い。ましてや口にかけて申すのも憚(はばか)り多いことだ。わが大君、皇子の命が万代までもお治めになるはずの大日本(おおやまと)久邇の都は、物うち靡く春ともなれば、山辺には花がたわわに咲き匂い、川瀬には若鮎が飛び跳ねて、日に日に栄えていくその折しも、人惑わしの空言というのか、事もあろうに舎人たちは白い喪服を装い、和束山に皇子の御輿が出で立たれて、はるかに天上を治めてしまわれたので、伏し悶え涙にまみれて泣くのだが、今はどうにもなすすべがない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)安積皇子:聖武天皇の子
(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち:動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)めす 【見す・看す】他動詞:①ご覧になる。▽「見る」の尊敬語。②お治めになる。ご統治なさる。▽「治む」の尊敬語。 ⇒参考:動詞「み(見)る」の未然形に尊敬の助動詞「す」(四段活用)が付いた「みす」の変化した語。上代にだけ使用された。(学研)ここでは①の意
(注)大日本久邇:天平十二~十六年の久邇京の正式名。(伊藤脚注)
(注)うちなびく 【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)
(注)いやひけに 【弥日異に】副詞:日増しに。日を追うにつれますます。(学研)
(注)およづれ 【妖・逆言】名詞:「妖言(およづれごと)」の略。人をまどわすことば。(学研)
(注)和束山:恭仁京の東北に隣接する和束町の山。安積皇子の墓がある。(伊藤脚注)
(注)天知らしぬれ:葬られて天上を治める身になったことをいう。ヌレはヌレバの意。(伊藤脚注)
(注)こいまろぶ 【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)
(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)
■巻三 四七六歌■
◆吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山
(大伴家持 巻三 四七六)
≪書き下し≫我(わ)が大君(おほきみ)天(あめ)知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束(わづか)杣山(そまやま)
(訳)わが大君がここで天上をお治めになろうとは思いもかけなかったので、今までなおざりに見ていたのだった、この杣山(そまやま)の和束山(わづかやま)を。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)おほ(おおぞう)[名・形動ナリ]特に取り立てていうほどではないこと。また、そのさま。とおりいっぺん。いいかげん。[補説]「ぞう」の歴史的仮名遣いは不明。「おほざま(大様)」または「おほざふ(大雑)」の音変化として、「おほざう」「おほざふ」とする説もあるが、「おほぞら(大空)」と関係づけて「おほぞう」を妥当とする見方もある。(goo辞書 デジタル大辞泉(小学館))
(注)そまやま 【杣山】名詞:材木として切り出すために植林した山。(学研)
■巻三 四七七歌■
◆足檜木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞
(大伴家持 巻三 四七七)
≪書き下し≫あしひきの山さえ光ろ咲く花の散りぬるごとき我が大君かも
(訳)あしひきの山のくまぐままで照り輝かせて咲き盛っていたその花が、にわかに散り失せてしまったような、われらの大君よ。
四七六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その183改)」で京都府相楽郡和束町 活道ヶ丘公園万葉歌碑とともに紹介している。
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安積王の墓については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2599の3)」で紹介している。
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巻六‐一〇四〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1129)」で紹介している。
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巻六一〇四三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その869)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」