万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2269)―

●歌は、「雨晴れて清く照りたるこの月夜またさらにして雲なたなびき」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持
 20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆雨晴而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引

       (大伴家持 巻八 一五六九)

 

≪書き下し≫雨晴れて清く照りたるこの月夜またさらにして雲なたなびき

 

(訳)雨が晴れて清らかに照りわたっている月、この月夜の空に、さらにまた、雲よ、たなびかないでおくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)またさらにして雲なたなびき:雨後の月の清明の失われぬことへの願い。(伊藤脚注)

(注)さらに【更に】副詞:①改めて。新たに。事新しく。今さら。②その上。重ねて。いっそう。ますます。③〔下に打消の語を伴って〕全然…(ない)。決して…(ない)。少しも…(ない)。いっこうに…(ない)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)して 接続詞:そうして。それで。▽相手の話に対して、さらに説明を求めるときに発する語。多く、下に問いかけを伴う。 ※サ変動詞「す」の連用形に接続助詞「て」が付いて一語化したもの。(学研)

(注)な 副詞:①…(する)な。…(してくれる)な。▽すぐ下の動詞の表す動作を禁止する意を表す。◇上代語。②〔終助詞「そ」と呼応した「な…そ」の形で〕…(し)てくれるな。▽終助詞「な」に比してもの柔らかで、あつらえに近い禁止の意を表す。 ⇒語法:下に動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を伴う。 ⇒注意:禁止の終助詞「な」(動詞型活用語の終止形に接続)と混同しないこと。 ⇒参考:①②とも、上代から用いられているが、②は中古末期以降、「な」が省略され、「そ」のみで禁止を表す用法も見られる。(学研)

 

左注は、「右四首天平八年丙子秋九月作」<右の四首は、天平八年丙子(ひのえね)の秋の九月に作る>である。

 

 「月夜」「雲なたなびき」であるが、「月夜」は普通の月夜でなく「この月夜」であり、それは、「雨が晴れて」=「鬱情からの解放」であり、「清く照りたる」=「心晴れ晴れ」の「月夜」なのであるから、「また」「さらにして」と重ねて重ねて「雲なたなびき」と願っているのである。言葉の重なり具合が一層「この月夜」を強調しまさにスポットライトを浴びせているのである。

 

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 あらためてこの四首をみてみよう。

◆ひさかたの雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田がね(一五六六歌)

◆雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ(一五六七歌)

◆雨隠り心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり(一五六八歌)

◆雨晴れて清く照りたるこの夜またさらにして雲なたなびき(一五六九歌)

 伊藤 博氏は脚注で、「気象の推移のもとに、雁、穂立、色づく山、清らかな月世界という秋の風物を一首ずつに据えるという連作」と書かれている。

 一五六八歌の「春日の山は色づき」と雨隠りの鬱情の解放を「雨隠り心いぶせみ出で見れば」とまさに「起承結」の「転」で詠い、清らかな月世界を描き出すストーリーに仕上げている。

 一首、一首を鑑賞するのはそれはそれで、四首まとめてストーリーを描きながら鑑賞するのも一興である。

 「雲隠り→雲隠り→雨隠り→雨晴れて」と心の内面から目の前に広がる現実の光景を描く展開には引き込まれているものがある。



 

 家持が「月」「月夜」を詠った歌のなかで大伴大嬢に関わる歌をみてみよう。

 

■巻四 七三六■

題詞は、「又家持和坂上大嬢歌一首」<また家持、坂上大嬢に和(こた)ふる歌一首>である。

 

月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉

      (大伴家持 巻四 七三六)

 

≪書き下し≫月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あしうら)

 

(訳)あなたが言われるその月夜の晩には、門(かど)の外に出(い)で立って、夕方の辻占(つじうら)をしたり足占(あしうら)をしたりしたのですよ。あなたの所へ行きたいと思って。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)夕占:夕方の辻占。(伊藤脚注)

(注)足占:吉、凶と唱え、目標に着いた時が吉か凶かで事の正否を判断する占いか。(伊藤脚注))

 

 

 坂上大嬢の歌もみてみよう。

題詞は、「同坂上大嬢贈家持歌一首」<同じき坂上大嬢、家持に贈る歌一首>である。

 

春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念

         (大伴坂上大嬢 巻四 七三五)

 

