万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2271)―

●歌は、「あしひきの山辺に居ればほととぎす木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之 

       (大伴家持 巻十七 三九一一)

 

≪書き下し≫あしひきの山辺(やまへ)に居(を)ればほととぎす木(こ)の間(ま)立ち潜(く)き鳴かぬ日はなし

 

(訳)山の麓(ふもと)で暮らしているので、こちらは、時鳥、仰せのその時鳥が木々のあいだをくぐって、鳴かない日は一日とてありません。(伊藤 博 著 「万葉集 四

 この歌は、天平十三年(741年)四月二日に弟大伴書持(ふみもち)が、久邇京にいる家持に贈った「霍公鳥(ほととぎす)を詠む歌二首(三九〇九、三九一〇歌)に対して四月三日に報(こた)え送った三首(三九一一~三九一三歌)のうちの一首である。

 

新版 万葉集 四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,068円
(2023/8/3 20:48時点)
感想(1件)

 両者の贈答歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1542)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 この歌をやり取りした天平十三年、家持は久邇京(恭仁京)にいた。(万葉集の筆記により「久邇京」と記す)

 久邇京についてみてみよう。

 天平十七年(745年)都は、平城京に戻されたが「彷徨の五年」と呼ばれる歴史の大きな渦のなかに家持は翻弄されていたのである。

 天平十二年(740年)九月、藤原広嗣の乱が起こった。そのさなか、聖武天皇は伊勢への行幸を強行、家持も内舎人として従ったのである。

 聖武天皇は、美濃、近江を経て十二月十五日、山背国(やましろのくに)相楽郡(さがらのこおり)の甕原(みかのはら)離宮に至り、ここに都を遷した。これが久邇京である。

 天平十六年(744年)久邇京から難波宮に遷都がなされ、わずか三年余の都であった。それも結局、翌年平城京に戻されたのである。

 

 天平十六年正月、難波行幸の際に安積(あさか)親王が脚の病で久邇京に戻り、二日後に亡くなったのである。享年十七歳。

 久邇京の留守官であった藤原仲麻呂の手による謀殺といわれている。安積親王は、聖武天皇の皇子でありながら、皇太子に立てられず、光明皇后の娘の阿倍内親王(後の孝謙天皇)が、前例のない女性の皇太子として立てられていたのである。

 藤原氏は、一族と血がつながらない安積親王に強い危機感を感じていたといわれている。

 聖武天皇橘諸兄ライン対藤原光明子藤原仲麻呂ラインの政権争いは日増しに激しさを募らせていくのである。この歴史の渦に家持はまたもや巻き込まれていくのである。



 

 家持が久邇京にあって詠った歌をいくつかみてみよう。

 

 題詞は、「十五年癸未秋八月十六日内舎人大伴宿祢家持讃久迩京作歌一首」<十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月の十六日に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持、久邇の京を讃(ほ)めて作る歌一首>である。

 

◆今造 久迩乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之

       (大伴家持 巻六 一〇三七)

 

≪書き下し≫今造る久邇の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし

 

(訳)今新たに造っている久邇の都は、めぐる山や川がすがすがしいのを見ると、なるほど、ここに都をお定めになるのももっともなことだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

新版 万葉集 二 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,100円
(2023/8/3 20:50時点)
感想(0件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その184改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

題詞は「安積親王(あさかのみこ)、左少弁(させうべん)藤原八束朝臣(ふぢはらのやつかのあそみ)が家にして宴(うたげ)する日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る歌一首」である。

 

◆久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戸尓今夜者 明而将去

        (大伴家持 巻六 一〇四〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜(こよひ)は明かして行かむ

 

(訳)ひさかたの雨はどんどん降り続けるがよい。いとしく思う子の家で、今夜は存分夜明かしして行こうぞ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1129)」で紹介している。藤原八束と仲麻呂の関係にもふれている。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 そして安積親王を偲んで挽歌を二月三日に三首(四七五~四七七歌)、三月二十四日に三首(四七八~四八〇歌)を詠んでいる。

