万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2268)―

●歌は、「雨隠り心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆雨隠 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利

       (大伴家持 巻八 一五六八)

 

≪書き下し≫雨隠(あまごも)り心いぶせみ出(い)で見れば春日(かすが)の山(やま)は色づきにけり

 

(訳)雨に降りこめられて、気持ちがうっとうしいので、外に出てみると、春日の山はもうすっかり色づいている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あまごもる【雨隠る】自動詞:長雨のために家に閉じこもっている。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせし 形容詞:①気が晴れない。うっとうしい。②気がかりである。③不快だ。気づまりだ。 ⇒参考:「いぶせし」と「いぶかし」の違い 「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い。(学研)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)

 

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 「雨隠り」というフレーズは、聞きなれない言葉である。「雨宿り」は時間的には短い感じであり、「隠」という感覚からすると「雨隠り」は、時間的に長いように思うのである。

 「雨宿り」と書いたが、調べてみると、万葉集にはこの言葉は使われていないのがわかった。住宅事情等を考えるとさもありなんである。いつ頃から使われるようになったかは分からなかった。

 万葉集では、雨を避けるべく「宿を借りる」(時間的には長いニュアンスである)と詠われている。三二一三・三二一四歌をみてみよう。問答歌である。

 

◆十月 鍾礼乃丹 沾乍哉 君之行疑 宿

       (作者未詳 巻十二 三二一三)

 

≪書き下し≫十月(かむなづき)しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)るらむ

 

(訳)もう十月、冷たいしぐれの雨に濡れながら、あの方は今頃旅を続けておられるのだろうか、それとも、どこかで宿を借りておられるのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆十月 間毛不置 零尓西者 誰里之 宿

       (作者未詳 巻十二 三二一四)

 

≪書き下し≫十月(かむなづき)間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿らまし

 

(訳)この寒い十月というのに、晴れ間もなしに雨が降り続いたなら、いったいどこの村里の宿を借りたらよいのであろうか。(同上)

(注)せば 分類連語:もし…だったら。もし…なら。 ⇒参考:多く、下に反実仮想の助動詞「まし」をともない、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ⇒注意:「せば」の形には、サ変の未然形「せ」+接続助詞「ば」の場合もある。 ⇒なりたち:過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」(学研)

 

 三二一四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1907)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 「宿」を「借りて」「隠りつつむ」と詠っているのは他ならぬ家持である。こちらもみてみよう。

 

◆夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜

       (大伴家持 巻十八 四一三八)

 

≪書き下し≫薮波(やぶなみ)の里に宿(やど)借り(はるさめ)に隠(こも)りつつむと妹(いも)に告(つ)げつや

 

(訳)薮波の里で宿を借りた上に、春雨に降りこめられていると、我がいとしき人に知らせてくれましたか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)隠りつつむ:雨ごもりして宿にじっとしていると。(伊藤脚注) 下記にでてくる「雨隠(あまごも)り」「雨障(あまつつ)み」参照。

(注)や 係助詞 《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。:文末にある場合。

①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは②の意

(注)妹に告げつや:妻に知らせてくれましたか。「妹」は、家持の妻、坂上大嬢。(伊藤脚注)

 

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「雨隠」と詠われている歌をみてみよう。

 

■巻六 九八〇■

題詞は、「安倍朝臣蟲麻呂月歌一首」<安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)が月の歌一首>である。

 

雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管

       (安倍虫麻呂 巻六 九八〇)

 

≪書き下し≫雨隠(あまごも)る御笠(みかさ)の山を高みかも月の出(い)で来(こ)ぬ夜は更(ふ)けにつつ

 

(訳)降る雨に隠(こも)る笠というではないが、その御笠の山が高いからか、月がなかなか出て来てくれない。夜はもう更けてしまうというのに。(同上)

(注)雨隠る:「御笠」の枕詞。(伊藤脚注)

 

 

■巻十八 三七八二■

安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須

      (中臣宅守 巻十五 三七八二)

 

≪書き下し≫雨隠(あまごも)り物思(ものも)ふ時にほととぎす我(わ)が住む里に来(き)鳴き響もす

 

