万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2329)―

●歌は、「珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑬(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑬である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首」<珠洲(すす)の郡(こほり)より舟を発(いだ)し、太沼の郡に還(かへ)る時に、長浜(ながはま)の湾(うら)に泊り、月の光を見て作る歌一首>である。

(注)珠洲の郡:能登半島先端の郡。石川県珠洲市を中心とする地域。(伊藤脚注)

(注)太沼の郡:未詳。国府付近か。元暦本には「治布」。(伊藤脚注)

(注)長浜:富山県氷見市の「松田江の長浜」。(伊藤脚注)

 

珠洲能宇美尓 安佐妣良伎之弖 許藝久礼婆 奈我波麻能宇良尓 都奇氐理尓家里

      (大伴家持 巻十七 四〇二九)

 

≪書き下し≫珠洲(すす)の海に朝開(あさびら)きして漕(こ)ぎ来(く)れば長浜の浦に月照りにけり

 

(訳)珠洲の海に朝早くから船を出して漕いで来ると、長浜の浦には月が照り輝いているのであった。(同上)

(注)あさびらき【朝開き】名詞:船が朝になって漕(こ)ぎ出すこと。朝の船出。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1354)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 左注は、「右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時當所属目作之 大伴宿祢家持」<右の件(くだり)の歌詞は、春の出挙(すいこ)によりて、諸郡を巡行し、時に当り所に当りて、属目(しよくもく)して作る。大伴宿禰家持>である。

(注)右の件:四〇二一~四〇二九歌をさす。(伊藤脚注)

(注)出挙春に公の稲を貸し、秋に利子をつけて返済させること。(伊藤脚注)

(注)しよくもく【属目】:注目する。(コトバンク 平凡社「普及版 字通」)

 

 

 パンフレット「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」に四〇二九歌の「解説」として、「天平20年(748)、国守として春の出挙(すいこ)のため越中国内を巡行した家持が、その旅の最後によんだ歌。珠洲の位置する能登半島は、当時は越中に属していた。『長浜の浦』は、氷見の松田江の長浜あたりをさすと言われている。朝に珠洲の港を出て、夜になってようやく長浜に着いたとき、春の穏やかな波をたたえた浦一面に月が照っている美しい光景を発見したのである。」と書かれている。

 

 「春の出挙」の巡行ルートを題詞と歌(書き下し)で追ってみよう。

 

■題詞:礪波郡雄神河邊作歌一首■

◆雄神川(をがみかは)紅(くれなひ)にほふ娘子(をちめ)らし葦付(あしつき)<水松之類>取ると瀬(せ)に立たすらし(巻十七 四〇二一)

 

■題詞:婦負郡渡鸕坂河邊時作一首■

◆鸕坂川(うさかがは)渡る瀬(せ)多みこの我(あ)が馬(ま)の足掻(あが)きの水に衣(きぬ)濡(ぬ)れにけり(巻十七 四〇二二)

 

■題詞:見潜鸕人作歌一首■

◆婦負川(めひがは)の早き瀬(せ)ごとに篝(かがり)さし八十伴(やそとも)の男(を)は鵜川(うかは)立ちけり(巻十七 四〇二三)

 

■題詞:新川郡渡延槻河時作歌一首■

立山(たちやま)の雪し来らしも延槻の川の渡り瀬(せ)鐙(あぶみ)漬(つ)かすも(巻十七 四〇二四)

 

■題詞:赴参氣太神宮行海邊之時作歌一首■

◆志雄道(しをぢ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくい)の海朝なぎしたり船楫(ふなかぢ)もがも(巻十七 四〇二五)

 

■題詞:能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首■

◆鳥総(とぶさ)立て舟木(ふなぎ)伐(き)るといふ能登(のと)の島山(しまやま) 今日(けふ)見れば木立(こだち)茂(しげ)しも幾代(いくよ)神(かむ)びぞ(巻十七 四〇二六)

 

◆香島より熊来をさして漕(こ)ぐ舟の楫(かぢ)取る間(ま)なく都し思ほゆ(巻十七 四〇二七)

 

■題詞:至郡渡饒石川之時作歌一首■

◆妹(いも)に逢(あ)はず久しくなりぬ饒石川清き瀬(せ)ごとに水占(みなうら)延(は)へてな(巻十七 四〇二八)

 

■題詞:珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首■

珠洲(すす)の海に朝開(あさびら)きして漕(こ)ぎ来(く)れば長浜の浦に月照りにけり(巻十七 四〇二九)

 

 国府を出て、礪波、婦負、新川、能登、鳳至、珠洲の各郡を回り、帰途は海路で珠洲から国府ルートである。

 万葉の時代を考えると、かなり過酷な出張であると言わざるをえない。脱帽である。

 

 

 松川べりの遊歩道の松川寄りに敷石ベルトが続いている。“恵みの雨”のおかげで、黒っぽく浮き出ている敷石が「歌石板」であることが分かる。

 ⑬のこの歌石板は見つかったが、「松川橋」方向の歌石板⑭が見つからない。雨とはいえパラパラの状態であるので、まだはっきりと浮かび上がってはいない。丹念に探せばよいのは分かっているが、時間が読めないので、⑫からさかのぼって探し、戻って来てからじっくり探すことに作戦変更である。

 

 これほどまで作戦変更を強いられるのは、準備不足が原因であっろう。

 早く「月照りにけり」の心境になりたいものである。



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 平凡社 普及版 字通」

★「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり(パンフレット)」(富山県文化振興財団)