≪書き下し≫春日山(かすがやま)霞たなびき心ぐく照れる月夜(つくよ)にひとりかも寝む

 

(訳)春日山に霞(かすみ)がたなびいて、うっとうしく月が照っている今宵(こよい)、こんな宵に私はたった一人で寝ることになるのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

 

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 この贈答歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1220)」で紹介している。

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■巻四 七六五■

題詞は、「在久邇京思留寧樂宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首」<久邇(くに)の京に在りて、寧樂(なら)の宅(いへ)に留まれる坂上大嬢を思(しの)ひて、大伴宿禰家持がる作歌一首>である。

 

◆一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待

       (大伴家持 巻四 七六五)

 

≪書き下し≫一重(ひとへ)山へなれるものを月夜(つくよ)よみ門(かど)に出で立ち妹(いも)か待つらむ

 

(訳)山一つ隔てていて行けるはずもないのに、あまりにもいい月夜なので、門口に立って、あの人は今頃私の訪れを待っていることであろうか。(同上)

(注)へなれるものを:隔てとなって行けもしないのに。(伊藤脚注)

(注の注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

(注)月夜よみ:妻問いに都合の良い月明かりの夜。(伊藤脚注)

 

七六六歌もみてみよう。

題詞は、「藤原郎女聞之即和歌一首」<藤原郎女(ふぢはらのいらつめ)、これを聞きて即(すなは)ち和(こた)ふる歌一首>である。

(注)藤原郎女:伝未詳。坂上大嬢の養育にかかわった女性か。(伊藤脚注)

 

◆路遠 不来常波知有 物可良尓 然曽将待 君之目乎保利

       (藤原郎女 巻四 七六六)

 

≪書き下し≫道遠(とほ)み来(こ)じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲(ほ)

 

(訳)道が遠いのでとても来られないとわかっていながら、おっしゃるとおりお待ちになっていることでしょう。あなたに一目逢いたいばっかりに。(同上)

(注)しかぞ:前歌の第四句をさす。(伊藤脚注)

 

 

■巻六 九九四■

 題詞は、「大伴宿祢家持初月歌一首」<大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が初月(みかづき)の歌一首>である。

 

◆振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞

       (大伴家持 巻六 九九四)

 

≪書き下し≫振り放(さ)けて三日月(みかづき)見れば一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも

 

(訳)遠く振り仰いで三日月を見ると 一目見たあの人の眉根がしきりに思われます。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)まよびき【眉引き】名詞:眉墨(まゆずみ)でかいた眉。 ※後には「まゆびき」とも。上代語。(学研)

(注)三句以下、坂上大嬢への思いを寓しているか。この時家持十六歳。(伊藤脚注)

 

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その8改)」で紹介している。

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■巻八 一五〇七■

題詞は、「大伴家持橘花坂上大嬢歌一首 并短歌」<大伴家持、橘(たちばな)の花を攀(よ)ぢて、坂上大嬢に贈る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)よづ【捩づ・攀づ】他動詞:つかんで引き寄せる。よじる。(学研)

 

◆伊加登伊可等 有吾屋前尓 百枝刺 於布流橘 玉尓貫 五月乎近美 安要奴我尓 花咲尓家里 朝尓食尓 出見毎 氣緒尓 吾念妹尓 銅鏡 清月夜尓 直一眼 令覩麻而尓波 落許須奈 由米登云管 幾許 吾守物乎 宇礼多伎也 志許霍公鳥 暁之 裏悲尓 雖追雖追 尚来鳴而 徒 地尓令散者 為便乎奈美 攀而手折都 見末世吾妹兒

       (大伴家持 巻八 一五〇七)

 

≪書き下し≫いかといかと ある我が宿に 百枝(ももえ)さし 生(お)ふる橘 玉(たま)に貫(ぬ)く 五月(さつき)を近み あえぬがに 花咲きにけり 朝(あさ)に日(け)に 出(い)で見るごとに 息(いき)の緒(を)に 我(あ)が思ふ妹(いも)に まそ鏡 清き月夜(つくよ)に ただ一目(ひとめ) 見(み)するまでには 散りこすな ゆめと言ひつつ ここだくも 我が守(も)るものを うれたきや 醜(しこ)ほととぎす 暁(あかとき)の うら悲(がな)しきに 追へど追へど なほし来鳴きて いたづらに 地(つち)に散らせば すべをなみ 攀(よ)ぢて手折(たを)りつ 見ませ我妹子(わぎもこ

