●歌は、「雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ」である。
●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。
●歌をみていこう。
◆雲隠 鳴奈流鴈乃 去而将居 秋田之穂立 繁之所念
(大伴家持 巻八 一五六七)
≪書き下し≫雲隠(くもがく)り鳴くなる雁の行きて居(ゐ)む秋田の穂立(ほたち)繁(しげ)くし思ほゆ
(訳)雲に隠れて鳴いている雁が、飛んで行って降り立つであろう、その秋の田の稲穂の立ち揃うさまが、しきりに思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)行きて:前歌の雁の行く先を思う。(伊藤脚注)
(注の注)前歌:ひさかたの雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね(一五六六歌)
(注)ほたち【穂立ち】名詞:稲の穂が出ること。また、その穂。「ほだち」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一五六七歌の「穂立」を詠んだ歌が、坂上大嬢と家持の贈答歌に見られる。こちらをみてみよう。
題詞は、「坂上大娘秋稲蘰贈大伴宿祢家持歌一首」<坂上大嬢、秋稲(いね)の縵(かづら)を大伴宿禰家持に贈る歌一首>である。
◆吾之蒔有 早田之穂立 造有 蘰曽見乍 師弩波世吾背
(大伴坂上大嬢 巻八 一六二四)
≪書き下し≫我が蒔(ま)ける早稲田(わさだ)の穂立(ほたち)作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背(せ)
(訳)私が蒔いた早稲田の穂立、立揃ったその稲穂でこしらえた縵(かづら)です、これは。ご覧になりながら私のことを偲(しの)んで下さい、あなた。(同上)
(注)ほたち【穂立ち】名詞:稲の穂が出ること。また、その穂。「ほだち」とも。(学研)
題詞は、「大伴宿祢家持報贈歌一首」<大伴宿禰家持が報(こた)へ贈歌一首>である。
◆吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞
(大伴家持 巻八 一六二五)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が業(なり)と作れる秋の田の早稲穂(わさほ)のかづら見れど飽(あ)かぬかも
(訳)あなたが仕事として取り入れた秋の田、その田の早稲穂でこしらえた縵は、いくら見ても見飽きることがありません。(同上)
(注)業と作れる:仕事として作った。「業」は生業。(伊藤脚注)
(注)わさほ【早稲穂】名詞:早稲(わせ)(=早く実る稲)の穂。(学研)
一六二四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1364)」で、大嬢の歌十一首とともに紹介している。
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一六二五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2019)」で、「業」を詠んだ歌とともに紹介している。
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万葉時代の稲作について「別冊國文學 万葉集必携」稲岡耕二編 (學燈社)の記述を参考に歌から追ってみよう。
「<稲作>一部に直播きを残しながらも、『苗代水』(4七七六)『苗代』(14三五七六)などの語にみられるごとく、田植え方式が普及しており、『佐保川の水を堰(せ)き上げて植ゑし田を(8一六三五)』とある通り、灌漑も行われていた。稲の種類も、『早稲』(9一七六八・10二一一七)がみられ、晩稲とともに作られていたことがわかる。屋敷の近くの門田(8一五九六)に対して家から遠く離れたところに『山田』を作った。遠隔地であるため、農繁期には、『田廬』=出作り小屋(8一五九二)に起居した。特に、収穫期には、害をもたらす鹿や猪を追うためにどうしても泊まりこまねばならなかった。『山田守る』(10二一五六・11二六四九)、『引板』=鳴子(8一六三四)などはその間の事情をよく示している。『新墾田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)』(16三八四八)とある通り、苦労して開いた山だのは常に獣害がついてまわった。ここに万葉農民の苦渋があった。」
■巻四 七七六:苗代水■
題詞は、「紀女郎報贈家持歌一首」<紀女郎、家持に報(こた)へ贈る歌一首>である。
◆事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手
(紀郎女 巻四 七七六)
≪書き下し≫言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか小山田(をやまだ)の苗代水(なはしろみず)の中淀にして
(訳)先に言い寄ったのはどこのどなただったのかしら。山あいの苗代の水が淀んでいるように、途中でとだえたりして。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)「小山田の苗代水の」は序。「中よど」を起す。(伊藤脚注)
(注)よど【淀・澱】名詞:淀(よど)み。川などの流れが滞ること。また、その場所。(学研)
(注)中よど:流れが中途で止まること。妻問いが絶えることの譬え。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。
