万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その944,945)―一宮市萩原町 萬葉公園(15、16)―万葉集 巻二 一五六、巻六 九九〇

―その944―

●歌は、「みもろの神の神杉夢にのみ見えつつ共に寝ねる夜ぞ多き」である。

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(15)万葉歌碑(プレート)<高市皇子

●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(15)にある。

 

●歌をみていこう。

◆三諸之 神之神須疑 巳具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多

                  (高市皇子 巻二 一五六)

 

≪書き下し≫みもろの神の神杉(かむすぎ)巳具耳矣自得見監乍共(第三、四句、訓義未詳)寝(い)ねる夜(よ)ぞ多き

 

(注)第三、四句は訓義未詳ではあるが、次のような説がある

           ①こぞのみをいめにはみつつ

           ②いめにだにみむちすれども

           ③よそのみをいめにはみつつ

           ④いめにのみみえつつともに

なお、萬葉公園の歌碑(プレート)では、「夢にのみ見えつつ共に」と書かれている。

 

(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、巳具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

  題詞「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」<十市皇女(といちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首>のうちの一首である。

 この三首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その68)」で紹介している。(タイトルの写真にはサンドイッチが写っていますが、本稿は書き換え、写真は削除しております。ご容赦下さい、)

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 高市皇子十市皇女の父は天武天皇である。高市の母は尼子娘(胸形君徳善の娘)で、十市の母は額田王である。異母兄妹である。

 高市皇子は、壬申の乱の時に軍を指揮し、十市皇女の夫である大友皇子天智天皇の皇子)を破っている。

 十市皇女は乱後は父天武天皇のもとにひきとられていたが、天武四年(675年)に宮中で急死し、大和の赤穂に葬られたという。赤穂の地としては奈良市高畑町や桜井市赤尾などの説がある。

 皇女の伊勢参宮の折、吹芡刀自(ふふきのとじ)が皇女の不変の安寧を願っている。それだけに宮中での急死をなにか暗示しているかのようである。

 この吹芡刀自の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(38)」で紹介している。(本文ではサンドイッチの写真は削除しております)

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 高市十市を慕ったという。

 このような悲劇、悲恋の歌は、万葉集には数多く収録されている。

 二十巻という、膨大な「記録」された形での編纂が行われたのであるが、「歌物語」的様相は脈々と受け継がれてきたと思われる。

 大伴家持が編纂者といわれるが、大伴安麻呂、旅人、家持と大伴氏がある意味、歴史の渦に呑み込まれ衰退していく悲劇性が万葉集を当時の実ならず現在までも惹きつける魅力というか魔力を持っているといわざるをえない。

 

 

 

―その945―

歌は、「茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく」である。

 

歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(16)にある。

 

歌をみていこう。

 

◆茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久

                 (紀鹿人 巻六 九九〇)

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(16)万葉歌碑(プレート)<紀鹿人>

≪書き下し≫茂岡に神(かむ)さび立ちて栄たる千代松の木の年の知らなく

 

(訳)茂岡に神々しく立って茂り栄えている、千代ののちを待つという松の木、この木の齢の見当もつかない(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

 続いて九九一歌として紀朝臣鹿人の歌が収録されている。こちらもみてみよう。

 

◆石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見

                 (紀鹿人 巻六 九九一)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)りたぎち流るる泊瀬川(はつせがわ)絶ゆることなくまたも来て見む

 

(訳)磐に激しくほとばしり流れる泊瀬川よ、お前の流れが絶えないように、絶えることなくまた必ずやって来て流れを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)たぎち【滾ち・激ち】激流。また、その飛び散るしぶき。

 

  題詞は、「同鹿人至泊瀬河邊作歌一首」<同じき鹿人、泊瀬(はつせ)の川辺(かはへ)に至りて作る歌一首>である

 

 紀朝臣鹿人の歌は万葉集には三首収録されている。

 これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(96)」で紹介している。(本文ではサンドイッチの写真は削除しております)

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 紀鹿人の娘は紀郎女である。安貴王の妻であり、家持より十五歳程度年上である

 紀郎女と大伴家持の間では恋愛感情に近い歌がやりとりされている。家持の女性遍歴は有名であるが、紀郎女をその対象に入れるか入れないかで諸説がある。それは、一旦置いておいてここでは、二人の掛け合い的な歌をみてみよう。

 

 

題詞は、「大伴宿祢家持贈紀女郎歌一首」<大伴宿禰家持、紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸

                (大伴家持 巻四 775)

 

≪書き下し≫鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なみ)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき

 

(訳)鶉の鳴く古びた里にいた頃からずっと思い続けてきたのに、どうしてあなたにお逢いするきっかけもないのでしょう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)うずらなく【鶉鳴く】:[枕]ウズラは草深い古びた所で鳴くところから「古(ふ)る」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)にし 分類連語:…てしまった。(学研)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

 

これに対して、答えた歌。

題詞は、「紀女郎報贈家持歌一首」<紀女郎、家持に報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手

               (紀郎女 巻四 七七六)

 

≪書き下し≫言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか小山田(をだやま)の苗代水(なはしろみず)の中淀にして

 

(訳)先に言い寄ったのはどこのどなただったのかしら。山あいの苗代の水が淀んでいるように、途中でとだえたりして。(同上)

(注)よど【淀・澱】名詞:淀(よど)み。川などの流れが滞ること。また、その場所。(学研)

(注)中よど:流れが中途で止まること。妻問いが絶えることの譬え。

 

 「言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか」と、大上段から切り返しているところは、紀郎女の勝気な性格が出ているするどい歌である。また、郎女の名は、「小鹿」というから、疑問の助詞の「か」に「鹿」をあてた書き手の戯れであろうか。

 

 さらに、家持との間には、戯れた歌の贈答が一四六〇から一四六三歌に収録されている。

 この歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(196)」で紹介している。

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 天平十一年(739年)に、家持は二十二歳で坂上大嬢と結婚しているが、このころから紀郎女以外の女性との歌の贈答はなりをひそめている。

 万葉集に収録する「歌物語的な歌」として見た場合、家持との掛け合い的な面白さ、歌から読み取れる郎女の性格からみた今でいう女性上位的な見方の歌といった諸要素が勘案され、収録されているように思える。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著 (角川文庫)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