―その924―
●歌は、「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿」
●歌をみていこう。
題詞は、「大宰帥大伴卿歌二首」<大宰帥大伴卿が歌二首>である。
◆吾岳尓 棹壮鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹壮鹿
(大伴旅人 巻八 一五四一)
≪書き下し≫我が岡にさを鹿(しか)来鳴く初萩(はつはぎ)の花妻(はなつま)どひに来鳴くさを鹿
(訳)この庭の岡に、雄鹿が来て鳴いている。萩の初花を妻どうために来て鳴いているのだな、雄鹿は。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。 ※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語(学研)ここでは、③の意
もう一首もみてみよう。
◆吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得
(大伴旅人 巻八 一五四二)
≪書き下し≫我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
(訳)この庭の岡に咲く萩の花、その花は、風がひどくて散りそうになった。咲き散るこの花を見てともに惜しむ人でもあってくれればよいのに。(同上)
(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)
一五四一歌について、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(中西 進 編 祥伝社新書)のなかで、「大宰府時代以降の旅人をおおっているものに、亡妻思慕(ぼうさいしぼ)がある。(中略)しきりに嬬を求める男鹿は、潜流する亡妻思慕が時として意識の表面に浮上したものにちがいない。」と書かれている
鹿は旅人自身であり、姿を見せない雌鹿は、まさに旅人の今は亡き、美しき花妻である。
旅人が亡き妻を思って詠った歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(895)」で紹介している。
➡
太宰府観光マップ(太宰府観光協会HP)によると、坂本八幡宮について次のように書かれている。
「大伴旅人の邸宅跡と伝えられる、元号「令和」ゆかりの神社。応神天皇をご祭神とし、坂本地区の土地神、産土神として崇拝される。
大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任した大伴旅人は、730年自身の邸宅にて「梅花の宴」を開いた。元号「令和」は、その時詠まれた梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。大伴旅人邸は諸説あるが、坂本八幡宮付近であったと言われている。
坂本八幡宮は政庁址の北西部に位置するこじんまりした神社であり、境内には、歌碑と並んで「令和の碑」が建てられている。
―その925―
歌は、「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりける」である。
歌をみてみよう。
◆余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
(大伴旅人 巻五 七九三)
≪書き下し≫世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
(訳)世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、さらにいっそう深い悲しみがこみあげてきてしまうのです。(同上)
(注)上二句は「世間空」の翻案。
(注)いよよ【愈】副詞:なおその上に。いよいよ。いっそう。(学研)
この歌については、前文と共にブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その909)」で紹介している。
➡
この歌碑は、坂本八幡宮から歴史の散歩道を東に100mほど行ったところにある。
平城宮跡は、家から比較的近い所にあるので、よくぶらつき、大極殿や朱雀門を眺めては、当時の思いに浸っているが、ここ大宰府政庁跡は、今回は歌碑めぐりが主たる目的であったので、駆け足で政庁跡周囲の道しか歩いていない。一度は、ゆっくりと探索してみたいところである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」