万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1745~1747)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(19)~(21)―万葉集巻七 一三五九、巻

―その1745―

●歌は、「向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(19)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(19)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨

      (作者未詳 巻七 一三五九)

 

≪書き下し≫向つ峰(むかつを)の若楓(わかかつら)の木下枝(しづえ)とり花待つい間(ま)に嘆きつるかも 

 

(訳)向かいの高みの若桂の木、その下枝を払って花の咲くのを待っている間にも、待ち遠しさに思わず溜息がでてしまう。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)むかつを【向かつ峰・向かつ丘】名詞:向かいの丘・山。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上二句(向岳之 若楓木)は、少女の譬え(伊藤脚注)

(注)下枝(しづえ)とり:下枝を払う。何かと世話をする意。(伊藤脚注)

(注の注)しづえ【下枝】名詞:下の方の枝。したえだ。[反対語] 上枝(ほつえ)・中つ枝。(学研)

(注)花待つい間:成長するのを待っている間(伊藤脚注)

 

 

「下枝」と書いて「しづえ」と読む。「したえだ」の響きより優雅さを感じさせる。詠み込まれた歌をいくつかみてみよう。

 

◆和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇▼都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美  [薩摩目高氏海人]            

 ▼は「田+比」=び

      (高氏海人 巻八 八四二)

 

≪書き下し≫我がやどの梅の下枝(しづえ)に遊びつつうぐひす鳴くも散らまく惜しみ  [薩摩目]さつまのさくわん)高氏海人(かうじのあま)]

 

(訳)この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鴬が鳴き立てている。花の散るのをいとおしんで。(同上)

(注)高氏海人:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ収録されている。

 

 

 題詞は、「春三月諸卿大夫等下難波時歌二首幷短歌」<春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首幷せて短歌>である。

(注)春三月:この歌の作者と思われる高橋虫麻呂の庇護者、藤原宇合が知造難波宮事として功をなした天平四年(732年)三月頃が。(伊藤脚注)

 

 

 長歌(一七四七歌)と反歌(一七四八歌)の歌群と長歌(一七四九歌)と反歌(一七五〇歌)の二群となっている。

 長歌(一七四七歌)をみてみよう。

 

◆白雲之 龍田山之 瀧上之 小▼嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之  及還来

      ▼「木+安」=くら

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四七)

 

≪書き下し≫白雲の 竜田の山の 滝の上(うへ)の 小「木+安」(おぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨(はるさめ)の 継(つ)ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで

 

(訳)白雲の立つという名の竜田の山を越える道沿いの、その滝の真上にある小▼(をぐら)の嶺、この嶺に、枝もたわわに咲く桜の花は、山が高くて吹き下ろす風がやまない上に、春雨がこやみなく降り続くので、梢の花はもう散り失(う)せてしまった。下枝に咲き残っている花よ、もうしばらくは散りみだれないでおくれ。難波においでの我が君がまたここに帰って来るまでは。(同上)

(注)しらくもの 【白雲の】枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(学研)

(注)ほつえ 【上つ枝・秀つ枝】名詞:上の方の枝。 ※「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。[反対語] 中つ枝(え)・下枝(しづえ)。(学研)

 この歌には、「上つ枝(ほつえ)」と「下枝(しづえ)」が詠まれている。

 

 この歌については、反歌(一七四八歌)とともに、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その188)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 一七四九・一七五〇歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1365)」で紹介している。

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◆咲出照 梅之下枝尓 置露之 可消於妹 戀頃者

       (作者未詳 巻十 二三三五)

 

≪書き下し≫咲き出(で)照る梅の下枝(しづえ)に置く露の消(け)ぬべく妹(いも)に恋ふるこのころ

 

(訳)咲き出して照り映えている梅の、その下枝に置く露のように、消え入るばかりにあの子に恋い焦がれている今日このごろだ。(同上)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。(伊藤脚注)

 

 

◆橘 本我立 下枝取 成哉君 問子等

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八九)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の本(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取りならむや君と問ひし子らはも

 

(訳)橘の木の下に私を立たせ、下枝を取り持って、「この橘が実るように私たちの仲も実るでしょうか、あなた」と問いかけたあの子だったのに・・・。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ならむ 分類連語:…であるのだろう。…なのだろう。 ⇒なりたち:断定の助動詞「なり」の未然形+推量の助動詞「む」(学研)

(注)はも 分類連語:…よ、ああ。▽文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。 ※上代語。

⇒なりたち:係助詞「は」+終助詞「も」(学研)

 

 

 

―その1746―

●歌は、「かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(20)万葉歌碑(厚見王

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(20)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花

   (厚見王 巻八 一四三五)

 

≪書き下し≫かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花

 

(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)神なび川:神なびの地を流れる川。飛鳥川とも竜田川ともいう。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに厚見王の他の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1015)で紹介している。

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 山吹の歌十七首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1317)」で紹介している。

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―その1747―

●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(21)万葉歌碑(紀女郎)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(21)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代

        (紀女郎 巻八 一四六一)

 

≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ

 

(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)きみ【君・公】名詞:①天皇。帝(みかど)。②主君。主人。③お方。▽貴人を敬っていう語。④君。▽人名・官名などの下に付いて、「…の君」の形で、その人に敬意を表す。(学研) ここでは、②の意

(注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(学研)

 

 一四六〇、一四六一歌の題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。続く一四六二、一四六三歌の題詞は、「大伴家持贈和歌二首」<大伴家持、贈り和(こた)ふる歌二首>である。

(注)きのいらつめ【紀女郎】:奈良中期の万葉歌人。名は小鹿(おしか)。安貴王(あきのおおきみ)の妻。大伴家持(おおとものやかもち)との贈答歌で知られる。生没年未詳。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 紀女郎の歌は万葉集では十二首収録されている。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で紹介している。

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 安貴王と紀女郎が別れたと思われるスキャンダラスな歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1362)」で紹介している。

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 一四六〇から一四六三歌は何度読んも、その巧妙な言い回しと駆け引き的な要素がにじみ出て来る、思わず「うまい!!」と言ってしまいそうになる。

 書き下しだけならべてみよう。

 

 

◆戯奴(わけ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ(紀女郎 巻八 一四六〇)

 

◆昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ(紀女郎 巻八 一四六一)

 

 

◆我(あ)が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(つばな)を食(は)めどいや痩せに痩す(大伴家持 巻八 一四六二)

 

◆吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実(み)にならじかも(大伴家持 巻八 一四六三)

 

 この四首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その487)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