 二月三日の三首は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その183改)」で、三月二十四日の三首は、「同(その1126)」で紹介している。

 

 二月三日の挽歌三首

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 三月二十四日の挽歌三首

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 家持は、久邇京に単身赴任していたので、奈良に居る坂上大嬢に幾つか歌を贈っている。これらをみてみよう。

 

題詞は、「在久邇京思留寧樂宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首」<久邇(くに)の京に在りて、寧樂(なら)の宅(いへ)に留まれる坂上大嬢を思(しの)ひて、大伴宿禰家持が作る歌一首>である。

 

◆一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待

       (大伴家持 巻四 七六五)

 

≪書き下し≫一重(ひとへ)山へなれるものを月夜(つくよ)よみ門(かど)に出で立ち妹(いも)か待つらむ

 

(訳)山一つ隔てていて行けるはずもないのに、あまりにもいい月夜なので、門口に立って、あの人は今頃私の訪れを待っていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)へなれるものを:隔てとなって行けもしないのに。(伊藤脚注)

(注の注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

(注)月夜よみ:妻問いに都合の良い月明かりの夜。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2269)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

題詞は、「大伴宿祢家持更贈大嬢歌二首」<大伴宿禰家持、さらに大嬢に贈る歌二首>である。

 

◆都路乎 遠哉妹之 比来者 得飼飯而雖宿 夢尓不所見来

       (大伴家持 巻四 七六七)

 

≪書き下し≫都道(みやこぢ)を遠みか妹(いも)がこのころはうけひて寝(ぬ)れど夢(いめ)に見え来(こ)ぬ

 

(訳)この久邇の都までの道が遠いからであろうか、近頃は、いくら神様に祈り言をして寝ても、あなたが夢にも見えてくれないのは。(同上)

(注)うけ 【誓ふ・祈ふ】自動詞:①神意をうかがう。②神に祈る。③のろう。(学研)ここでは①の意

 

 

 

◆今所知 久邇乃京尓 妹二不相 久成 行而早見奈

       (大伴家持 巻四 七六八)

 

≪書き下し≫今知らす久邇(くに)の都(みやこ)に妹に逢はず久しくなりぬ行(ゆ)きて早見(はやみ)な

 

(訳)今、新たに御代(みよ)知らしめす久邇の都にあって、あなたに逢わずずいぶん久しくなってしまった。奈良に帰って一刻も早く逢いたいものだ。(同上)

(注)しる【知る】(一)①わかる。理解する。わきまえる。知る。②かかわる。つき合う。親しくする。③世話をする。面倒を見る。④〔打消の語を伴って〕気にする。かまう。

(二)①治める。統治する。◇「領る」「治る」とも書く。②所有する。領有する。(学研)ここでは(二)①の意

(注)な 終助詞《接続》活用語の未然形に付く。:①〔自己の意志・願望〕…たい。…よう。②〔勧誘〕さあ…ようよ。③〔他に対する願望〕…てほしい。 ⇒語法:主語の人称による判断 ※上代語。(学研)ここでは①の意

 

 

題詞は、「大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首」<大伴宿禰家持、久邇の京より坂上大嬢に贈る歌五首>である。

(注)大嬢が時折は帰ってほしいと言ってきたことを踏まえる歌らしい。(伊藤脚注)

 

◆人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國

       (大伴家持 巻四 七七〇)

 

≪書き下し≫人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹(いも)を忘れて我(あ)が思はなくに

 

(訳)人目が多いので逢いにいけないだけなのだよ。心までもあなたを離れてしまったわけではないのです。(同上)

(注)恋心の不変を訴える冒頭歌。(伊藤脚注)

 

 

◆偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八

      (大伴家持 巻四 七七一)

 

≪書き下し≫偽(いつは)りも似つきてぞするうつしくもまこと我妹子(わぎもこ)我(わ)れに恋ひめや

 

(訳)嘘だってほんとうらしく言うものです。本心からほんとうに、あなたが、そんなに私に恋い焦がれているとはとても思えません。(同上)

