―その1250―
●歌は、「南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ」である。
●歌碑(プレート)は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(48)にある。
●歌をみていこう。
◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知
(作者未詳 巻七 一三三〇)
≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ
(訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)細川山:奈良県明日香村稲渕の細川に臨む山。
(注)檀(まゆみ):目をつけた女の譬え。
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)弓束(ゆづか)巻く:契りを結ぶ意。
弓を握る大事な部位である「弓束」を詠った歌をみてみよう。
◆於伎弖伊可婆 伊毛婆麻可奈之 母知弖由久 安都佐能由美乃 由都可尓母我毛
(作者未詳 巻十四 三五六七)
≪書き下し≫置きて行(い)かば妹(いも)はま愛(かな)し持ちて行(ゆ)く梓(あづさ)の弓の弓束(ゆづか)にもがも
(訳)家に残して行ったら、お前さんのことはこの先かわいくってたまらないだろう。せめて握り締めて行く、この梓(あずさ)の弓の弓束であってくれたらな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)まかなし【真愛し】形容詞:切ないほどいとしい。とてもいじらしい。 ※「ま」は接頭語。上代語。(学研)
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(学研)
(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)
三五六七、三五六八歌の左注は、「右二首問答」<右の二首は問答>である。
三五六八歌をみてみよう。
◆於久礼為弖 古非波久流思母 安佐我里能 伎美我由美尓母 奈良麻思物能乎
(作者未詳 巻十四 三五六八)
≪書き下し≫後(おく)れ居(ゐ)て恋(こ)ひば苦しも朝猟(あさがり)の君が弓にもならましものを
(訳)あとに残されていて恋い焦がれるのは苦しくてたまりません。毎朝猟にお出かけのあなたがお持ちの弓にでもなりたいものです。(同上)
(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)
巻十四の、三五六七~三五七一歌の五首の題詞は、「防人歌」<防人歌(さきもりうた)>である。 防人として出征していく夫と妻の問答歌である。防人は東国農庶民といわれているが、感じたことをそのまま歌にしたといえばそれまでであるが、「弓束であれば一緒に持って行けるのにな。」「いっそのことあなたの弓になりたいの。」と、なかなか洒落た言い回しである。歌垣等の民謡的な歌を踏まえて重ね合わせたのかもしれない。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その996)」で紹介している。
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◆梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意
(作者未詳 巻十一 二八三〇)
≪書き下し>梓弓(あづさゆみ)弓束(ゆづか)巻き替(か)へ中見(なかみ)さしさらに引くとも君がまにまに
(訳)梓弓の弓束を新しく巻き替えておきながら、古い弓に中見をさして、もう一度引こうというのなら、それもあなたの勝手です。
(注)上二句は、新しい女(私)に乗りかえておきながら、の意の譬喩。
(注)中見:未詳。元の女に目星をつける意の譬えか。
(注)さらに引くとも:再度元の女の気を引くことがあっても。
左注は、「右一首寄弓喩思」<右の一首は、弓に寄せて思いを喩(たと)ふ>である。
次もみてみよう。
◆可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
(作者未詳 巻十四 三四八六)
≪書き下し≫愛(かな)し妹(いも)を弓束(ゆづか)並(な)べ巻きもころ男(を)のこととし言はばいや片増しに
(訳)いとし子よ、お前さんを、弓束に籐(とう)をしっかと巻くようにまいて寝るが、俺の力があいつと変わらぬというなら、もっともっとまいてやるぞ。(同上)
(注)弓束並べ巻き:女を抱いて寝ることの譬え。
(注)もころを【如己男】:自分と同等の男。自分に匹敵する相手。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)こと:「如」
(注)片増し:一方的に増す意。
弓矢に日常的に接しているからこのような譬えの歌が詠めるのだろう。
―その1251―
●歌は、「松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ」である。
●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(49)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首」<平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)、越中守(こしのみちのなかのかみ)大伴宿禰家持に贈る歌十二首>である。
◆麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追
(平群氏女郎 巻十七 三九四二)
≪書き下し≫松の花花数(はなかず)にしも我が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ
(訳)ひっそりとお帰りを待つ松の花、その花を花の数のうちともあなたが思ってもいらっしゃらないのに、花はいたずらに咲き続けていて・・・。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)
左注は、「右件十二首歌者時々寄便使来贈非在一度所送也」<右の件(くだり)の十二首の歌は、時々に便使(べんし)に寄せて来贈(おこ)せたり。一度(ひとたび)に送るところにあらず>である。
この十二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その841)」で紹介している。
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この歌群の前の歌群(三九二七から三九三〇歌)は、家持が越中の国の守(かみ)に任ぜられ任地に趣く折に姑(をば)大伴坂上郎女が、家持に贈った歌を四首である。
後ろの三九四三から三九五五歌の歌群は、任地についた家持を歓迎する宴の歌となっている。
越中についた家持に平群郎女は何度か歌を贈ったのである。家持の女性遍歴を匂わす歌でもある。
三九四三から三九五五歌の歌群は、即ち越中歌壇を出発させる重要な宴であったとも言われている。
この歌群の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」