万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1802)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(14)―万葉集 巻十 二二七四

●歌は、「臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(14)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容㒵之花

        (作者未詳 巻十 二二七四)

 

≪書き下し≫臥(こ)いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出(い)でじ朝顔(あさがほ)の花

 

(訳)身悶(もだ)えして恋死にすることはあっても、この思いをはっきり顔色にだしたりはいたしますまい。朝顔の花みたいには。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】:ころげ回る。身もだえてころがる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。(同上) ⇒参考:古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)

 

 この歌を含む朝顔を詠んだ五首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その283)」で紹介している。

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「臥(こ)いまろび恋ひは死ぬともちしろくには出(い)でじ朝顔(あさがほ)の花」と、こい、こい、い、い、い、とリズミカルな歌である。

この「臥(こ)いまろび」は、聞きなれない言葉である。これまでに見てきた歌にも使われていたが、頭に残っていなかった。

「臥(こ)いまろび」をもう一度みなおしてみよう。

 

 まず、家持の四七五歌である。

 

 題詞は、「十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首」<十六年甲申(きのえさる)の春の二月に、安積皇子(あさかのみこ)の薨(こう)ぜし時に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持が作る歌六首>である。

 

 長歌(四七五歌)と反歌(四七六、四七七歌)は、左注に「右三首二月三日作歌」<右の三首は、二月の三日に作る歌>とあり、次の長歌(四七八歌)と反歌(四七九、四八〇歌)は、左注に、「右三首三月廿四日作歌」<右の三首は、三月の二十四日に作る歌>とある。

 

◆桂巻母 綾尓恐之 言巻毛 齊忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久迩乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 埿打雖泣 将為須便毛奈思

        (大伴家持 巻三 四七五)

 

≪書き下し≫かけまくも あやに畏(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも 我(わ)が大君(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に 見(め)したまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の都は うち靡(なび)く 春さりぬれば 山辺(やまへ)には 花咲きををり 川瀬(かはせ)には 鮎子(あゆこ)さ走(ばし)り いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲(しろたへ)に 舎人(とねり)よそひて 和束山(わづかやま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天(あめ)知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為(せ)むすべもなし

 

(訳)心にかけて思うのもまことに恐れ多い。ましてや口にかけて申すのも憚(はばか)り多いことだ。わが大君、皇子の命が万代までもお治めになるはずの大日本(おおやまと)久邇の都は、物うち靡く春ともなれば、山辺には花がたわわに咲き匂い、川瀬には若鮎が飛び跳ねて、日に日に栄えていくその折しも、人惑わしの空言というのか、事もあろうに舎人たちは白い喪服を装い、和束山に皇子の御輿が出で立たれて、はるかに天上を治めてしまわれたので、伏し悶え涙にまみれて泣くのだが、今はどうにもなすすべがない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)安積皇子:聖武天皇の子

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 ⇒なりたち:動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞「も」(学研)

(注)めす【見す・看す】他動詞:①ご覧になる。▽「見る」の尊敬語。②お治めになる。ご統治なさる。▽「治む」の尊敬語。 ⇒参考:動詞「み(見)る」の未然形に尊敬の助動詞「す」(四段活用)が付いた「みす」の変化した語。上代にだけ使用された。(学研)ここでは②の意

(注)いやひけに 【弥日異に】( 副 )いよいよ日ましに。一日一日ごとに変わって。(学研)

(注)和束山:恭仁京の東北に隣接する和束町の山。安積皇子の墓がある。

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】:ぬれる。泥でよごれる。(学研)

 

 この歌ならびに反歌(四七六・四七七歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その183)」で紹介している。

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 また、次の歌群(四七八~四八〇歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1126)」で紹介している。

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 「臥ひまろび」の次の歌は、一七四〇歌である。

 

題詞は、「詠水江浦嶋子一首 幷短歌」<水江みづのえ)の浦(うら)の島子(しまこ)を詠む一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)水江の浦の島子:摂津(大阪)の住吉の人か。

