万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その934,935)―一宮市萩原町 萬葉公園(5、6)―万葉集 巻八 一四五九、巻二 二〇八

―その934―

●歌は、「世間も常にしあらねばやどにある桜の散れるころかも」である。

 

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●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「久米女郎報贈歌一首」<久米女郎(くめのいらつめ)が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆世間毛 常尓師不有者 室戸尓有 櫻花乃 不所比日可聞

              (久米女郎 巻八 一四五九)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも

 

(訳)人の世も定まりのないものですから、我が家の桜の花も、むなしく散り落ちたこのごろです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)世間:ここでは、男女の仲の意を寓している。

(注)桜の花の散れるころかも:相手が心変わりして訪れることがとだえたことを寓している。

 

 この歌は、厚見王(あつみのおほきみ)が久米女郎に贈った歌に和(こた)えた歌である。

厚見王の歌もみてみよう。

 

 題詞は、「厚見王贈久米女郎歌一首」<厚見王、久米女郎に贈る歌一首>である。

 

◆室戸在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地尓落良武

               (厚見王 巻八 一四五八)

 

≪書き下し≫やどにある桜の花は今もかも松風早(はや)み地(つち)に散るらむ

 

(訳)庭に植えてある桜の花は、今頃、松風がひどく吹いて、ひらひらと地面に散っていることだろう。(同上)

(注)やどにある:女の家の庭を馴れ馴れしく我が家のように言っている。

(注)「松」に他の男を「待つ」の意を懸けている。

(注)地に散る:他の男に心移したことを匂わしている

 

 厚見王のからかい的な歌に対して、久米女郎は、「世間も」と大上段に振りかざし、見事に切り返し、切ない胸の内を訴えている。さて、二人の間はどうなっていったのか。

 

 久米女郎は、伝未詳であり、残念ながらこの一首のみが収録されているだけである。一方、厚見王万葉集には三首収録されている。

 

 他の二首もみてみよう。

 

題詞は、「厚見王歌一首」<厚見王が歌一首>である。

 

◆朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國

              (厚見王 巻四 六六八)

 

≪書き下し≫朝に日(け)に色づく山の白雲(しらくも)の思ひ過ぐべき君にあらなくに

 

(訳)朝ごと日ごと色づいてゆく山、その山にかかる白雲がいつしか消えるように、私の心から消え去ってゆくようなあなたではないはずなのに・・・(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あさにけに【朝に日に】副詞:朝に昼に。いつも。「あさなけに」とも。(学研)

(注)上三句は序。「思い過ぐ」を起こす。思い過ぐは、思いが消えること。

 

 

もう一首は、題詞「厚見王歌一首」<厚見王が歌一首>である。

 

◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花

               (厚見王 巻八 一四三五)

 

≪書き下し≫かはづ鳴く神(かむ)なび川に影見えて今か咲くらむ山吹(やまぶき)の花

 

(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りて来てよりつく場所。山や森など。「かみなび」「かんなび」とも(学研)

 

 

 

―その935―

●歌は、「秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも」である。

 

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一宮市萩原町 萬葉公園(6)万葉歌碑(プレート)<柿本人麻呂



 

●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 萬葉公園(6)にある。

 

●歌をみていこう。

◆秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 <一云路不知而>

              (柿本人麻呂 巻二 二〇八)

 

≪書き下し≫秋山の黄葉(もみぢ)を茂み迷(まと)ひぬる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも <一には「道知らずして」といふ>

 

(訳)秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んでしまったいとしい子、あの子を探し求めようにもその山道さえもわからない。<その道がわからなくて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その115改)」の中で紹介している

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 二〇七歌(長歌)、二〇八・二〇九歌(短歌)および二一〇歌(長歌)、二一一・二一二(短歌)の歌群の題詞は、「柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいおう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌」である。

 万葉集では、題詞「或本の歌に日はく」として、二一三歌(長歌)、二一四・二一五・二一六歌(短歌)が収録されている。この歌群に手を加えて収録したのが二一〇から二一二歌の歌群と言われている。

 

 この内の二一二歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その58改)」で紹介している。

 ➡ こちら58改

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」