●歌は、「もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花」である。
●歌石板⑮は、富山市「高志の国文学館」玄関前敷石群にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「攀折堅香子草花歌一首」<堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)ぢ折る歌一首>である。
(注)よづ【捩づ・攀づ】他動詞:つかんで引き寄せる。よじる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典
(注)かたかご【堅香子】名詞:植物の名。かたくりの古名。(学研)
◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その823)」で、高岡市伏木古国府 勝興寺西南・寺井の跡万葉歌碑とともに紹介している。
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前稿でも書いたが、高志の国文学館駐車場に留め、松川べりに挑戦。
同駐車場を出て松川べりを歩き「塩倉橋」で折り返してきて、同文学館の歌石板でフィナーレを飾る予定であったが、前稿で紹介した巻十七 四〇一七歌(東風)の歌碑と越中万葉歌碑案内板を見つけるまではよかったが、歌石板が見つからない。歌石板のイメージがつかめないままの探索となったことにより、うろうろし早くもロスタイムが発生。
やむなく同文学館に飛び込み教えてもらうことにしたのである。
「こちらです。」と、案内していただく。玄関を出ると運悪く雨が降り出す。
「普段は分かりづらいのですが、あそこに雨で色が変わって見えているところに歌が書かれています。」と教えていただく。しかも、雨なのに歌石板近くまで案内していただく。ありがたいことである。
歌石板を見つけるには、何と、恵みの雨ではないか。
しかし、これはこれで、教えていただかなければ絶対に見落としてしまう代物である。
現に、教えを乞うために飛び込んだ時は全く気付かなかった。
写真を撮り、駐車場に戻り、傘を取り出し松川べりに向かう。
“歌石板は足元にあり!”
手品の種明かしのようなものである。写真を見てみると、前稿で紹介した歌碑(四〇一七歌)の前にも“敷石ベルト”が写っている。全体が砂まみれになっており、足元にあっても全く気が付かなかったのである。
“めぐみの雨”のおかげでその後の歌石板めぐりはスムーズにいったのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「松川べり散策 越中万葉