(注)偽(いつは)りも似つきてぞする:嘘も本当らしくつくものですよ。以下四首、薄情を恨む形。(伊藤脚注)

(注)うつし【現し・顕し】形容詞:①実際に存在する。事実としてある。生きている。②正気だ。意識が確かだ。(学研)ここでは①の意

 

新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,056円
(2023/8/3 20:54時点)
感想(1件)

 

◆夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思者 諾不所見有武

       (大伴家持 巻四 七七二)

 

≪書き下し≫夢(いめ)にだに見えむと我(あ)れはほどけども相(あひ)し思はねばうべ見えずあらむ

 

(訳)せめて夢にだけでも見えてくれるであろうと、私は着物の紐(ひも)をほどいて寝たけれども、こちらほどには思ってくれないのだもの、あなたの姿が見えないのは当然です。(同上)

(注)夢(いめ)にだに見えむ:せめて夢にだけは見えてくれるだろうと。前歌の「うつしくも」を承ける。(伊藤脚注)

(注)ほどけども:下紐をほどいて相手の思いを招き寄せようとしたものか。(伊藤脚注)

 

 「下紐を解く」については、古橋信孝氏は、その著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で、「共寝には下着の紐を解いた。別れるとき、たがいの下紐を結び合う習俗は知られているが、逢ったときも下紐をたがいに解き合ったらしい。・・・自分の意志で解いて、相手を呼び寄せる呪述である。・・・結んでいるのは閉じられ籠められた状態だから、解くのはその隠りから開かれた状態になり、強い呪力を発揮するのだろう」と書いておられる。

 

 

◆事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来

       (大伴家持 巻四 七七三)

 

≪書き下し≫言(こと)」とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり

 

(訳)口のきけない木にさえも、あじさいのように色の変わる信用のおけないやつがある。まして口八丁の諸弟らの練りに練った託宣(たくせん)の数々にのせられてしまったのはやむえないことだわい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あぢさゐ:あじさいのように色の変わる信用のおけないものがある

(注)諸弟:使者の名か。(伊藤脚注)

(注)練のむらと:練に練った荘重な言葉の意か。「むらと」は「群詞」か。(伊藤脚注)

 

 

 

◆千遍 戀跡云友 諸弟等之 練乃言羽者 吾波不信

       (大伴家持 巻四 七七四)

 

≪書き下し≫百千(ももち)たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我(あ)れは頼(たの)まじ

 

(訳)百度も千度も、あなたが私に“恋焦がれる”といっても、諸弟めの練りに練ったうまい言葉は、私はもう二度とあてにはすまい。(同上)

(注)我(あ)れは頼(たの)まじ:大嬢を信じないというからかい。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「大伴宿祢家持従久邇京贈留寧樂宅坂上大娘歌一首」<大伴宿禰家持、久邇の京より、寧樂(なら)の宅(いへ)に留(とど)まれる坂上大嬢に贈る歌一首>である。

 

◆足日木乃 山邊尓居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曽念

       (大伴家持 巻八 一六三一)

 

≪書き下し≫あしひきの山辺(やまへ)に居(を)りて秋風の日に異(け)に吹けば妹(いも)をしぞ思ふ

 

(訳)重なる山々の麓(ふもと)に独りいて、冷たい秋風が日ましに吹くので、あなたのことが偲(しの)ばれてなりません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ひにけに【日に異に】分類連語:日増しに。日が変わるたびに。(学研)

 

 

 七七〇~七七四歌の七七一~七七四は、他の歌と異なり、このまま受け止めれば誤解が誤解を生むかと思ってしまう。読解力の不足かもしれませんが。

 この歌群の前後に「紀女郎」との贈答歌が配されており、一六三一歌は、「安倍女郎に贈る歌」が配されているのも気になるところではある。

 万葉集の歌物語としても面白さなのだろう。歴史の渦、そして久邇京に翻弄される家持と大嬢といったところか。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」