●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(23)にある。
●歌をみてみよう。
◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代
(紀女郎 巻八 一四六一)
≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ
(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)きみ【君・公】名詞:①天皇。帝(みかど)。②主君。主人。③お方。▽貴人を敬っていう語。④君。▽人名・官名などの下に付いて、「…の君」の形で、その人に敬意を表す。(学研) ここでは、②の意
(注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「ネムの木は、雨の時や夜には対生(たいせい)している葉を合わせたようになる。それがまるで眠っているように見えるので、ねむのきという。木は落葉高木で、七月に入る綿毛が伸びたような紅色の花を咲かせる。この歌は、紀女郎(きのいらつめ)が自分のことを君(主人)と言い、歌を贈った相手である大伴家持のことを戯奴(わけ)(従者)と呼んでいるので、戯れ心の歌である。それゆえ、合歓木を見に来られませんかと誘う裏には、ネムの木だって恋い寝るのだから、私たちもその花のように共寝をしましょうよと、恐らくは年上の紀女郎が若い家持に戯れかけた心が見られる。なお、ネムは万葉集ではすべてネブというが、古代の『ねぶり』が『ねむり』と代わり、『けぶり』が『けむり』と今日呼ばれることと同じことである。
万葉集においては、わずか三首しか合歓木は見られないが、『しなひ合歓の木』などと歌われていて、ネムの木の特徴をよくとらえ得たことばもある。萩等と同じく枝から垂れ下がったマメのような実がよく目につくので、合歓木の実もまた興味を引いていた。」(万葉の小径 ねぶの歌碑)
一四六〇、一四六一歌の題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。続く一四六二、一四六三歌の題詞は、「大伴家持贈和歌二首」<大伴家持、贈り和(こた)ふる歌二首>である。
これらをみてみよう。
◆戯奴<變云和氣>之為 吾手母須麻尓 春野尓 抜流茅花曽 御食而肥座
(紀女郎 巻八 一四六〇)
≪書き下し≫戯奴(わけ)<変して「わけ」といふ>がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ
(訳)そなたのために、私が手も休めずに春の野で抜き採った茅花(つばな)ですよ、これは。食(め)し上がってお太りなさいませよ。(同上)
(注)てもすまに【手もすまに】分類連語:手を働かせて。一生懸命になって。(学研)
◆吾君尓 戯奴者戀良思 給有 茅花乎雖喫 弥痩尓夜須
(大伴家持 巻八 一四六二)
≪書き下し≫我(あ)が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(つばな)を食(は)めどいや痩せに痩す
(訳)ご主人様に、この私めは恋い焦がれているようでございます。頂戴した茅花をいくら食べても、ますます痩せるばかりです。(同上)
◆吾妹子之 形見乃合歓木者 花耳尓 咲而蓋 實尓不成鴨
(大伴家持 巻八 一四六三)
≪書き下し≫吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実(み)にならじかも
(訳)あなたが下さった形見のねむは、花だけ咲いて、たぶん実を結ばないのではありますまいか。(同上)
(注)けだし【蓋し】副詞①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)
紀女郎の誘いを家持は軽くいなしている歌である。紀女郎の心情はいかばかりかと察せられるが、このようにある意味ストレートにもとれるが、歌でスマートに振られると深刻さも和らぐのではと思われる。
もっともこの歌からも戯れめいたところがあるから、この両者の関係は、友愛程度の面が濃いかったのではと思われる。紀女郎は、年齢的にもはるかに年上で、安貴王(あきのおほきみ)の妻であったらしい。家持の女性遍歴といわれるだけにいかようにも解釈はできるのであるが。
万葉集で「ねぶ」が詠われているには、三首である。もう一首もみておこう。
◆吾妹兒乎 聞都賀野経邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者
(作者未詳 巻十一 二七五二)
≪書き下し≫我妹子を聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)我(あ)は忍びえず間(ま)なくし思へば。
(訳)あの子の噂を聞き継ぎたい、その都賀野の野辺にしなっている合歓木(ねむ)のように、私はしのびこらえることができない。ひっきりなしに思っているので。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の小径 ねぶの歌碑」