 

◆春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 ▼袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

  ▼は「口偏にリ」=「叫(さけ)ぶ」

        (高橋虫麻呂 巻九 一七四〇)

 

≪書き下し≫春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船‘つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)の 鰹(かつを)釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日(なぬか)まで 家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕(こ)ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向(むか)ひ 相(あひ)とぶらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神(かみ)の宮(みや)の 内のへの 妙(たへ)なる殿(との)に たづさはり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚(おろ)か人ひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母(ちちはは)に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 我(わ)れは来(き)なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢(あ)はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 住吉(すみのへ)に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あらしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(あひだ)に 垣もなく 家失(う)せめやと この箱を 開(ひら)きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉(たま)櫛笥(くしげ) 少(すこ)し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出(い)でて 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若ありし 肌(はだ)も皺(しわ)みぬ 黒くありし 髪(かみ)も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後(のち)つひに 命(いのち)死にける 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)が 家ところ見ゆ

 

(訳)春の日の霞んでいる時などに、住吉の崖(がけ)に佇(たたず)んで沖行く釣り舟が波に揺れているさまを見ていると、過ぎ去った遠い世の事どもがひとしお偲(しの)ばれるのであります。あの水江の浦の島子が、鰹を釣り鯛を釣って夢中になり、七日経っても家にも帰らず、はるか彼方(かなた)わたつみの国との境までも越えて漕いで行って、わたつみの神のお姫様にひっこり行き逢い、言葉を掛け合っい話がきまったので、行末を契って常世の国に至り着き、わたつみの宮殿の奥の奥にある神々しい御殿に、手を取り合って二人きりで入ったまま、年取ることも死ぬこともなくいついつまでも生きていられたというのに、この世の愚か人島子がいとしい人にうち明けたのであった。「ほんのしばらく家に帰って父さんや母さんに事情を話し、明日にでも私は帰って来たい」と。こううち明けると、いとしい人が言うには、「ここ常世の国にまた帰って来て、今のように過ごそうと思うのでしたら、この櫛笥、これを開けないで下さい。けっして」と。ああ、そんなにも堅く堅く約束したことであったのに、島子は住吉に帰って来て、家を探しても家も見つからず、里を探しても里も見当たらないので、これはおかしい、変だと思い、そこで思案を重ねたあげく、「家を出てからたった三年の間に、垣根ばかりか家までもが消え失せるなんていうことがあるものか」と、「この箱を開けて見たならば、きっと元どおりの家が現われるにちがいない」と。そこで櫛笥をおそるおそる開けたとたんに、白い雲が箱からむくむくと立ち昇って常世の国の方へたなびいて行ったので、飛び上がりわめき散らして袖を振り、ころげ廻(まわ)って地団駄を踏み続けてうちに、にわかに気を失ってしまった。若々しかった肌も皺だらけになってしまった。黒かった髪もまっ白になってしまった。そしてそのあとは息も絶え絶えとなり、あげくの果てには死んでしまったという、その水江の浦の島子の家のあった跡がここに見えるのであります。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とをらふ【撓らふ】自動詞:揺れ動く。(学研)

(注)ほこる【誇る】自動詞:得意げにする。自慢する。(学研)

(注)七日まで:日数の多いことをいう。

(注)うなさか【海境・海界】名詞:海上遠くにあるとされる海神の国と地上の人の国との境界。海の果て。(学研)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考 「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)

(注)たまさかなり【偶なり】形容動詞:①偶然だ。たまたまだ。②まれだ。ときたまだ。③〔連用形を仮定条件を表す句の中に用いて〕万一。(学研)ここでは①の意

(注)とぶらふ【訪ふ】他動詞:①尋ねる。問う。②訪れる。訪ねる。訪問する。③慰問する。見舞う。④探し求める。⑤追善供養する。冥福(めいふく)を祈る。◇「弔ふ」とも書く。(学研)ここでは①の意

