●歌は、「かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」である。
●歌をみていこう。
◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花
(厚見王 巻八 一四三五)
≪書き下し≫かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花
(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)神なび川:神なびの地を流れる川。飛鳥川とも竜田川ともいう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その185改)」で紹介している。
(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
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厚見王(あつみのおほきみ)の歌は、万葉集には三首収録されている。ほかの二首をみてみよう。
◆朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國
(厚見王 巻四 六六八)
≪書き下し≫朝に日に色づく山の白雲(しらくも)の思ひ過ぐべき君にあらなくに
(訳)朝ごと日ごと色づいてゆく山、その山にかかる白雲がいつしか消えるように、私の心から消え去ってゆくようなあなたではないはずなのに・・・。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「思ひ過ぐ」を起こす。
(注)おもひすぐ【思ひ過ぐ】:[動]思う気持ちがなくなる。忘れる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
もう一首の題詞は、「厚見王、久米女郎に贈る歌一首」である。みてみよう。
◆室戸在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地尓落良武
(厚見王 巻八 一四五八)
≪書き下し≫やどにある桜の花は今もかも松風早(はや)み地(つち)に散るらむ
(訳)庭に植えてある桜の花は、今頃、松風がひどく吹いて、ひらひらと地面に散っていることだろう。(同上)
(注)やどにある:女の家の庭を馴れ馴れしく我が家のように言っている。
(注)「松」に他の男を「待つ」の意を懸けている。
(注)地に散る:他の男に心移したことを匂わしている
久米女郎との贈答歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その934)」で紹介している。
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山吹の歌は、万葉集のなかでは、十七首詠われているという。そのあでやかな美しさから女人への連想や比喩にも用いられているという。十七首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その210改)」で紹介している。
(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
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春日大社萬葉植物園が4月24日(土)から再開園されたとの記事が目に飛び込んできた。待ち望んでいた再開園である。
コロナ禍で外出がままならないので、歌碑の写真のストックが尽きて来る。
萬葉植物園には、万葉植物とともにそれにちなんだ陶器製のプレートの歌碑が設けてあるのは知っていたが、昨年から工事の為休園になっていたのである。
もちろんこれまでに紹介してきた歌との重複は覚悟のうえである。
4月27日(火)早速出かける。春日大社駐車場に留め東門から入ることにする。
駐車料金を払い、東門へ。
9時開園である。
平日であるが、受付前に結構人の列ができている。
検温を受け、入園料を払い園内に。
列の意味が分かった。
藤の季節なのである。藤まわりには、写真を撮る人がやや群がっているような状況である。
万葉歌碑(プレート)にシャッターを切っている人はいない。
約300種類の万葉植物を植栽する日本最古の植物園だけに、整備は行き届いており、歌碑(プレート)の数も半端ではない。(戻ってから写真を整理してみたら約150基であった。)
プレートの写真を撮るために、前屈みになったり、しゃがみこんだりと屈伸運動の連続である。
コロナワクチン接種の案内書も届き、6月末までには2回目が受けられるようである。
なんとかコロナが収束して、あちこち足を伸ばして万葉歌碑巡りをしたいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio古語辞書」