万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2341)―

●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板②(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板②である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

 

◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

       (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

(注)物花:美しい風物。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 四一五九歌から四一六五歌までの歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で、高岡市太田 つまま公園の歌碑とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 


つまま公園の解説案内板には、この歌碑について「安政五年(一八五八)に太田村伊勢領の肝煎(きもいり)(村長)宗九郎(そうくろう)が建立」と書かれている。

解説案内板の内容は拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2115)」で「年代物の歌碑」とともに紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 「つまま」について、高岡市万葉歴史館HPに「『都麻々』は古くは『トママ』と読まれ、どの木のことか不明とされていました。江戸時代に、飛騨の国学者が わざわざ越中を訪れ、村人に『つままの木はどれか』と尋ね歩いたところ、村人は誰もが『そんな木は 知らない』と答えたそうです。近年『つまま』と読まれるようになり、一般的にはタブノキのこととされました。タブノキは暖地性の常葉木のことですが、地域によってはタモノキと呼ばれてもいます。高岡の隣り氷見(ひみ)では、神社の神木として古く大きなタブノキが祀られて いたり、確かにタブノキは『神さぶ』巨木となります。

しかし、『ツママ』などという木は、この歌以外のどんな文献にも出て来ません。そこで、本来は『都麻麻都』など のような文字で『つま松(妻待つ)』ではないのだろうかという説も、高岡にはあるのです。果たして家持が見た『都麻々』は、どんな木だったのでしょうか。」と書かれている。

 

 「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)のこの歌の解説には、「天平勝宝2年(750)3月9日(太陽暦4月23日)の歌。渋谿(しぶたに)の崎(現高岡市渋谷)のあたりで巖の上にある木を見てよんだ歌といい、『樹の名はつまま』との注が付けられている。ツママは常緑高木のタブノキとされ、暖地の海岸地域の多く、たくましい生命力を感じさせる木である。永遠の時間を生きているかのようなツママの木の神々しさへの感動がうたわれている。万葉集でツママをよんだ例は当歌のみ。」と書かれている。

 

 

つまま公園の歌碑は、安政五年(1858年)に立てられたのであるが、高岡市万葉歴史館HPによると「富山県内でもっとも古い万葉歌碑は、富山市東岩瀬の諏訪神社前に立っています。何の案内もなくそこに立つ歌碑は、これだと教えてもらわなければ、通り過ぎてしまいます。

この歌碑は,嘉永6年(1853)岩瀬の肝煎で俳人でもあった若林喜平次の尽力によって建てられました。・・・」と書かれている。

富山市東岩瀬の諏訪神社前の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2323)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)