(注)いひなる【言ひ成る】:話のゆきがかりで言ってしまう。話のなりゆきで、そうなる。(学研)

(注)とこよ【常世】名詞:①永久不変。永遠。永久に変わらないこと。②「常世の国」の略。(学研)ここでは②の意→不老不死の国。ここは海神の国

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)ここでは①の意

(注)せけん【世間】名詞:①俗世。俗人。生き物の住むところ。◇仏教語。②世の中。この世。世の中の人々。③あたり一面。外界。④暮らし向き。財産。(学研)ここでは①の意。

(注の注)世間の愚か人の:(作者の批判のことば)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)明日のごと:明日にでも。

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)

(注)そこらくに 副詞:あれほど。十分に。たくさんに。しっかりと。(学研)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)

 

 この歌ならびに反歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1142)」で紹介している。

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 次は、三三二六歌である。

 

◆礒城嶋之 日本國尓 何方 御念食可 津礼毛無 城上宮尓 大殿乎 都可倍奉而 殿隠 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舎人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲尓 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞

       (作者未詳 巻十三 三三二六)

 

≪書き下し≫礒城島(しきしま)の 大和の国に いかさまに 思ほしめせか つれもなき 城上(きのへ)の宮に 大殿(おほとの)を 仕(つか)へまつりて 殿隠(とのごも)り 隠(こも)りいませば 朝(あした)は 召(め)して使ひ 夕(ゆふへ)は 召して使ひ 使はしし 舎人(とねり)の子らは 行く鳥の 群(むら)がりて待ち あり待てど 召したまはねば 剣太刀(つるぎたち) 磨(と)ぎし心を 天雲(あまくも)に 思ひはぶらし 臥(こ)いまろび ひづち哭(な)けども 飽き足(だ)らぬかも

 

(訳)磯城島(しきしま)の大和の国、このすぐれた国にははかにも所もあろうに、どのように思し召されたのか、ゆかりもない城上の宮に殯(あきら)の大殿をお造り申して、その御殿にお隠(こも)りになっていらっしゃるので、朝は朝で召してお使いになり、夕は夕で召して使いしてお使いになった舎人たちは、群がり行く鳥のように群がってお召しを待ち、ずっとお待ちしてるけれどいっこうにお呼びがないので、剣太刀を磨き澄ましたように張りつめていたその気持も、天雲のように放ったらかしにしてしまって、伏し悶(もだ)え泣き濡(ぬ)れるけれど、悲しみはちっとも晴れることがない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つれもなし 形容詞:①なんの関係もない。ゆかりがない。②冷淡だ。つれない。 ※「つれ」は関係・つながりの意。(学研)

(注)城上:桜井市戒重あたりか。(伊藤脚注)

(注)とのごもる【殿隠る・殿籠る】自動詞:①お隠れになる。崩御(ほうぎよ)される。▽「死ぬ」の尊敬語。◇殯の宮にこもる意から。②おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。(学研)

(注)ゆくとりの【行く鳥の】分類枕詞:飛ぶ鳥が群がって飛ぶところから「群がる」「争ふ」にかかる。(学研)

(注)「あり待てど」の「あり」は存続を示す。ずっと。(伊藤脚注)

(注)つるぎたち【剣太刀】分類枕詞:①刀剣は身に帯びることから「身にそふ」にかかる。②刀剣の刃を古くは「な」といったことから「名」「汝(な)」にかかる。③刀剣は研ぐことから「とぐ」にかかる。(学研)ここでは③の意

(注)天雲に思ひはぶらし:天雲としてちりぢりに放ちやり。(伊藤脚注)

 

 

 伊藤氏は、「身悶(もだ)えして」、「伏し悶え」、「ころげ廻(まわ)って」、「伏し悶(もだ)え」と訳されているが、十二分にニュアンスが伝わってくる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会