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■巻十四 三五七六:苗代■
◆奈波之呂乃 古奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家
(作者未詳 巻十四 三五七六)
≪書き下し≫苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまにあぜか愛(かな)しけ
(訳)通し苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花、そんな花でも、着物に摺りつけ、着なれるにつれて、どうしてこうも肌合いにぴったりで手放し難いもんかね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)こなぎ【小水葱・小菜葱】① ミズアオイ科の一年草。水田などの水湿地に生える。ミズアオイ(ナギ)に似るが全体に小さく、花序が葉より短い。ササナギ。② ナギ(ミズアオイの古名)を親しんでいう称。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)
■巻八 一六三五:佐保川の水を堰(せ)き上げて植ゑし田を■
題詞は、「尼作頭句并大伴宿祢家持所誂尼續末句等和歌一首」<尼、頭句を作り、幷(あは)せて大伴宿禰家持、尼に誂(あとら)へらえて末句を続(つ)ぎ、等(ひと)しく和(こた)ふる歌一首>である。
(注)頭句:ここは上三句。(伊藤脚注)
(注)誂へらえて:頼まれて。(伊藤脚注)
(注の注)あとらふ【誂ふ】他動詞:頼んで自分の思いどおりにさせる。誘う。(学研)
(注)末句:ここは下二句。(伊藤脚注)
(注)等しく和ふる歌:二人一緒で答える歌。短連歌の最も早い例。(伊藤脚注)
◆佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 <尼作> 苅流早飯者 獨奈流倍思 <家持續>
(尼・大伴家持 巻八 一六三五)
≪書き下し≫佐保川(さほがは)の水を堰(せ)き上(あ)げて植ゑし田を <尼作る> 刈(か)れる初飯(はついひ)はひとりなるべし <家持続く>
(訳)佐保川を堰きとめて水を引き、苦労に苦労を重ねて植え育てた田よ<尼が作った>。その田の稲を刈って炊(かし)いだ新米を食べるのは、田の主一人だけのはず。<家持が続けた>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句はあなたが丹精こめて育てた娘の意。(伊藤脚注)
(注)下二句は、刈って炊いた新米を食べるのはあなた一人のはず。娘への懸想を承認したもの。(伊藤脚注)
■巻九 一七六八:早稲■
◆石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流比日
(抜気大首 巻九 一七六八)
≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂(ほ)には出(い)でず心のうちに恋ふるこのころ
(訳)石上の布留の早稲田の稲が他にさきがけて穂を出す、そんなように軽々しく表に出さないようにして、心の中で恋い焦がれているこのごろだ。(同上)
(注)いそのかみ【石の上】分類枕詞:今の奈良県天理市石上付近。ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などにかかる。「いそのかみ古き都」(学研)
(注)上二句は序。「穂に出づ」を越す。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その872)」で一七六七、一七六九歌とともに紹介している。
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■巻十 二一一七:早稲■
◆▼嬬等尓 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲
(作者未詳 巻十 二一一七)
▼は女偏に「感」→「▼嬬」は「をとめ」
≪書き下し≫娘子(をとめ)らに行き逢ひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
(訳)おとめに行き逢うという行き逢いの早稲(わせ)を刈る時節に、いよいよなったらしい。萩の花が美しく咲いている。(同上)
(注)をとめらに【少女らに】分類枕詞:「少女(をとめ)」に会う意から「相坂(あふさか)」「ゆきあひ」にかかる。(学研)
(注)行き逢い:未詳。地名か。(伊藤脚注)
■巻八 一五九六:門田■
題詞は、「大伴宿祢家持到娘子門作歌一首」<大伴宿禰家持、娘子(をとめ)が門(かど)に到りて作る歌一首>である。
◆妹家之 門田乎見跡 打出来之 情毛知久 照月夜鴨
(大伴家持 巻八 一五九六)
≪書き下し≫妹(いも)が家の門田(かどた)を見むとうち出(い)で来(こ)し心もしるく照る月夜(つくよ)かも
(訳)いとしい人の家の門田を見ようと思って、馬を駆ってやって来た、そのかいがあって、月がこんなにも明るく照っている。(同上)
■巻八 一五九二:田廬■
◆然不有 五百代小田乎 苅乱 田盧尓居者 京師所念
(大伴坂上郎女 巻八 一五九二)
≪書き下し≫しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り乱り田盧(たぶせ)に居(を)れば都し思ほゆ
(訳)それほど広いとも思われぬ五百代(いおしろ)の田んぼなのに、刈り乱したままで、いつまでも田中の仮小屋暮らしをしているものだから、都が偲ばれてならない。(同上)
