●歌は、「秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも」である。
●歌をみていこう。
◆秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 一云路不知而
(柿本人麻呂 巻二 二〇八)
≪書き下し≫秋山の黄葉(もみぢ)を茂み迷(まと)ひぬる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも 一には「道知らずして」という
(訳)秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んでしまったいとしい子、あの子を探し求めようにもその山道さえもわからない。<その道がわからなくて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句、妻の死を認めまいとする表現。第三、五句にかかる。(伊藤脚注)
歌碑の歌は、柿本人麻呂の、泣血哀慟歌(二〇七~二一六歌)のうちの一首である。
この歌は、題詞「柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌」(柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首幷(あは)せて短歌)とあり、二群の長反歌になっているうちの一首である。「二〇七(長歌)、二〇八、二〇九(反歌)」と「二一〇(長歌)、二一一、二一二(反歌)」の二群である。さらに「或本の歌に日はく」とあり、長歌一首と短歌三首「二一三(長歌)、二一四~二一六(短歌)」が収録されている。
このうち、 二一二歌「衾ぢを引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その58改―」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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この歌について、中西 進氏は、「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「求める道を知らないといっているのは、おそらく山中のどこかにそっと埋葬されたのであろう。寂しい庶民の葬送である。しかし人麻呂の真実の慕情によって、彼女は豪華な死出の道についたともいえよう。」と書いておられる。
人麿神社については、橿原市HP「かしはら探訪ナビ>人麿神社」に次のように記されている。
「人麿(ひとまろ)神社は、万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祭神とする神社です。石灯籠と狛犬は明治14年に奉献されています。(中略)神社のある地黄(じお)町の地名は、漢方の薬草サオヒメ(地黄)を盛んに作っていたことに由来すると言われています。」
これまで、奈良市、天理市、桜井市と万葉歌碑めぐりを行ってきたが、今回からは橿原市である。橿原市HP「かしはら探訪なび>万葉歌碑」を見ながら計画をたてる。
人麿神社➡耳成公園木原古池➡醍醐池➡妙法寺➡春日神社常盤町➡竹田神社の六か所である。柿本人麻呂を祭神としているので是非見てみたいと思ったのでトップに選んだのである。(6月4日)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
※20211213朝食関連記事削除、一部改訂