 

(訳)どうなったかどうなったかと、いつも心にかけている我が家の庭に、枝をいっぱい広げて生い茂っている橘、この橘は、薬玉に貫く五月もま近なので、こぼれるばかりに花が咲きました。朝となく昼となく庭に出て見るたびに、命がけで私の恋い焦がれているあなたに、清らかな月の照る晩にはただ一目なりと見せてあげるまでは、けっして散らないでおくれと言いながら、こんなにも私が気をつけて見守っているのに、何とまあいまいましいことか、時鳥のやつが、明け方のもの悲しい時に、追っても追ってもしつこく来て鳴いて、むやみに花を散らすので、しかたなく引き寄せて手折ったのです。ご覧になって下さい、あなた。(同上)

(注)いかといかと:どうなっているかと心にかける意か。(伊藤脚注)

(注)あへず【敢へず】分類連語:①堪えられない。こらえきれない。②〔動詞の連用形の下に付いて、「…もあへず」の形で〕(ア)…しようとしてできない。最後まで…できない。(イ)…し終わらないうちに。…するや否や。 ◇(イ)は鎌倉時代以降の用法。 ⇒注意:①は活用がないが、②は「ず」が活用する。 ⇒なりたち:下二段動詞「あ(敢)ふ」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)がに 接続助詞《接続》:①動詞の終止形および完了の助動詞「ぬ」の終止形に付く。

②動詞の連体形に付く。①〔程度・状態〕…そうに。…ほどに。 ⇒参考:②は用法からみて、上代の接続助詞「がね」の東国方言とも考えられる。中古以降は和歌に、また東国地方以外でも用いられた。「終助詞」とする説もある。(学研)

(注の注)あえぬがに:堪えられないばかりに。(伊藤脚注)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

(注)こす 助動詞 《接続》動詞の連用形に付く。:〔希望〕…してほしい。…してくれ。⇒語法:未然形の「こせ」と終止形の「こす」は次の形で用いられる。 ⇒参考:(1)主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。(2)相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある。⇒こせぬかも(学研)

(注)うれたし 形容詞:①しゃくだ。いまいましい。②つれない。自分にはつらい。 ※「うら(心)いた(痛)し」の変化した語。(学研)

(注)しこ【醜】名詞:頑強なもの。醜悪なもの。▽多く、憎みののしっていう。 ⇒参考「しこ女(め)」「しこ男(お)」「しこほととぎす」などのように直接体言に付いたり、「しこつ翁(おきな)」「しこの御楯(みたて)」などのように格助詞「つ」「の」を添えた形で体言を修飾するだけなので、接頭語にきわめて近い。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1819)」で紹介している。

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■巻八 一五〇八■

◆望降 清月夜尓 吾妹兒尓 令覩常念之 屋前之橘

       (大伴家持 巻八 一五〇八)

 

≪書き下し≫望(もち)ぐたち清き月夜(つくよ)に我妹子(わぎもこ)に見せむと思ひしやどの橘(たちばな)

 

(訳)十五日過ぎの清らかな月の晩に、あなたにお見せしようと思った、我が家の橘のですよ、これは。(同上)

(注)望(もち)ぐたち:十五夜過ぎの。「くたち」は盛りを過ぎること。(伊藤脚注)

(注の注)もち【望】名詞:満月であること。また、満月の日。陰暦で十五日。(学研)

(注の注)くたつ【降つ】自動詞:①(時とともに)衰えてゆく。傾く。②夕方に近づく。夜がふける。 ※「くだつ」とも。上代語。(学研)

 

 

 一五〇九歌もみてみよう。

 

◆妹之見而 後毛将鳴 霍公鳥 花橘乎 地尓落津

       (大伴家持 巻八 一五〇九)

 

≪書き下し≫妹(いも)が見て後(のち)も鳴かなむほととぎす花橘を地(つち)に散らしつ

 

(訳)あなたがご覧になってからのちにでも鳴いてくれればよいのに。時鳥が、橘の花を地の上に散らしてしまいました。(同上)

(注)なむ 終助詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てもらいたい。 ⇒参考:上代には「なむ」と同じ意味で「なも」を用いた。「なん」とも表記される。⇒表組。(学研)

 

 

 清き月夜のごとく清楚な家持と大嬢のアツアツぶりである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」