万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2221~2223)―名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道―巻三 四六四、巻八 一六二四、巻十一 二四七五

―その2221―

●歌は、「秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)<大伴家持> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「又家持見砌上瞿麦花作歌一首」<また、家持、砌(みぎり)の上(うへ)の瞿麦(なでしこ)の花を見て作る歌一首>である。

(注)みぎり【砌】名詞:①雨滴を受けるために、軒下などに石などを敷いた所。また、転じて、庭。②場所。所。③時。折。場合。 ⇒参考:「水(み)限(きり)(=「限(きり)」は限(かぎ)る意)」↓「水(み)切(ぎ)り」からの語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

◆秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞

        (大伴家持 巻三 四六四)

 

≪書き下し≫秋さらば見つつ偲へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

 

(訳)「秋になったら、花を見ながらいつもいつも私を偲(しの)んで下さいね」と、いとしい人が植えた庭のなでしこ、そのなでしこの花はもう咲き始めてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)咲きにけるかも:早くも夏のうちに咲いたことを述べ、秋の悲しみが一層増すことを予感している。(伊藤脚注)

 

 妾(おみなめ)は、家持がなでしこをこよなく愛していることを知っているので、自分の思いをなでしこに託したのであろう。

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1051)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2222―

●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)
<大伴田村大嬢> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。       

      

●歌をみていこう。

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

        (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

 題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で、似たような題詞の歌が七五六~七五九歌、一四四九歌、一五〇六歌、一六六二歌とあるがそれらとともに紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2223―

●歌は。「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)
柿本人麻呂歌集> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四七五)

 

≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず

 

(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2049)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

■■7月5日の行程概略■■

 歌碑の撮影は、4日が、底引き網方式であるとすれば、5日は1本釣りである。

 

富山市内ホテル→富山県中新川郡上市町折戸白萩東部公民館

 ナビをセットし一路白萩東部公民館をめざす。ここは、元白萩東部小学校があったところである。ネットでは建物の写真が写っており、小学校廃校跡地の公民館利用というよくあるパターンと考えていた。

 ナビは目的地に到着したことを伝えているが、建物らしいものがない。いったん行き過ごしUターンしてくる。「避難場所」の標識が目に飛び込む。その下にかすかに「白萩東部公民館」とみえる。建物はなくひろびろとした空き地があるだけである。その道路近くにポツンと歌碑が取り残されたように立っていた。

 いずれはどこかに移設されるのだろうか。



富山県中新川郡上市町折戸白萩東部公民館→魚津市黒谷 黒谷橋

 片貝川に架かる黒谷橋を渡った県道132号線の三叉路のつきあたりに歌碑が立てられていた。



魚津市黒谷 黒谷橋→同市東尾崎 川の瀬団地公園

 到着するも川の瀬団地公園は、プチ公園であちこちにある。絞り切れず、団地の前で談笑をされていたご婦人に場所を訪ねる。教えていただいた公園をめざす。

 歌碑を見つけ、写真を撮っていると、先ほどの方が、「合っていたのか不安になって」と、わざわざ車で確認に来られた。ありがたいことである。感謝感激感動。



魚津市東尾崎 川の瀬団地公園→同市持光寺 大徳寺

 こちらはグーグルマップのストリートビューで確認がとれていたのでばっちりである。



魚津市持光寺 大徳寺→同市北中(北鬼江海岸)

 護岸には「富山湾の蜃気楼」の解説パネルも掲げられておりこの辺りは蜃気楼のメッカのようである。

 


魚津市北中(北鬼江海岸)→同市三ケ 魚津水族館



魚津市三ケ 魚津水族館富山市岩瀬白山町 岩瀬諏訪神社

 ありがたいことに、ナビ通りで行きつくのにほとんど苦労していない。



富山市岩瀬白山町 岩瀬諏訪神社→同市婦中町 鵜坂神社

 鵜坂神社社殿では内装工事が行われていた。



富山市婦中町 鵜坂神社→同町 鵜坂神社東神通川堤防

 鵜坂神社の裏手(東側)すぐ、神通川堤防に歌碑が立っている。歌碑の正面は堤防の道路側である。



富山市婦中町 鵜坂神社東神通川堤防→同市下大久保 八幡宮

 ナビに従って「八幡宮」を目指す。八幡宮境内を探すも歌碑は見当たらない。地図でいう「新宮公園」のトイレ側に聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の碑やちょっとした建物があり、その道路際に歌碑が立てられていた。

 「八幡宮」の境内社ではなさそうである。



富山市下大久保 八幡宮→松川散策道→富山市内ホテル

 昨日いただいたパンフレット「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」をもとに、高志(こし)の国(くに)文学館の駐車場に車を止め、松川べりを富山県民会館まで歩きもどってくることにしたのである。

 駐車場からすぐの川べりに「東風(巻17-4017)」の歌碑はあったが、「歌石板」が見当たらない。

 「越中万葉歌碑案内板」を中心に歌石板は3枚あるはずである。

 「高志の国文学館」にも1枚あるので、戻った時に写そうと考えていたが「歌石板」なるものの正体を捕まえなければならないと、文学館へ。

 受付で尋ねると、係の方に案内していただいたのである。ちょうど雨が降り出したところであった。係の方が「見えにくいですが、少し色が変わっている所です」と指さし教えていただいたのである。足元のタイル板の一枚に歌が書かれているのである。

 松川べりの歌石板も足元にあるのがわかった。

 砂まみれになり、なかなか見つけることが出来なかったが、幸いに降り出した雨ではっきりと色目が変わっている歌石板を撮影したのである。



 雨もまた楽しからずや、である。

 

 しかし足元の歌石板は「踏み絵」のような感じがしなくもない。

 三基の歌碑と十五枚の歌石板を撮影することができたのは良かった。

 ありがとうございました。

 

 

 6日は、羽咋郡宝達志水町出浜 千里浜なぎさドライブウェイの歌碑を撮る予定にしていたが、家を出る前にカサブランカのつぼみが膨らみいつ咲いてもおかしくない状態であったので、花の水やりが気になり歌碑は次の機会に回すことにして帰路についたのであった。

 八重のカサブランカと黄色いカサブランカそしてヤマユリまでが咲いており「おかえりなさい」と迎えてくれたのであった。



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「松川べり散策 越中万葉 歌碑&歌石板めぐり」 (富山県文化振興財団発行)