(訳)雨に閉じ込められて物思いに沈んでいる折も折、時鳥が、私の住むこの里にやって来てしきりに鳴き立てている。(同上)

(注)あまごもり【雨隠り】名詞:長雨のために家にこもっていること。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1407)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 似たようなニュアンスで「雨障」がある。

(注)あまつつみ【雨障】〘名〙:① 雨に降られて外に出られず、とじこもっていること。雨ごもり。② (「あまづつみ」とも) 雨から身を包むもの。雨具。 [補注](1)「万葉」例は「あまさはり」と訓む説もある。なお、四段動詞「あまつつむ」を想定する考えもある。

(2)②は、「つつみ」が障りの意であるという原義が忘れられて、「包み」への類推から生じたものと思われる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)あまざはり【雨障】〘名〙: 雨に降りこめられて外出しないこと。雨に降られ濡れるのをきらって外出をひかえること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 「雨障」の歌をみてみよう。

 

■巻四 五一九■

 題詞は、「大伴女郎歌一首 今城王之母也今城王後賜大原真人氏也」<大伴女郎(おほとものいらつめ)が歌一首 今城王が母なり。今城王は後に大原真人の氏を賜る>である。

(注)大伴女郎:後に旅人の妻になり、筑紫で他界した女性か。(伊藤脚注)

(注)今城王:父は未詳。家持と親交があった。(伊藤脚注)

 

 

雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨尓 将懲鴨

       (大伴女郎 巻四 五一九)

 

≪書き下し≫雨障(あまつつ)み常(つね)する君はひさかたの昨夜(きぞ)の夜(よ)の雨に懲(こ)りにけるかも

 

 

(訳)雨にさえぎられるといっては、いつも家に籠(こも)ってあられるあなたは、ゆうべ来られた時に降った雨に、すっかり懲(こ)りてしまわれたのではありますまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまつつみ【雨障】〘名〙:① 雨に降られて外に出られず、とじこもっていること。雨ごもり。② (「あまづつみ」とも) 雨から身を包むもの。雨具。 ⇒[補注](1)「万葉」例は「あまさはり」と訓む説もある。なお、四段動詞「あまつつむ」を想定する考えもある。

(2)②は、「つつみ」が障りの意であるという原義が忘れられて、「包み」への類推から生じたものと思われる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1078)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■巻四 五二〇■

題詞は、「後人追同歌一首」<後(のち)の人の追同する歌一首>である。

(注)追同:時がたってから唱和する意。編者家持が和したものか。(伊藤脚注)

 

◆久堅乃 雨毛落粳 雨乍見 於君副而 此日令晩

       (大伴家持? 巻四 五二〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨も降らぬか雨障(あまつつ)み君にたぐひてこの日暮らさむ

 

(訳)空から雨でも降ってくれないものか。降りこめられるのを口実に、あなたのおそばに寄り添ったまま、今日一日を暮らそうものを。(同上)

(注)雨障(あまつつ)み:雨に降りこめられているのを口実に。(伊藤脚注)

 

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■巻八 一五七〇■

題詞は、「藤原朝臣八束歌二首」<藤原朝臣八束(ふぢはらのあそみやつか)が歌二首>である。

 

◆此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曽乎流

       (藤原八束 巻八 一五七〇)

 

≪書き下し≫ここにありて春日(かすが)やいづち雨障(あめつつ)み出(い)でて行かねば恋ひつつぞ居(を)る

 

(訳)ここから見て春日はどのあたりなのであろうか。雨に濡れるのを避けて外に出て行けないので、ただ恋焦がれてばかりいる。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。 ※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれ(学研)

 

 

 

■巻十一 二六八四■

◆笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念

       (作者未詳 巻十一 二六八四)

 

≪書き下し≫笠なみと人には言ひて雨障(あまつつ)み留(と)まりし君が姿し思ほゆ

 

(訳)笠がなくてとまわりの人には言って、雨に降りこめられてこの家に足留めされた方、あの方のあの時の姿が思い出されてならない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)雨障み留まりし:雨に降りこめられて我が家に立ち寄った。(伊藤脚注)

 

 「雨宿り」という言葉も、住宅事情、治安、人情の変化によって死語になりつつある。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版」