万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2342)―

●歌は、「あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板①(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板①である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「天平勝寶二年正月二日於國廳給饗諸郡司等宴歌歌一首」<天平勝寶(てんびやうしようほう)二年の正月の二日に、国庁(こくちょう)にして饗(あへ)を諸(もろもろ)の郡司(ぐんし)等(ら)に給ふ宴の歌一首>である。

(注)天平勝寶二年:750年

(注)国守は天皇に代わって、正月に国司、群詞を饗する習いがある。(伊藤脚注)

 

◆安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等里天 可射之都良久波 知等世保久等曽

      (大伴家持 巻十八 四一三六)

 

≪書き下し≫あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りてかざしつらくは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ

 

(訳)山の木々の梢(こずえ)に一面生い栄えるほよを取って挿頭(かざし)にしているのは、千年もの長寿を願ってのことであるぞ。(同上)

(注)ほよ>ほや【寄生】名詞:寄生植物の「やどりぎ」の別名。「ほよ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)


 左注は、「右一首守大伴宿祢家持作」<右の一首は、守大伴宿禰家持作る>である。

 

 

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感想(1件)

 この歌は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その822)」で高岡市伏木古国府 勝興寺境内の越中国庁碑の裏に刻された歌とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 


 

 この国庁での宴について、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)のなかで、「正月二日、大伴家持越中国庁で郡司らと共に新春を祝った。『万葉集』には『於國廳給饗諸郡司等』(国庁にして饗(あへ)を諸郡司らに給ふ)(巻十八・四一三六題詞)と見えるので、越中国の郡司らが集まっていたことになる。国家の基本法である律令(儀制令<ぎせいりょう>)では、元日に国司は同僚・属官や郡司らをひきいて、庁(都の政庁または国庁とする説)に向かって朝拝することとされており、元日の越中国にあっても拝賀の儀がとり行われたのである。・・・越中国でも元日拝朝の儀を実施する際は翌二日に設宴が催されたのであろう。」と書かれている。

 

 

 「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)のこの歌の「解説」には、「天平勝宝2年(750)の正月2日(太陽暦2月16日)に、越中国の国庁(役所)で、国守である家持が諸郡の郡司たちに饗応した宴会での歌。寄生(ほよ)はヤドリギのことで、ケヤキ、ブナなどの落葉樹に寄生する常緑低木、冬枯れの木々のなかで鮮やかな緑色を保つヤドリギに、古代人は永遠の生命と呪力を感じたのであろう。正月の宴席にふさわしい賀の歌である。万葉集でホヨをよんだ例は当歌のみ。」と書かれている。

 

 家持が因幡国司として赴任をし迎えた新年にあたり詠んだのが、「将来への予祝をこめるこの一首をもって万葉集は終わる」(伊藤氏脚注)四五一六歌である。

 

題詞は、「三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首」<三年の春の正月の一日に、因幡(いなば)の国(くに)の庁(ちやう)にして、饗(あへ)を国郡の司等(つかさらに)賜ふ宴の歌一首>である。

(注)三年:天平宝字三年(759年)。

(注)庁:鳥取県鳥取市にあった。(伊藤脚注)

(注)あへ【饗】名詞※「す」が付いて自動詞(サ行変格活用)になる:食事のもてなし。(学研)

(注の注)あへ【饗】:国守は、元日に国司・郡司と朝拝し、その賀を受け饗を賜うのが習い。(伊藤脚注)

 

◆新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

       (大伴家持 巻二十 四五一六)

 

≪書き下し≫新(あらた)しき年の初めの初春(はつはる)の今日(けふ)降る雪のいやしけ吉事(よごと)

 

(訳)新しき年の初めの初春、先駆けての春の今日この日に降る雪の、いよいよ積もりに積もれ、佳(よ)き事よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上四句は実景の序。「いやしけ」を起す。正月の大雪は豊年の瑞兆とされた。(伊藤脚注)

(注)よごと【善事・吉事】名詞:よい事。めでたい事。(学研)

 

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1953)」で、鳥取市国府町庁 史跡「万葉の歌碑」の歌碑とともに紹介している。

 ➡ こちら1953

 

 



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二氏 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)