万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1803)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(15)―万葉集 巻十 二三一五

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(15)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(15)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

      (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(学研)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)                       

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その70改)」で紹介している。

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万葉歌碑を訪ねて(その70改)―奈良県桜井市箸中車谷県道50号線沿い―万葉集 巻十 二三一三 - 万葉集の歌碑めぐり

 

 

 雪といえば、頭に浮かぶのは、天武天皇と藤原夫人の掛け合いである。歌をみてみよう。

 

標題は、「明日香清御原宮御宇天皇代 天渟中原瀛真人天皇天武天皇」<明日香(あすか)の清御原(きよみはら)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)謚(おくりな)して天武天皇(てんむてんのう)といふ>

 

 題詞は、「天皇賜藤原夫人御歌一首」<天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜ふ御歌一首>である。

(注)藤原夫人:藤原鎌足の女(むすめ)、五百重娘(いおえのいらつめ)(伊藤脚注)

 

◆吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後

       (天武天皇 巻二 一〇三)

 

≪書き下し≫我(わ)が里に大雪(おほゆき)降(ふ)れり大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後(のち)

 

(訳)わがこの里に大雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことでござろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が里:浄御原の宮一帯。今の明日香小学校あたりという。(伊藤脚注)

(注)大雪:天武紀六年十二月と十五年三月に大雪の記事がある。(伊藤脚注)

(注)大原:明日香村小原。浄御原宮跡にごく近い山稜。(伊藤脚注)

(注)まく :…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒語法:活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

 

 次に、藤原夫人の歌をみてみよう。

題詞は、「藤原夫人奉和歌一首」<藤原夫人、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首>である。

 

◆吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武

       (藤原夫人 巻二 一〇四)

 

≪書き下し≫我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ

 

(訳)私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。(同上)

(注)おかみ:水を司る龍神(伊藤脚注)

(注)ふじん【夫人】名詞:天皇の配偶者で、皇后・妃に次ぐ位の女性。「ぶにん」とも。(学研)

 

 それぞれの居る場所の距離感を頭において歌をみていくと、その掛け合いの面白さが増してくる。

浄御原宮跡(今の明日香小学校あたり)と大原の里(大原神社あたり)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その158)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 こういった男女間の丁々発止に近いやりとりは、歌垣の文化を引き継ぐものであるという考え方がある。

 歌垣と言う大勢の参加者の中で、「あいつは、できるな」、「あの人の歌のセンスにしびれるわ」と思われないと良き伴侶に恵まれない。知的でユーモアセンスがあふれ、柔軟性をもつことが求められるのである。そのような場を通して歌の文化が支えられ磨き上げられてきたのであろう。

 

 

 

 歌の掛け合いといえば、家持と紀女郎の歌である。みてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢家持贈紀女郎歌一首」<大伴宿禰家持、紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸

       (大伴家持 巻四 775)

 

≪書き下し≫鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なみ)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき

 

(訳)鶉の鳴く古びた里にいた頃からずっと思い続けてきたのに、どうしてあなたにお逢いするきっかけもないのでしょう。(同上)

(注)うずらなく【鶉鳴く】:[枕]ウズラは草深い古びた所で鳴くところから「古(ふ)る」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)にし 分類連語:…てしまった。(学研)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

 

 

これに対して、答えた歌。

 

題詞は、「紀女郎報贈家持歌一首」<紀女郎、家持に報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手

       (紀郎女 巻四 七七六)

 

≪書き下し≫言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか小山田(をだやま)の苗代水(なはしろみず)の中淀にして

 

(訳)先に言い寄ったのはどこのどなただったのかしら。山あいの苗代の水が淀んでいるように、途中でとだえたりして。(同上)

(注)よど【淀・澱】名詞:淀(よど)み。川などの流れが滞ること。また、その場所。(学研)

(注)中よど:流れが中途で止まること。妻問いが絶えることの譬え。

 

 「言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか」と、大上段から切り返しているところは、紀郎女の勝気な性格が出ているするどい歌である。また、郎女の名は、「小鹿」というから、疑問の助詞の「か」に「鹿」をあてたのは、書き手の戯れであろうか。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 紀女郎の歌十二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会