(注)代(しろ):頃とも書く。おもに大化前代に用いられた田地をはかる単位。1代とは稲1束 (当時の5升,現在の2升にあたる) を収穫しうる面積であり、高麗尺 (こまじゃく) で 30尺 (10.68m) ×6尺 (2.13m) の長方形の田地の面積をいう。これは大化改新の制の5歩にあたる。大化改新以後,町,段,歩に改められた。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
(注)しかとあらぬ:それほど広くもない。(伊藤脚注)
(注)田盧(たぶせ):田の中の番小屋。(伊藤脚注)
■巻十 二一五六:山田守る■
◆足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒
(作者未詳 巻十 二一五六)
≪書き下し≫あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田守(も)らす子
(訳)日の射すこととてない山陰で鳴く鹿の声をいつも聞いておられることでしょうか。山田の番をしていらっしゃるあなたは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)とかげ【常陰】名詞:(山の陰など)いつも日の当たらない場所(学研)
(注)山田守らす子:山田を守っておられるあなたは。「子」はここは男の若者であろう。(伊藤脚注)
(注の注)山田守る 読み方:ヤマダモル:鳥獣に田を荒らされぬように番をすること、またその人(weblio辞書 季語・季題辞典)
■巻十一 二六四九:山田守る■
◆足日木之 山田守翁 置蚊火之 下粉枯耳 余戀居久
(作者未詳 巻十一 二六四九)
≪書き下し≫あしひきの山田守(も)る翁(をぢ)が置く鹿火(かひ)の下焦(したこ)がれのみ我(あ)が恋ひ居(を)らく
(訳)山の田んぼを見張る翁(おきな)の焚(た)く鹿遣(かや)りの火が燻(いぶ)るように、胸の底でくすぶってばかり、私は恋い焦がれている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)かびや【鹿火屋/蚊火屋】《「かひや」とも》田畑を鹿や猪(いのしし)などから守るために火をたく番小屋。一説に、蚊やり火をたく小屋とも。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)上三句は序。「下焦がれ」を起こす。(伊藤脚注)
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■巻八 一六三四:引板■
◆衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子
(作者未詳<或者> 巻八 一六三四)
≪書き下し≫衣手(こともで)に水渋(みしぶ)付くまで植ゑし田を引板(ひきた)我が延(は)へまもれる苦し
(訳)衣の袖に水垢(みずあか)がつくほどまでして植え育てた田であるのに、今度は鳴子(なるこ)の縄を張り渡して見張りをするはめになったとは、辛いことです。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みしぶ【水渋】:「水銹(みさび)」に同じ。>みさび【水銹/水錆】:池などの水面に浮かぶ錆(さび)のようなもの。水渋(みしぶ)。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)ひきいた>ひた【引板】名詞:鳴子(なるこ)。板に細い竹の管をぶら下げ、綱を引けば鳴るようにしたもの。「ひきた」とも。[季語] 秋。 ※「ひきいた」の変化した語。(学研)
(注)まもれる苦し:養育した娘を監視する立場で我がものにできない苦しみ。(伊藤脚注)
■巻十六 三八四八:新墾田の鹿猪田■
◆荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲干稲志 吾戀良久者
(忌部首黒麻呂 巻十六 三八四八)
≪書き下し≫荒城田(あらきだ)の鹿猪田(ししだ)の稲を倉に上(あ)げてあなひねひねし我(あ)が恋ふらくは
(訳)開いたばかりの田の、鹿や猪が荒らす山田でやっと穫(と)った稲、その稲をお倉に納めてやたら干稲(ひね)にしてしまうように、ああ何とまあ。ひねこびてからからにしているんだろう、私の恋は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)荒城田>新墾田(読み)アラキダ:新しく切り開いて作った田。新小田(あらおだ)。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)倉に上げて:税を納めること。(伊藤脚注)
(注)上三句は序。「ひねひねし」(ひねこびるさま)を起す。古米の「ひね」との懸詞。(伊藤脚注)
(注の注)ひね【陳/老成】:①古くなること。また、そのもの。②前年以前に収穫した穀物や野菜。「—米」③老成していること。ませていること。また、その人。(weblio辞書 デジタル大辞泉
(注)あな 感動詞:ああ。あれ。まあ。(学研)
(注)ひねひねし[形シク]:いかにも古びている。盛りを過ぎている。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1108)」で紹介している。
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万葉集の歌も立派な当時の生活様式等の記録媒体となっているのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」