●歌は、「さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露」である。
●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。
●歌をみていこう。
◆棹壮鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露
(大伴家持 巻八 一五九八)
≪書き下し≫さを鹿(しか)の朝立つ野辺(のへ)の秋萩に玉と見るまで置ける白露
(訳)雄鹿が朝佇(たたず)んでいる野辺の秋萩に、玉と見まごうばかりに置いている白露よ、ああ。(同上)
(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
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1597から一五九九の題詞は、「大伴宿祢家持秋歌三首」<大伴宿禰家持が秋の歌三首>である。
他の二首もみてみよう。
◆秋野尓 開流秋芽子 秋風尓 靡流上尓 秋露置有
(大伴家持 巻八 一五九七)
≪書き下し≫秋の野に咲ける秋萩秋風に靡(なび)ける上(うへ)に秋の露置けり
(訳)秋の野に咲いている秋萩、この萩が秋風に靡いているその上に、秋の露が置いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)秋萩秋風に靡ける上に:秋萩が秋風に靡いている、その上に。(伊藤脚注)
◆狭尾壮鹿乃 胸別尓可毛 秋芽子乃 散過鶏類 盛可毛行流
(大伴家持 巻八 一五九九)
≪書き下し≫さを鹿(しか)の胸別(むなわ)けにかも秋萩の散り過ぎにける盛(さか)りかも去(い)ぬる
(訳)秋の野を行く雄鹿の胸別けのせいで、萩の花が散ってしまったのであろうか。それとも、花の盛りの時期が過ぎ去ってしまったせいなのであろか。(同上)
(注)むなわけ【胸分け】名詞:①(鹿(しか)などが)胸で草を押し分けること。②胸。胸の幅。(学研) ここでは①の意
(注)カモは疑問。第四句のケルと呼応する。前歌を承けて散る萩を歌う。(伊藤脚注)
歌群の左注は、「右天平十五年癸未秋八月見物色作」<右は、天平十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月に、物色(ぶつしよく)を見て作る>である。
(注)天平十五年:743年。家持26歳。久邇京にいた。(伊藤脚注)
(注)ぶっしょく【物色】[名] 物の色や形。また、景色や風物。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)見て:想い見て、の意。(伊藤脚注)
三首をならべてみよう。
◆秋の野に咲ける秋萩秋風に靡(なび)ける上(うへ)に秋の露置けり(一五九七歌)
◆さを鹿(しか)の朝立つ野辺(のへ)の秋萩に玉と見るまで置ける白露(一五九八歌)
◆さを鹿(しか)の胸別(むなわ)けにかも秋萩の散り過ぎにける盛(さか)りかも去(い)ぬる(一五九九歌)
一五九七歌では「秋」は四回使われている。「秋萩」は三首ともに詠われており、主要な題材としている。
伊藤 博氏は一五九八歌の「さを鹿」の脚注で、「前歌の仕立てに取り合わせの鹿を配する。」と書かれている。
「白露」「秋萩」「さを鹿」を題材とした文忌寸馬養(あやのいみきうまかひ)の歌をみてみよう。
一五七四から一五八〇の題詞は、「右大臣橘家宴歌七首」<右大臣橘家にして宴する歌七首>である。
(注)一五七四、一五七五歌は主賓高橋安麻呂、一五七六歌は長門守(ながとのかみ)巨曾倍対馬(こそべつしま)、一五七七、一五七八歌は安倍虫麻呂の歌である。
◆朝扉開而 物念時尓 白露乃 置有秋芽子 所見喚鶏本名
(文忌寸馬養 巻八 一五七九)
≪書き下し≫朝戸開けて物思ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな
(訳)朝の戸を開けて物思いにふけっている時に、白露のおいている萩の、あわれな風情がやたらと目について仕方がありません。(同上)
(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)
◆棹壮鹿之 来立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎
(文忌寸馬養 巻八 一五八〇)
≪書き下し≫さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを
(訳)雄鹿がやって来てしきりに鳴き立てている野の萩、この野の萩妻は露を浴びてすっかり散ってしまったではありませんか。何ともせつなく思われます。(同上)
(注)鹿の「妻」である「秋萩」を惜しむ。(伊藤脚注)
(注)つゆしも【露霜】名詞:①露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。②年月。
※「つゆじも」とも。(学研)ここでは①の意
左注は「右二首文忌寸馬養」<右の二首は文忌寸馬養>である。
さらに、以上七首の宴席歌の年月日が「天平十年戊寅秋八月廿日」<天平十年戊寅(つちのえとら)の秋の八月の二十日>とある。
一五八〇歌の脚注で、伊藤 博氏は、「鹿の『妻』である『秋萩』を惜しむ」と書いておられるが、「さを鹿」「萩」「花嬬」とくると、大伴旅人の一五四一歌である。
この歌をみてみよう。
◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿
(大伴旅人 巻八 一五四一)
≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿
(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(学研)
(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意
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もう一首もみてみよう。
◆吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得
(大伴旅人 巻八 一五四二)
≪書き下し≫我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
(訳)この庭の岡に咲く萩の花、その花は、風がひどくて散りそうになった。咲き散るこの花を見てともに惜しむ人でもあってくれればよいのに。(同上)
(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)
一五四一、一五四二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その924)」で紹介している。
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一五四一歌に関して、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(同氏編 祥伝社)の中で、次のように書いておられる。長いが引用させていただきます。
「『初萩の花嬬問ひ』だが、現代人のように萩と鹿を別物と考えると『花嬬』とは比喩(ひゆ)になってしまう。・・・しかし、有名な『紫の匂(にほ)へる妹』と同じで、そう形容された額田王と紫草(むらさき)の根とは、ほとんど区別がない。区別に目くじらを立てないのが古代人であった。少しややこしい説明をすると、もちろん王と紫草は物体としては別である。しかし美しく匂うことにおいてひとしい。そうした作用をむしろ重要視して物事を考えるのが古代人であった・・・。そう考えると、人間と草木が無縁だなどといえなくなる。動物と草木も同じ。鹿にとって萩は『つま』だったのである。『つま』とは相手という意味だ。雷が落ちると稲がよく実る。稲を妊娠させるから雷のことを『稲妻(いなづま)』という。古くは『稲交(いなつるび)』とさえいった。植物はそれぞれ固有の匂いを放つ。萩のその匂いを鹿が好む。そこで鹿はよく萩の咲いているところへ寄る。それがまさに萩という、鹿の花嬬なのである。軽く、萩の花は、鹿と仲好しだと考えてもよい。しかし万葉びとふうに考えると、それでは不十分で、ほんとうに萩と鹿が生命を通わせ合うといった方がよい。セックスをしなくとも、萩の匂いが鹿を活性化すればよい。・・・しきりに嬬を求める男鹿は、潜流する亡妻思慕が時として意識の表面に浮上してきたものにちがいない。・・・花ばかり見えて、いっこうに姿を見せない雌鹿もよく理解される。花を雌鹿の形代(かたしろ)として、いましきりに雄鹿は求愛する。初萩の花のように美しかった亡妻という想いも、旅人の胸の中に強いであろう・・・。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」